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水曜どうでしょうの企画 (海外)

水曜どうでしょうの企画 (海外)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に海外ロケを中心にして放送された企画について述べる。企画名については番組内で多数の呼び方があるものもあるが、本記事においては正式タイトルはDVD版のものとし、未DVD化企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。ローカル局の深夜番組としては異例の、何日にも渡る海外ロケを行うのも『水曜どうでしょう』の特徴である。数か月分の制作費を一気に前借りしてロケをするため、海外企画の前後には制作費のかからない総集編やNG集、あるいは「シェフ大泉」「釣りバカ対決」などのいわゆる「お手軽企画」が放送されることが多い。なお、「onちゃんカレンダー」企画でもどうでしょう班+安田顕(以下「安田」)は海外(ハワイ、ラスベガス)を訪れているが、企画の大半はスタジオでの撮影で行われており、海外企画としてもナンバリングされていないため、この項目ではなく「水曜どうでしょうの企画 (日本国内)」を参照。放送時のタイトルは「大陸縦断 〜オーストラリア完全制覇〜」。番組開始後3ヶ月あまりの1997年1月に敢行された、水曜どうでしょう初の海外ロケ。オーストラリアのダーウィン〜アデレード間をレンタカーで縦断する企画。椎名誠の著書「熱風大陸―ダーウィンの海をめざして」を参考に、椎名とは逆方向にオーストラリアを縦断した。番組立ち上げの際、藤村忠寿ディレクター(以下「藤村D」)が鈴井貴之(以下「鈴井」)に話した「新番組では海外ロケを行う」という発言が実現。当初は途中で終了し帰国する予定であったが、「いける」と確信したどうでしょう班は酷暑、ハエの大群、ツイスターといった自然の驚異に苦しめられながらも完全縦断を達成した。道中、偶然にも塩湖を見つけ、この偶然の発見を「どうでしょうの原点」と言う藤村Dに対して、大泉洋(以下「大泉」)は「テレビであってはいけないこと」と、事前計画なしに進むロケへ警鐘を鳴らした。ゴール地点のアデレードに到着後、鈴井の口から大泉に「我々はこれから札幌に帰るわけです。『帰る』と言えば?何か振るものとかありますよね?」と告げられた。これを聞いた大泉は「ここからサイコロで帰る」と半分信じたのだが、実はこの発言は鈴井の機転を利かせたアドリブから生まれたプチドッキリだった。レンタカーはトヨタ・ランドクルーザーを砂漠地帯向けに改良した車両を使用。「100km/h以上速度を出すとバーストする」などと注意を受けたが、何事もなくアデレードに到着。しかし、ゴール後に車は故障してしまい、トラックで運ばれて行った。ディレクター陣がレンタカー会社に事情を説明に行っている間、2人を待っている鈴井は大泉と一言も口を聞かなかったため、「車を壊して鈴井さんは怒っている」と大泉はすっかり怯えていた。しかし、その鈴井当人は、大きな企画を初めてやり遂げた達成感からか泣きそうになっていたという。放送時のタイトルは「サイコロ韓国 〜韓国完全縦断〜」。何も知らない大泉を連れ出し、いきなり海外へ連れて行くといういわゆる「ドッキリ」要素が入った企画。「サイコロの旅」をアレンジし、朝・昼・晩の食事場所およびメニューをサイコロで選び、実際にその場所へ移動するという企画である。移動には飛行機や列車、タクシー等の交通機関が使われた。しかし特急列車ムグンファ号では座席に座れずデッキで3時間半を過ごし、韓国にはないと思われた深夜バスにも搭乗(実は韓国は深夜バス大国であった)、出演陣は疲労困憊してしまった。グルメ企画ということだったが、店頭に到着した時点で「食事できる人」をカードを引いて抽選しなければならず(「全員食える」「全員食えない」「鈴井と大泉食えない」「ディレクター食えない」「鈴井食えない」「大泉食えない」の6枚)、場合によっては全員食べられない事もあるなど過酷な内容となった。なお、あまりにも食事にありつけなかったことから、サイコロで選ぶ食事以外は例外的に食べても良いことになり、釜山のマクドナルドで飢えをしのいでいる。しかし、最後にわざわざ行った済州島では「全員食えない」を引いてしまい、そのまま企画終了となった。