アンドリュー・バロン・"アンディ"・マリー (Andrew Barron "Andy" Murray, 1987年5月15日 - )は、スコットランド・出身、イギリス国籍の男子プロテニス選手。身長190cm、体重84kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATP World Tourの自己紹介動画などでは、本人が「マリー」とも「マレー」とも発音しているため、「アンディ・マレー」とする表記も多い。ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪でシングルス選手としては男女通じて初のオリンピック連覇を達成。4大大会では3度の優勝経験があり、特にウィンブルドン選手権では2013年の大会でイギリス人選手77年ぶりの優勝者となり話題になった。マスターズ1000優勝13回。シングルス自己最高ランキングは2位。生涯獲得賞金ランキング歴代4位。ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、ノバク・ジョコビッチと共にBIG4と称される。1歳年上の兄ジェイミー・マリーもプロテニス選手で、ダブルスのスペシャリスト。アンディ・マリーはスコットランドのナショナル・コーチを務めていた母親のの手ほどきにより、3歳からからテニスを始めた。8歳のときに通っていた小学校で児童16人、教員1人が射殺されたに遭遇し、机の下に隠れて難を逃れている。少年時代はサッカーでも才能があり、スコットランドの名門サッカークラブ「グラスゴー・レンジャーズ」からスカウトを受けたこともあるが、職業としてテニスに専念する。2003年からATPチャレンジャーツアー、フューチャーズサーキットに出場し始める。彼の初大会であるマンチェスターチャレンジャーでベスト8入り。グラスゴーフューチャーズで初タイトルを獲得した。エディンバラフューチャーズでもベスト4入り。2004年7月にノッティンガムのチャレンジャー大会に出場するも2回戦でジョー=ウィルフリード・ツォンガに敗れる。ハティバとローマの大会には優勝した。2004年全米オープンの男子ジュニアシングルス部門で優勝。オーストリア戦のデビスカップイギリス代表に選ばれるも出場はなかった。この年BBC Young Sports Personality of the Yearを受賞。2003年には世界ジュニアランキングでシングルス6位、ダブルス8位。2004年には2位にランクインした。2005年全仏オープンまではジュニア選手の大会にも出場したが、この年からプロテニス選手として本格的な活動を始め、地元のウィンブルドン選手権大会で4大大会の本戦にデビューした。初出場のウィンブルドンでダビド・ナルバンディアンとの3回戦に勝ち進み、マリーはイギリスの新しい才能として期待を集めた。続く全米オープンでは2回戦でアルノー・クレマンに敗れたが、9月末にタイ・オープンで初のツアー大会決勝進出を果たす。2005年末には世界ランキングを一気に64位まで上げ、10代の男子テニス選手としてはノバク・ジョコビッチに続く高いポジションにつけた。2006年2月13日、アンディ・マリーはSAPオープンの決勝でレイトン・ヒューイットを2-6, 6-1, 7-6で破り、18歳9ヶ月でツアー初優勝を果たす。4大大会でも、2度目のウィンブルドンでは3回戦でアンディ・ロディックとの“アンディ対決”を7-6, 6-4, 6-4で制してさらに評価を高めたが、4回戦でマルコス・バグダティスに3-6, 4-6, 6-7のストレートで敗れた。8月のシンシナティ・マスターズでは、2回戦で当時ランク1位のロジャー・フェデラーに勝利する大金星を挙げ、2006年シーズンにナダル以外で、フェデラーから勝利をあげた唯一の選手となった。全米オープンで第17シードを得たマリーは、ニコライ・ダビデンコとの4回戦まで勝ち進み、一気に世界ランキング16位まで上昇した。