『スーパーワイドぴいぷる』とは、1985年4月8日から1986年4月4日にかけてTBSラジオ(当時は東京放送のラジオ部門)で放送されていた生放送の大型ワイド番組である。TBSラジオでは、1974年4月13日から土曜日に大型の生ワイド番組を編成し、『永六輔の土曜ワイドおはようからこんにちは・人間バンザイ』から『三國一朗の土曜ワイド』を経て、久米宏がメインパーソナリティを務めた『土曜ワイドラジオTOKYO』が爆発的人気を得ていたが、久米が1985年10月7日にスタートする『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)に備えるために同年3月30日限りで降板することとなり、同時に『土曜ワイド』を午前主体に切り替えることとなった。これを機に、TBSラジオは『土曜ワイド』のノウハウを活かして、平日の大型生ワイド番組を編成することとなった。3年半の中断期間を含めて15年間続いた平日帯の朝ワイド番組『こんちワ近石真介です』と、「お色気大賞」で人気を博していた昼ワイド番組『大沢悠里のがんばってますかー!昼はまるごと歌謡曲』を終了させ、同時に独立番組の『永六輔の誰かとどこかで』を内包。木曜日のみ別番組の『村野武憲のいきなりラジオ』となる変則編成となり、ラジオとは縁のない文化人をメインパーソナリティに据えた大型改編であった。しかし、放送開始されると低聴取率に喘ぐこととなってしまった。月曜日担当だった木村晋介は、午前の前番組の内包番組である『ラジオ身の上相談』での明快な回答を買われての抜擢だったが、7時間30分をまるまる身の上相談に費やすような内容であったため、たちまち苦情が来たという。また、改編に伴って人気コーナーの「お色気大賞」が撤廃されてしまったため、コーナー終了を惜しむはがきがTBSラジオ宛てに届いた。1985年10月7日から、てこ入れ策として『村野武憲のいきなりラジオ』として独立していた木曜日を吸収合併し、内容の一新を行った。前任のサポート役として出演していた桝井論平を昇格させた金曜日を含めて、当時のTBSアナウンサーをメインパーソナリティとしたが、低聴取率を回復するには至らず、この大幅な改編は結果的に失敗した。1986年4月4日をもって番組は終了。7時間30分の放送枠は、『大沢悠里のゆうゆうワイド』(8:30 - 12:00)、『ロンペーのときめきランチタイム』(12:15 - 12:45)、『小島一慶の歌謡大放送』(13:00 - 16:00)に分離された。当番組について、パーソナリティを務めた者も、内包番組担当者すら触れておらず、同局でのタブーに近い扱いとなっている。太字は担当当時TBSアナウンサー
出典:wikipedia
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