放送時のタイトルは「欧州走破 〜ヨーロッパ21ヵ国完全制覇〜」。番組開始1周年を記念し、9週に渡って放送した大型企画。本放送時は特番として第1、2夜が各45分で放送されたが、『リターンズ』は販売目的のために30分に短縮される編集がなされた。『Classic』では第1・2夜を再編集し3回に分け、全10週に渡って放送された。そのためこの3回分では、2004年に新規収録した前枠・後枠を使っている(主に企画の説明)。企画名は番組内・各種資料などで「-完全走破」と「-完全制覇」が入り乱れている(例として、前枠では鈴井が「完全制覇」と発言しているが、あらすじVTRでは「完全走破」になっている、等)。企画はその名の通り「(1997年当時ビザを必要としなかった)ヨーロッパ21ヵ国をレンタカー(ルノー・ラグナ)ですべて回る」という企画である(実施期間は10日間であるが、飛行機移動日数や時差を含めると、実質8日間)。ヨーロッパ連合(EU)発足に伴い、どうでしょう班が目をつけた企画。なお、ヨーロッパシリーズ全体を通して、経路にはアイスランド、マルタ、ギリシャ、キプロス、並びに東欧諸国は含まれていない。当初鈴井が掲げた旅のテーマは「メルヘン」で、番組中では『くまのプーさん』や『アルプスの少女ハイジ』にゆかりのある土地を訪れている。鈴井は出発前から「この旅で21ヵ国回れなければ、僕は番組を辞める」と並々ならぬ決意を表明していた(ただし、鈴井自身も21ヵ国全て回れるとは思っておらず、「とにかく“頑張るどうでしょう陣”を見せたかった」とDVD副音声で語っている)。しかし、当初から公表したイギリスの隣国・アイルランドを無視していた上、北欧4ヵ国を経由しなかったことや、大泉や藤村Dの「旅を楽しめばいいじゃん」と言う発想・陰謀によって、鈴井が想定していなかったルート(3、4日目の古城街道とロマンティック街道)を巡ったことから「完全制覇」は崩れ去った。結局、6日目から7日目にかけて徹夜でスイス→地中海→アンドラ→フランスを走る強行軍を敢行したことで、鈴井が好む「合宿」(ミスターのいいじゃないか!運動参照)的要素は含まれたものの、この一連の流れは大泉や藤村D主導で番組を盛り上げる現在の形態のきっかけとなるとともに、鈴井が寡黙になって行く一つの原因となり、DVD副音声の鈴井出演回ではそれがトークの主題となっている。なお、このロケの影響で、鈴井は自身のラジオ番組『GO・I・S』(AIR-G')を休み、該当期間中は電話(ほとんどは公衆電話から)での出演のみとなった。この間に代理パーソナリティを務めたのが樋口了一であり、これがきっかけで「1/6の夢旅人」が誕生する。「どうでしょうの時間枠変更記念として印象に残る企画を」というディレクターの意向から実施された企画(太田出版「QuickJapan Vol.52」より)で、マレーシアのジャングルの中で様々な形で野生動物の観察を行った。そのロケの過酷さからどうでしょう班の全会一致で「もう2度と行きたくない場所」となったが、6年後に「ジャングル・リベンジ」で再び訪れる事になる。香港観光協会からの誘いを受け、香港の魅力的なところを紹介する企画。海外企画としては初めてのタイアップロケとなる。この企画の前フリとして「鈴井貴之拉致計画に見せかけた大泉洋拉致事件」があるが、一部地域で放送を見合わせる場合がある。『Classic』ではすべての地域で未放送。鈴井の長年の夢であった、オーロラを見に行くという企画(ただし、それはあくまでテレビ的な建前で、本当は藤村Dが夏のアラスカに行きたかっただけとのこと)。キャンピングカーをレンタル(この移動手段も当時藤村Dがキャンピングカーにはまっていたため)し、米国アラスカ州の州都アンカレッジからマッキンリー有するデナリ国立公園やユーコン川を超えて北極圏にあるオーロラが出現する人口12人(1998年当時)の町「」を目指す。しかし天候に恵まれず、結局オーロラは見られなかった。しかし、どうでしょう一行が訪れた1998年から2000年は1番オーロラが良く見えていた事が発覚した。この企画では現地でキャンピングカーをレンタルし、道中のキャンプ場に停めて宿泊するという形態で旅程を消化していったが。この中で大泉が料理長に任じられ夕飯を担当することとなる。