全豪オープンで第15シードを得たマリーは、4回戦で第2シードのラファエル・ナダルに7-6, 4-6, 6-4, 3-6, 1-6のフルセットで惜敗した。2月にSAPオープンで2連覇を達成し、10月第3週のサンクトペテルブルク・オープンでツアー3勝目を挙げた。他にもマスターズでは2度ベスト4に残った。2008年のシーズンに入り、マリーは5つのシングルス優勝を加えた。ウィンブルドンでは初めて準々決勝に駒を進めたが、ナダルに3-6, 2-6, 4-6のストレートで完敗した。ウィンブルドン終了後、7月末のシンシナティ・マスターズでは第8シードで出場。サム・クエリー、ドミトリー・トゥルスノフ、カルロス・モヤ、イボ・カロビッチを破り決勝進出。決勝で第3シードで同い年のジョコビッチを破り、ATPマスターズシリーズ初優勝を達成。全米オープンでは第6シードとしてセルヒオ・ロイトマン、ミカエル・ロドラ、ユルゲン・メルツァー 、スタン・ワウリンカに勝利。準決勝で世界ランキング1位のナダルを6-2, 7-6, 4-6, 6-4で破って決勝進出を決めた。初進出の決勝戦では、第2シードのフェデラーに2-6, 5-7, 2-6で敗れて準優勝になった。10月のマドリード・マスターズでは第4シードで出場。シモーネ・ボレッリ、マリン・チリッチ、ガエル・モンフィス、第2シードのフェデラーを破り決勝進出。決勝ではジル・シモンを6-4, 7-6で勝利し優勝。マスターズ2勝目を挙げる。年間最終戦であるテニス・マスターズ・カップに初出場。フェデラー、ロディック、ジル・シモンに勝利し3勝0敗でラウンドロビン通過するも準決勝でダビデンコに敗北。最終的には世界ランキング4位で終える。5月のインディアンウェルズ・マスターズでは第4シードで出場。トミー・ロブレド、イワン・リュビチッチ、第2シードのフェデラーを破り決勝でラファエル・ナダルに敗れ準優勝。第4シードで出場したマイアミ・マスターズではフェルナンド・ベルダスコ、フアン・マルティン・デル・ポトロ、ジョコビッチを倒し優勝。マスターズ3勝目を挙げる。ウィンブルドン選手権では、地元の期待を背負いながら初の準決勝に進出したが、第6シードのロディックに4-6, 6-4, 6-7(7), 6-7(5)で敗れて決勝進出を逃した。ロジャーズ・カップでは第3シードで出場。フアン・カルロス・フェレーロ、ダビデンコ、ジョー=ウィルフリード・ツォンガ、デルポトロを倒し優勝。マスターズ4勝目を挙げた。同年8月17日付の男子ツアーシングルス世界ランキングで、マリーは初めて「2位」にランクされ、両膝の故障で戦線を離脱していたナダルを抜いた。しかし、前年度に準優勝の成績を出した全米オープンでは4回戦でマリン・チリッチに敗れ、ここでいったん世界ランキングが後退した。年末ランキングでは2年連続4位となる。フェデラー/ナダル2強に対して、2008年全豪優勝ジョコビッチ、2009年全仏準優勝セーデリング、2009年最終戦優勝ダビデンコ、2009年全米優勝デルポトロ共に次世代No.1候補になった年である。ホップマンカップではローラ・ロブソンとペアを組み出場。カザフスタン、ドイツ、ロシアを倒し決勝進出するも決勝でスペインに敗れる。2010年の全豪オープンでは、ジョン・イスナー、第2シードのナダル、マリン・チリッチを倒し、イギリス人男子選手として1977年12月のジョン・ロイド以来33年ぶりの決勝進出を決めた(1977年度の全豪オープンは、年頭の1月開催と年末の12月開催の2度行われ、ロイドの決勝進出は年末開催のイベントだった)。この決勝戦でも再びフェデラーに3-6, 4-6, 6-7(11)のストレートで敗れ、初優勝はならなかった。全仏オープンでは4回戦でトマーシュ・ベルディハに敗れる。ウィンブルドン選手権ではジル・シモン、サム・クエリー、ツォンガに勝利しナダルに敗れるも2年連続ベスト4入り。ロジャース・カップではガエル・モンフィス、ダビド・ナルバンディアン、第1シードのナダルらを破り決勝進出。