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テリー伊藤

テリー伊藤(テリー いとう、1949年12月27日 - )は、日本の演出家、テレビプロデューサー、タレント、評論家、著作家。本名は伊藤 輝夫(いとう てるお)で、芸名の「テリー」は本名の輝夫にちなむ。東京都中央区築地出身。本籍地は千葉県山武郡横芝光町。身長174cm。テレビ番組制作会社『ロコモーション』の代表取締役を務める。実家は東京・築地場外市場にある玉子焼き店『丸武』。早稲田実業学校中学部・高等部を経て、日本大学経済学部卒業(藝術学部文芸学科の同期に松崎しげるがいる)。18歳の時に日大全共闘に参加する(彼が学生運動に参加する様子を当時のテレビカメラが捉えていた)が、デモ行進中に投げられた石が顔面に当たり重傷を負い、東京慈恵会医科大学附属病院に2ヶ月間入院。この怪我が元で左目が55度外を向く「外斜視」になる。大学卒業後は寿司屋やアパレルメーカーのアルバイトを経て、1973年、IVSテレビ制作に入社。その2年後より放送が開始された『びっくり日本新記録』にアシスタントディレクター(AD)として参加、テレビマンとしてのキャリアを開始させた。その後、「シマウマは素肌も白黒か?」や「たこ八郎に東大生の血液を輸血してIQ上昇実験」などを手掛けた。1990年代に独立し、テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』などを手掛ける傍ら、1993年に出版した、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問した際の体験談などを綴った『お笑い北朝鮮』を出版した。1995年4月にスタートしたニッポン放送『天才テリーの芸能ダマスカス』でパーソナリティを務め、その後放送時間の変更や『テリー伊藤のってけラジオ』などへの衣替えを経て、2010年6月の放送終了まで続いた。映画監督の市川準に見出され、2006年公開の映画『あおげば尊し』に主演。2002年4月から2006年3月まで4年間にわたり、『ザ!情報ツウ』の火曜・金曜レギュラーコメンテーターを務めていた。さらに「ザ!情報ツウ」の後継番組『スッキリ!!』にも引き続き出演。MCに昇格し、毎日出演となり、帯番組の初司会であった加藤浩次の名参謀として番組を支えていた。だが、2015年3月27日をもって、『スッキリ!!』を降板した。2007年9月22日には、『のってけラジオ』で共演していた落語家・林家たい平の独演会にゲスト出演し、落語家デビュー。高座名は「林家テリ平」。2008年8月から、『厚生労働行政の在り方に関する懇談会』にて構成員を務めている。2008年 ‐ 2013年までNHK『NHK紅白歌合戦』に出演。2007年頃、「キャラクタービジネスで10億円稼ぐ」ことを目標にプロジェクトを立ち上げ、「ナニティー」というキャラクターを誕生させる。また、その模様を2年半に亘り追ったドキュメンタリー映画『10億円稼ぐ』では自ら監督を務めた。前述の通り実家は築地で祖父の代から玉子焼き店『丸武』を営んでおり、長兄・光男が店を継いでいる。テリーがレギュラー出演しているTBS『サンデージャポン』などの番組にこの長兄が「アニー伊藤」の通称でしばしばテレビ出演し、彼を困惑させている。2010年には、「つきじ丸武 玉子焼スイーツ」をプロデュースした。5人兄弟の末っ子。自身の本籍地は父の出身地である千葉県山武郡横芝光町であり、テリー自身も横芝光町に寿陵(生前墓)を購入している。父の武太郎は彼の父(テリーの祖父)が結婚前に付き合っていた女性との間の子供で、長らく九十九里町の親戚に預けられていたが、その彼の父が食堂から転身して興した玉子焼き店を継がせるべく呼び戻された。母親の鳥海(旧姓)なみ子は房総半島の先端にある白間津(現在の南房総市内)で海女の母とカジキの突きん棒漁の船主の父の子供として富貴な子供時代を過ごしていたが、鳥海家所有の船団が北海道の浦河町沖で台風に遭い船を失って没落。程なく父も亡くしたため、東京に仕事に出た先で火事に遭い、そこで出会った武太郎に数日後に自転車に轢かれてしまい(武太郎の故意である)、それが馴れ初めで結婚。武太郎の父から結婚を反対された為、当初は鳥海家に駆け落ちしており、家業を続ける為に武太郎の父が仕方なく夫婦を呼び戻した経緯がある。戦後しばらくはGHQが築地を洗濯などの工場街にしていた事もあって武太郎は工場勤めをしていたが、なみ子の「将来は寿司がたくさん売れる」という強い意見から玉子焼き屋を再開し今に至っている。『元気が出るテレビ』『お笑いウルトラクイズ』当時を知るダンカンや浅草キッド曰く、短気な性格で、仕事や芸に対しては非常に厳しい姿勢で臨んでいたという。「元気が出る―」では、企画書が「眼差し10秒で秒殺され、テリーさんの怒りと共に会議室に差し戻される日々であった」。スタッフや若手芸人を怒鳴り付けたり、時には鉄拳や蹴りが出ることも度々あったそうで、当時は「ケリー(蹴りー)伊藤」と呼ばれ恐れられていたとの事。ビートたけしとは友人であり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』ではテリー伊藤を名乗る以前からネタにされている(『幸か不幸か』『幸せ丸十年』などに収録)。そして、たけしについて、「たけしさんって誰よりも男の哀愁があるんだよねぇ。