これが後の「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」や「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」など、「シェフ大泉」シリーズの企画へと発展していくきっかけであり、別名の「ピストル大泉」は、第5夜で大泉が自ら「ビストロ」を「ピストル」と言い間違えたことに起因する。これ以降、大泉が料理を作る時の「おみまいするぞー!」は決まり文句となる。アンカレッジに着いて向かった氷河クルーズへ赴く際に利用したアラスカ鉄道にて、鈴井の名前が「CUZUI(クズイ)」と誤記されていたため、エンディングクレジットでは「CUZUI TAKAYUKI」というアルファベットが当てられている。番組内でたびたび使用されている、藤村Dおよび(稀に使用される)嬉野雅道ディレクター(以下「嬉野D」)の似顔絵は、この企画の最中に大泉によって描かれたものである。水曜どうでしょう official websiteのトップ画面の絵にはこの似顔絵を使った犬のキャラクターが描かれており、「藤やん犬」の愛称で親しまれている。第1夜はプロローグの「ANAで行くサンフランシスコ」が行われた。これは全日本空輸 (ANA) からのタイアップオファーとして、同社のビジネスクラスサービスである「CLUB ANA」でのサンフランシスコ行き航空券が送られた関係である。そのことからCLUB ANAの特典内容についても事細かに説明され、ラウンジや機内での様子も通常企画より長く映されている。特に機内映画サービスで『アルマゲドン』が上映されることを知った大泉は、藤村Dに「バカみたいに3回観なさいよ『アルマゲドン』ばっかり」「泣くなよ」などと発言していたが、結果的に自身が2回(+『『レ・ミゼラブル』の3本)を完徹状態で見ることとなり、『アルマゲドン』のクライマックスで号泣する様子(2回双方)も放映された。なお、この当時CLUB ANA利用者に対して応募者全員プレゼントが存在し、どうでしょう班も応募を行った。だが「ゲームボーイカラー」「MDプレイヤー」「商品券(ANA利用券2万円分)」「備前焼」の4種から自らの欲しいものを取り合った結果、大泉と藤村Dが一番必要としない備前焼を押し付けあうことになった。なお、この備前焼は結局受け取っており、後に「シェフ大泉 夏野菜スペシャル」において大泉が皿を焼いた際にも比較に使われた。しかし、その“ついで”として企画された「サンフランシスコ~ワシントンD.C.間のアメリカ横断」も水面下で進んでおり、大泉にはもちろん企画内容が知らされていなかったため、翌朝のホテルで本来の企画を告げられることになった。使用した車両は「生粋のアメリカン」ことシボレー・アストロ。企画全般に渡って、アメリカでの地域時差修正による走行スケジュールの調整で苦しんでいる様子が見られる。本放送当時は「〜北米大陸 3750マイル〜」のサブタイトルが付けられていた。この企画そのものは全部で7週だが、前枠でも大泉が「ANAで行くサンフランシスコ」を含めて「第○夜」と説明していることから、全8夜の企画である。・成田→・サンフランシスコ(1日観光・宿泊)→・ラスベガス(宿泊)→・フラッグスタッフ(宿泊)→・サンタフェ(宿泊)→→・(宿泊)→・ホットスプリングス (アーカンソー州)→・(宿泊)→・マンモスケーブ→・ナッシュビル(通過)→・(宿泊)→・ワシントンD.C.放送時のサブタイトルは『〜美しき国々の人間破壊〜』。「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」において回ることが出来なかった北欧地域を中心に巡る企画。テーマは2年前と同じく「メルヘン」。パリからドイツ、デンマーク経由でスカンディナヴィア半島へ上陸後、スウェーデンを経由してフィヨルドを見るがために延々とノルウェーを北上、アラスカでのロケ以来1年ぶりの北極圏再突入を果たし、最終目的地であるフィンランドのヘルシンキを目指した。ちなみに、12月8日放送分の視聴率・18.6%はレギュラー放送時代の最高視聴率であり、「ゴールデンスペシャル サイコロ6」の放送決定へ繋がった。フランス〜デンマーク間ではメルセデス・ベンツ・Eクラス(2代目)、スカンディナヴィア半島ではボルボ・S80(初代)と、いわゆる「高級セダン」がレンタカーとして用いられた。