決勝ではフェデラーを7-5, 7-5で勝利し2連覇達成。全米オープンはマリン・チリッチに敗れ4回戦敗退。上海マスターズではジェレミー・シャルディー、ツォンガ、フアン・モナコらを破り決勝進出。決勝でフェデラーに6-3, 6-2で勝利しマスターズ6勝目を挙げる。2010年ツアーで5360ポイントを稼ぎ第5位の成績でATPワールドツアー・ファイナルに出場。ラウンドロビンはフェデラーに敗れるもロビン・セーデリング、ダビド・フェレールに勝利し準決勝進出。準決勝でナダルに6-7, 6-3, 6-7で敗れる。全豪オープンで2年連続となる決勝に進出したが、ジョコビッチに4–6, 2–6, 3–6のストレートで敗れ4大大会3度目の準優勝となった。年末世界ランキング3年連続4位となる。マリーは全仏オープンで初めてのベスト4に進出したが、ナダルに4-6, 5-7, 4-6で敗れた。ウィンブルドン選手権で3年連続の準決勝に進出したが、またもナダルに7-5, 2-6, 2-6, 4-6で敗れた。ウィンブルドン後のデビスカップではルクセンブルクのローラン・ブランに6-0, 6-0, 6-0で勝利し、オープン化後以降8人目のトリプルベーグル達成者となった。マスターズ1000では第4シードで出場したシンシナティ・マスターズではジル・シモン、マーディ・フィッシュらを倒し決勝進出。決勝では第1シードのジョコビッチに勝利し3年ぶりの優勝。全米オープンでも準決勝に進出し、2011年の4大大会全てでベスト4以上に進出したが、準決勝でナダルに4-6, 2-6, 6-3, 2-6で敗れた。年間での4大大会すべてベスト4入りは男子史上7人目。秋のアジアシリーズではタイ・オープン、ジャパン・オープン・テニス選手権で2大会連続優勝を果たし、第2シードで出場した上海マスターズはスタン・ワウリンカ、マシュー・エブデン、錦織圭らを倒し決勝進出。決勝ではフェレールに7-5, 6-4で勝利し優勝。しかし最終戦のATPワールドツアー・ファイナルではフェレールとの1試合目を落とした後、太もも付け根の負傷のため大会を棄権した。最終世界ランキング4年連続4位となる。2012年度より、コーチとして往年の名選手でもあるイワン・レンドルを招聘した。全豪オープンでは準々決勝で錦織圭に6-3, 6-3, 6-1で快勝したが、準決勝でジョコビッチに3-6, 6-3, 7-6(4), 1-6, 5-7 で競り負けた。ウィンブルドンでは、イギリス人選手としては74年ぶりの決勝進出を果たすも、フェデラーに6-4, 5-7, 3-6, 4-6で敗れ、1936年大会のフレッド・ペリー以来の優勝を逃した。それでも、続くロンドンオ五輪ではスタン・ワウリンカ、ヤルコ・ニエミネン、マルコス・バグダティス、ニコラス・アルマグロ、ジョコビッチを倒し決勝進出。決勝でフェデラーを6-2, 6-1, 6-4で破り、地元開催のオリンピックで金メダルを獲得した。イギリス人選手の金メダリストはジョシア・リッチー以来104年ぶりとなる。また、ローラ・ロブソンとのペアで出場した混合ダブルスでは銀メダルを獲得した。全米オープンではアレックス・ボゴモロフ・ジュニア、イワン・ドディグ、フェリシアーノ・ロペス、ミロシュ・ラオニッチ、マリン・チリッチ、トマーシュ・ベルディハを倒し決勝進出。決勝でジョコビッチを7-6, 7-5, 2-6, 3-6, 6-2全米決勝史上最長タイの4時間54分に及ぶ激闘を制し、4大大会5度目・初の決勝進出から4年越しでの悲願のグランドスラムタイトルを手に入れた。その後の上海マスターズでは決勝でジョコッビッチに7-5, 6-7, 3-6とマッチポイントを握るも敗退し3連覇とはならなかった。ATPワールドツアー・ファイナルではトマーシュ・ベルディハ、ツォンガに勝利しラウンドロビンを突破するも準決勝でフェデラーに敗退した。最終世界ランキングで初めてナダルを上回り3位となる。