ニウマール(Nilmar)ことニウマール・オノラート・ダ・シウバ(Nilmar Honorato da Silva、1984年7月14日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州バンデイランテス出身のサッカー選手。アラビアン・ガルフ・リーグ・アル・ナスルSC所属。元ブラジル代表。ポジションはフォワード。SCインテルナシオナルの下部組織出身で、2003年と2004年はトップチームに在籍した。2004年夏、放出したFWエウベルの穴埋めを探していたフランスのオリンピック・リヨンに移籍金675万ユーロ(約8億8400万円)で引き抜かれた。デビュー戦となったスタッド・ランス戦で途中出場ながら2得点し、鮮烈なリーグ・アンデビューを飾るが、フランスのサッカーに馴染めず、ホームシックにもかかり、それ以後はリーグ戦の得点がなかった。2005年夏にはFWフレッジが加入したため、出場機会を求めて母国のコリンチャンスにレンタル移籍した。コリンチャンスではカルロス・テベスと2トップを組んで好結果を残したが、オリンピック・リヨンにはフレッジの他にFWシルヴァン・ヴィルトール、FWミラン・バロシュ、FWシドニー・ゴブがおり、前線の選手が足りていたため、コリンチャンスへ完全移籍した。2007年8月17日、裁判の結果コリンチャンスとの契約が解除され、どのクラブとの交渉も可能になった。ブラジルやヨーロッパの主要なクラブのいくつかが興味を示していたが、9月に古巣SCインテルナシオナルと契約し、11月4日のCRヴァスコ・ダ・ガマ戦でデビューし、いきなりマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。2008年1月のドバイカップ決勝ではイタリアのインテル・ミラノを破る得点を挙げた。2008年夏にはUSチッタ・ディ・パレルモが移籍金1500万ユーロでニウマールの獲得を狙い、ASローマからも関心を示されたが、その申し出を拒否した 。12月にはコパ・スダメリカーナ決勝で決勝点を決め、ブラジルのクラブとして初めて同タイトルを獲得したクラブとなった。SCインテルナシオナルでは78試合35得点と高いゴール決定率を誇った。2009年7月27日、5年契約でビジャレアルCFへ移籍した。具体的な移籍金は明かされていないが、フェルナンド・ロイグ会長が「クラブ史上最高額だ」と明かしていることから移籍金は1000万ユーロ(約13億5000万円)以上といわれている。入団発表が行われた本拠地エル・マドリガルには4000人のファンがつめかけた。8月30日、シーズン開幕戦のCAオサスナ戦で先発出場してデビューを飾り、9月25日のPFCレフスキ・ソフィア戦で移籍後初得点となる決勝点を決めた。10月25日のマラガCF戦でリーガ・エスパニョーラ初得点を決めた。中盤戦まではホセバ・ジョレンテとの併用の形だったが、2010年1月に3試合連続ゴールを決めてからは多くの試合で先発出場するようになった。チームのフォワード中トップの先発回数を記録し、2009-10シーズンはリーグ戦で11得点を決めた。2015年7月31日、UAEのアル・ナスルSCと合意に達したと発表した。契約期間は2年である。2003年7月13日、CONCACAFゴールドカップのメキシコ戦でブラジル代表デビューし、決勝でメキシコに敗れたその大会で3試合に出場した。ブラジル代表はU-23代表を大会に送り込んだが、FIFAにはフル代表として認識されている。2004年8月18日、6-0で勝利したハイチ戦で初得点した。4年のブランクの後、2008年8月29日のチリ戦とボリビア戦のためにドゥンガ監督によって代表に招集された。ラファエル・ソビスが負傷により代表を外れていた。2009年6月10日、2010 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦でフェリペ・メロのクロスから決勝点を決めた。2009年6月、南アフリカでのFIFAコンフェデレーションズカップに出場するメンバーに選ばれた。自身の出場は1試合だけだったが、イタリアやアメリカなどを破って優勝を果たした。2009年9月9日のチリ戦ではハットトリックを決め、4-2での勝利に貢献した 。11月14日のイングランドとの親善試合では両チーム唯一の得点を決めた。その3日後のオマーンとの親善試合でも得点した。2010年5月には2010 FIFAワールドカップに出場するブラジル代表メンバーに選ばれた。10月7日のイランとの親善試合ではチームの3点目を決めた。
出典:wikipedia
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