これは、マニュアル車が全盛の欧州地域ではオートマチック車のレンタカーが小型車に設定されていないためであるが、どうでしょう班は「オートマチック車に乗りたかった」とのこと(『どうでしょう本』より)。本企画は「過去に行った海外ロケの中で最も辛い」と評され、 大泉・D陣に至っては、ゴール後に帰りの機内で『鉄道員』が流されたのを鑑賞するうちに、「ようやく帰れるんだ」と共々泣いてしまったことをインタビューで明かしている。また、番組自体の休止を挟んだこともあって、この企画から「中米・コスタリカで幻の鳥を激写する!」までの約1年半の間、海外長期ロケは執り行われなかった。この他にもD陣の2人は「この企画が“長期の海外ロケ”に大きな変化をもたらした」旨をホームページ上にて語っており、現地ガイドを付けない4人だけでの海外ロケは2006年放送の「ヨーロッパ20ヵ国完全制覇 〜完結編〜」まで行われていない。本企画内で、大泉が「SMAP×SMAPあたり出れないかなぁ」と発言し、藤村が「大泉くんやっぱりスマスマ出るのが目標だなぁ」と返す場面があるが、このシーンは本放送から約15年後の2014年に大泉がBISTRO SMAPに出演した際、番組内のVTRでも紹介されている。中央アメリカ地域に生息し、“幻の鳥”とも呼ばれる「ケツァール」を撮影するという企画。「onちゃんカレンダー」以来となる“写真家”大泉洋の登場する企画であり、現地での工程には、HTBの元社員でコスタリカに移住した「ひろしくん」こと清水浩(大泉がデビューした『モザイクな夜V3』のディレクター)が案内人として全面協力している。3月6日、サンホセ空港からコルコバード国立公園近くの空港まで行くチャーター便(TAXI AEREO)に乗る際、天気は快晴だったもののかなりの強風が吹いていた。大泉は「こんな中で飛ぶんだろうか?いや、飛ばすからたまに落ちるんだろう」などと発言。「去年は4機落ちた」「朝は落ちる確率が少ない」などひろしから聞いた衝撃的な話を披露した。またこの時、現地で約300円で購入した『純粋人生コスタリカ』と日本語で書かれたお揃いのTシャツも披露された。一行を乗せた飛行機が離陸する際、事故で墜落したであろう無残な姿の機体がそのまま空港内に放置されている恐ろしい光景をカメラは捉えている。40分もの間大きな揺れに襲われ大泉は激しく酔ったが、ギリギリ吐かずに済んだ。一行が宿泊したのは「カーサ・コルコバード」。当時、交通費・食事全て込みで2泊3日1人約8万円だった。探索ガイドを務めたのはカルロス。しかし発見し解説を受けるのは植物類など画的に地味なものが多く、肝心の動物類はミスターが先に見つけることが多いなど、ガイドに不満を漏らす場面もあった。また、カルロスから「ここにケツァールはいない、で見た」と言われたことを明らかにした。3月9日、サンホセの「コカコーラ・バスターミナル」から2時間かけ標高2000メートルもある「サン・ヘラルド・デ・ドータ("San Gerardo de Dota")」へ向かうバスに乗り、下車後さらに迎えの車で9kmの山道を進んだ。一行が宿泊したのは「Montaña Savegre」。当時、1泊3食つきで1人約7000円だった。到着早々多くのハチドリを発見し気持ちは高まったが、鈴井が「僕はショックなものを見てしまいました」と発言。2階のロッジでハチドリが餌付けされている衝撃的光景をカメラが捉えた。その様を見て藤村Dは「何だいあれ?ハエみたいにたかってんじゃねぇか」と表現した。撮影に使われたカメラはピント調整・露出調整・フィルム送りなどが完全にマニュアル操作の機種であり、「フィルムを巻いていなかった」「フィルムが切れていた」といった凡ミスを連発して撮影機会を逸してしまうことが多々あった。この他、「onちゃんカレンダー」の撮影においても使用された600mm超望遠の“バズーカ”が登場。その名の通り特大かつ重く、更にピントが合わせづらいという使いにくい代物であった。また、本来は手持ち使用を想定したものではないため、撮影時には鈴井が三脚代わりに肩を貸すなどをしていた。最初に訪れたでは小さなトカゲや他の鳥ばかりを撮ったものの、ケツァールには巡り会えなかった。そして、最後のチャンスに訪れたで見事ケツァールの撮影に成功した。第6夜では「撮影された写真は札幌市内のスーパーで「大泉洋・ケツァール展」として展示。