2013年年初に行われたブリスベン国際では、決勝で若手のグリゴール・ディミトロフを下し2連覇。全豪オープンでは、準決勝でフェデラーにフルセットで勝利したが、決勝ではジョコビッチにセットカウント1-3で敗退し準優勝に終わる。3月のソニー・エリクソン・オープンでは第2シードで出場。バーナード・トミック、グリゴール・ディミトロフ、アンドレアス・セッピ、マリン・チリッチ、リシャール・ガスケを破り決勝進出。決勝でフェレールを2-6, 6-4, 7-6で下し2009年以来4年ぶりの優勝。またマスターズ1000の優勝は2011年上海マスターズ以来となる。クレーコートシーズンのマスターズ3大会は、2回戦敗退や3回戦敗退など早期敗退が目立った。全仏オープンは腰の痛みにより欠場し、4大大会連続決勝進出も3大会でストップ。9大会連続ベスト8入りもストップした。復帰後のエイゴン選手権決勝でマリン・チリッチを下しシーズン3勝目を挙げた。ウィンブルドンでは、ベンヤミン・ベッカー、盧彦勳、トミー・ロブレド、ミハイル・ユージニー、フェルナンド・ベルダスコ、イェジ・ヤノビッチを倒し決勝進出。決勝戦でジョコビッチを6-4, 7-5, 6-4で破り、1936年のフレッド・ペリー以来77年ぶりとなる悲願の地元ウィンブルドン優勝を達成した。最終世界ランキングは自身5回目となる4位につける。1月22日、第4シードで臨んだ全豪オープンでは準々決勝で第6シードのフェデラーに敗れベスト8。6月7日、全仏オープンでは大会第1シードのナダルに6-3, 6-2, 6-1で敗退しベスト4。7月3日、前回王者として望んだウィンブルドンでは準々決勝で第11シードのグリゴール・ディミトロフに敗れベスト8に終わる。ウィンブルドンでベスト4に上がれなかったのは2008年以来6年ぶり。9月4日、全米オープンに大会準々決勝で第1シードのノバク・ジョコビッチに敗れベスト8。9月28日、深圳オープンでトミー・ロブレドを5-7, 7-6, 6-1で下し、昨年のウィンブルドン以来、1年以上ぶりに優勝した。10月19日エルステ・バンク・オープンでフェレールとの接戦を制し、5-7, 6-2, 7-5で勝利しての優勝。ATPポイントで11位から8位に浮上。10月26日、バレンシア・オープンでシングルス決勝でトミー・ロブレドに3-6, 7-6, 7-6で競り勝ち、シングルス通算31回目のタイトルを手にした。ATPポイントで5位に浮上。その他ATPワールドツアー・マスターズ1000では5つのベスト8を飾り世界6位の成績で自身7度目の選出となるATPワールドツアー・ファイナル出場を決めた。全豪オープンでグリゴール・ディミトロフ、ニック・キリオス、トマーシュ・ベルディハらを破り2年ぶり4度目の決勝進出。決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、グランドスラムでは6回目の準優勝となった。全豪での準優勝4回はオープン化以降最多記録。2月23日、世界ランキングでナダルを上回り、2013年10月以来の世界3位となった。3月19日、BNPパリバ・オープンシングルス準々決勝が行われ第12シードのフェリシアーノ・ロペスを6-3, 6-4のストレートで下し、6年ぶり2度目のベスト4進出。この勝利により通算497勝目をあげ、ティム・ヘンマンを抜きオープン化以降イギリス人選手最多勝利を記録した。3月31日、マイアミ・オープン4回戦で第15シードのケビン・アンダーソンを6-4, 3-6, 6-3のフルセットで下し、ベスト8進出したと共に、オープン化以降46人目となるキャリア500勝を達成した。同大会2009, 2013年優勝のマリーは4年連続6度目のベスト8進出となる。決勝まで進むもジョコビッチに敗れた。5月でのBMWオープンで決勝において地元ドイツ出身のフィリップ・コールシュライバーを7-6, 5-7, 7-6のフルセットで下し、自身初のクレーコート大会での優勝を飾った。その翌週のマドリード・オープンでは準決勝で昨年準優勝の錦織圭に勝利。