そこに皆惚れてるんだよねぇ……。でもさぁ。俺だけは、たけしさんの哀愁以外だけを演出したいんだよぉ!」とダンカンと水道橋博士の前で語っている。フリーライターのムネカタスミトによれば、テレビ業界の暴力体質 の源流にいる存在とされ、著書で紹介されたディレクターは「当時のテリーさんは本当に恐ろしかったようで、業界でも一番の暴力ディレクターとして知られていた」「テリー伊藤のやり方(テリーイズム)を継承した人は、大体は暴力ディレクターになる」などと語っている。2007年からオリコンが実施している「好きなコメンテーター」ランキングにおいて、07年から08年まで1位を獲得し、09年にも2位、10年にも3位にランクインしている。2008年12月17日、TBS『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』の生放送中、赤坂サカス内の特設スケートリンクからの中継終了後に、スケートリンク内で転倒し腰椎の一部を骨折。全治2ヶ月と診断された。『週刊文春』2013年11月7日号に、不倫相手となる女性が存在することを報じられた。また、『女性セブン』2015年7月30日・8月6日号には嫌いなコメンテーターにランクインした。週刊ポストが2016年に行った「嫌われるジジイ」では9位になった。学生時代の学生運動中の事故が原因である斜視(失明した事による廃用性)については周囲からそのままでも良い、トレードマークであると励まされていた旨を自著などで明らかにしていたが、『元気が出るテレビ!!』時代にテリーの下で演出を手掛けていた日本テレビの土屋敏男の勧めで斜視の矯正手術を決意し、2007年に、土屋の手掛けるインターネットテレビの第2日本テレビとその関連番組である『でじたるのバカ²』でその模様にも密着した。2007年5月10日に斜視手術で名医とされる丸尾敏夫による手術を受け、同月13日の『サンデージャポン』から本格的にテレビ復帰。術後の経過は良好で、23日には治った目を公開した。プロ野球・読売ジャイアンツファン。そして熱狂的な長嶋茂雄ファンであり、その思いは巨人よりも長嶋個人に向けられている。その一方で他球団に対しては冷淡で、2003年には「阪神タイガースが優勝したら、阪神模様のタイツに身を包み、街中を練り歩く」という公約をする。その後阪神が優勝してしまったため、同年9月17日に東京・お台場のデックス東京ビーチ周辺を『六甲おろし』を歌いながら練り歩く羽目になった。佐々木希の熱烈なファンで、早くから彼女に注目していたと公言し、たっての願いで2008年に『スッキリ!!』への出演を実現させた。しかし、テレビ収録を忘れ興奮気味に佐々木の魅力などを語っていたため、当の本人は引いていた。AKB48では、日本テレビ『なるほど!ハイスクール』で共演していた大島優子推し。小さい時から日本テレビ通で、熱狂的な『ズームイン!!』シリーズの信者。対してフジテレビ嫌いで有名で「なるべくフジテレビは見ないようにしている」とのこと(ただし、フジテレビへの出演は行う)。芸能界では所ジョージと比肩するカーマニアであり、特にアメリカ車とカルトカーが好き。また、過去に50台近くもの車を乗り継いでおり、その経歴を生かして自動車評論の世界にも進出しており、自動車評論家の清水草一との共著「間違えっぱなしのクルマ選び」など、その分野での著書も多い。2014年からは、「くるまマイスター検定」という自動車に関する趣味検定の応援団長を務め、自動車産業の発展にも貢献している。また、街中で車を運転している時、隣にSR400が止まり、その姿に一目惚れして中免(普通自動二輪車免許)を取得。その後、SR400を即購入した。評論家としての活動ぶりは自動車としての機能やメカニカルな点からの評論を行う徳大寺有恒や清水和夫などとは正反対で、機能面やブランドに捕らわれない評価(例えば「ナンパに効くか」など)を行う。そのため評価は三菱自動車やアストンマーティンの車種に対して高く、レクサスや一連のミニバン(特に1300~1600CCコンパクトミニバン)、実直過ぎる軽セダン(軽ボンネットバン)に対しては低い。トヨタ・ヴィッツと日産・フーガのオープンカーモデルを熱望している。2013年9月 - トヨタ・クラウンの特別仕様車「アスリートG(ハイブリッド含む)"Pink crown"」のボディカラー「モモタロウ 通称:リボーンピンク<3T4>」を手がける。2016年の東京オリンピック開催を目指した招致活動に先立って開かれた『東京オリンピック基本構想懇談会』では有識者の1人として出席し、「最終聖火ランナーを鉄腕アトムにして空を飛ばせたい。町工場の技術を結集してアトムを造る」と提案、石原も「見事なアイデアだ」と前向きな姿勢を見せていた。建築家で風水師のDr.コパは次兄の高校時代の友人で、実家によく遊びに来ていたという。ダンス&ボーカルユニットのw-inds.を応援している。IVS時代の部下には後にアダルトビデオメーカー・ソフト・オン・デマンドを創業する高橋がなりがいる。また、『元気が出るテレビ!!』では「放送作家予備校」を企画し、自ら指導に当たった。ここからそーたにをはじめおちまさと、村上卓史、都築浩、堀江利幸、田中直人らを輩出している。「芸能!裏チャンネル」http://ura-channel.jp/

出典:wikipedia

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