一切告知せず行ったことからたまたま買い物をしていた主婦だけが見ただけだった。『HTBニュース』内でもイベントが取り上げられ、その模様が放映された」という一連の流れががあるが。これはオチとして「ローカルニュースでアマチュア写真家の写真展が行われた事を伝える」という映像を作りたかっただけの事であり、実際には展示会そのものも行われていない。ただし、ニュースの最後で紹介されたポストカードは実際発売されたものである。前企画として行われた「対決列島 〜甘いもの国盗り物語〜」において、敗者チームとなった鈴井・大泉の「ミスターチーム」に対する罰ゲームとして実施された。その名の通り、ユーコン川(カナダ領内)をカヌーで川下りするだけの企画だが、罰ゲームとして選定された理由は「藤村Dの憧れがユーコンをカヌーで下ること」だったためで、カナダ領内でロケが行われたことに関しては、藤村Dが「アメリカ領内で行うよりも費用が安い」ことに起因することを明かした。カヌーは2人乗りで、主に大泉が前、鈴井が後を担当。企画説明の段階で聞かされた藤村Dの事前情報では「川の流速は4km/h程度で、穏やかな流れ」と説明されていたが、現地到着後にユーコン川を見学した際には「(川の増水もあり)だいたい10km/h」と聞かされる。これに対し大泉は「もう早くも倍以上のスピード言ったぜ」と驚きを隠せない様子であった。D陣およびガイドの2人はモーターボートで並走したが、藤村Dは首を痛めた大泉のピンチヒッターとしてカヌーを漕いでいる。主に舵を担当していた鈴井は、一度ずつ藤村Dと大泉に舵の役割を任せる場面もあった。しかし、藤村Dの担当時には交信用トランシーバーを装着している間の操作がおざなりになり岸へ、大泉の担当時には舵の担当が不慣れだったのもあり、目の前の流木群へ衝突している。どうでしょう班の他にツアーへ同行したのは、現地ガイドの熊谷芳江("Sweet River Enterprises")とピート・ニールセン("Pete Neilsen")の2名。また、川下りの前後にはメアリー・ウォールデン("Mary Walden")がツアーの詳細な説明、及びゴール地点で一行を迎える役目を担当した。ユーコン川の水温は非常に低く、熊谷から「万が一水に落ちた場合は2分以内に上がらないと低体温症になって危険」と説明されるほどであった。カナヅチである鈴井はこの企画に際し、部屋を片付けて妻と娘に向けた「遺書に近い手紙」まで書き置く決意で挑んでいた。「Last Run」と銘打ち放送された、『どうでしょう』レギュラー放送の最終企画。海外での定番企画「縦断」と、それまで日本国内で行っていた「カブ」を合わせた、番組放送6年間の集大成企画である。なお、行程はハノイからホーチミンであるが、国道一号線直通路ではなく、ダーラットを経由したため、2,000km近い距離となった。今回のロケでは鈴井・大泉・藤村D・嬉野Dのどうでしょう班に加え、現地通訳の“ニャン”、政府公安(警察)の“タイン”、公安の通訳“フン”、現地ドライバーの“ホアン”の4名が参加。計8人の「大所帯」となった。これはビザ申請の際に「ベトナム政府の公安をロケに同行させる事が絶対条件」とされたためである。また、終盤では鈴井が交信用のトランシーバーを紛失したため、新品を届けるためにたまたまベトナムを訪れていた鈴井の夫人がロケに合流。声のみ出演した。今回「カブ」鈴井・大泉がとして使用したのは、マニュアル(足)での変速(自動遠心式クラッチ)を要する日本国内での「スーパーカブ」ではなく、変速操作を必要としないホンダの「ドリーム ll」である。また、鈴井が一部でヘルメットを着用していない嬉野Dを後ろに乗せて、二人乗りで走っているシーンが映っている。これはロケ当時のベトナムでは、一部においてバイクのヘルメット無着用運転も合法だったことによる(2007年に着用義務化)。映像には常にタレントの背中しか映らないため、途中からシャツの背中にメッセージを書いている。この企画での前枠と後枠は「懐かしの前枠・後枠集」と題されており、全ての前後枠が過去の企画を流用したものとなっている。『Classic』においては一部後枠の編成が変更されたり、放送されていないものがある。

出典:wikipedia

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