決勝では大会2連覇中のナダルを6-3, 6-2で勝利し大会2008年ぶり2度目・マスターズ1000では2年ぶり10回目の優勝。マスターズ1000のクレーコートでの優勝は初。またナダルにはクレーコートでの初勝利を挙げた。BNLイタリア国際では連戦による疲労のため3回戦の前に棄権した。全仏オープンでは準々決勝でフェレールにクレーコートで初勝利し、2年連続のベスト4進出、準決勝ではジョコビッチに3-6, 3-6, 7-5, 7-5, 1-6のフルセットで敗れた。6月のエイゴン選手権では決勝でケビン・アンダーソンを破り優勝、ウィンブルドン選手権ではイボ・カルロビッチ、バセク・ポシュピシルらを破りベスト4に進出するも準決勝でフェデラーに5-7, 5-7, 4-6のストレートで敗れた。8月のシティ・オープンでは第1シードで出場するも初戦でティムラズ・ガバシュビリに4-6, 6-4, 6-7(4)で敗れ、2年ぶりの初戦敗退を喫した。翌週のロジャーズ・カップでは、準々決勝で前回王者のツォンガに6-4, 6-4で、準決勝で錦織圭に6-3, 6-0で勝利、決勝でジョコビッチに6-4, 4-6, 6-3で勝利し同大会5年ぶりの優勝を果たし、世界ランキングは2013年8月以来約2年ぶりの2位となった。翌週のシンシナティ・マスターズでは3回戦でグリゴール・ディミトロフに4-6, 7-6(3), 5-2と追い込まれるもそこから5ゲーム連取し勝利、準々決勝のリシャール・ガスケ戦でも4-6, 6-1, 6-4と苦しい立ち上がりながら準決勝に進出、しかし準決勝でフェデラーに4-6, 6-7(6)で敗れた。全米オープンでは4回戦でケビン・アンダーソンに6-7(5), 3-6, 7-6(2), 6-7(0)で敗れた。上海マスターズでは準決勝でジョコビッチに1-6, 3-6で敗れた。BNPパリバ・マスターズでは決勝に進出し、ジョコビッチに2-6, 4-6で敗れたが、レースランキングで2位となり、ATPワールドツアー・ファイナルに第2シードでの出場が決まった。ATPワールドツアー・ファイナルでは初戦でフェレールに6–4, 6–4で勝利するも、第2戦でナダルに4-6, 1-6で、第3戦でワウリンカに6-7, 4-6で敗れ、2年連続のラウンドロビン敗退となった。しかし、世界ランキング3位のフェデラーが優勝できなかったため、自身初の年間最終2位となった。デビスカップ2015ではイギリス代表のエースとして活躍。初戦のアメリカ戦ではドナルド・ヤングとエースのジョン・イズナーに勝利し、準々決勝進出に貢献。準々決勝のフランス戦では第2戦のツォンガ戦に勝利。第3戦のダブルスでは兄のジェイミー・マリーと組み、マユ/ツォンガ組に勝利、第4戦のジル・シモン戦も勝利し、準決勝進出を決める。準決勝のオーストラリア戦では第1戦でタナシ・コキナキスに勝利。第3戦のダブルスでは再び兄ジェイミーと組み、グロス/ヒューイット組と対戦。フルセットにもつれるも、4-6, 6-3, 6-4, 6-7(6), 6-4で勝利。第4戦でバーナード・トミックに7-5, 6-3, 6-2で勝利し、イギリスを1978年以来の決勝に導いた。決勝のベルギー戦では第2戦でルーベン・ベーメルマンスに6-3, 6-2, 7-5で勝利。第3戦のダブルスでは三度兄ジェイミーと組み、ダルシス/ゴファン組と対戦し6-4, 4-6, 6-3, 6-2で勝利。第4戦でベルギーのエースのゴファンに6-3, 7-5, 6-3で勝利し、イギリスに79年ぶりのデビスカップ優勝をもたらした。また、デビスカップで出場全試合勝利で優勝した。シングルス8勝は1983年のマッツ・ビランデル以来。全豪オープンでは第2シードで出場。大会前より2月に第1子が出産予定のため、出産が早まった場合全豪を途中棄権することを表明していた。準決勝でミロシュ・ラオニッチに4-6, 7-5, 6-7(4), 6-4, 6-2で4時間3分の試合を制し、2年連続5度目の決勝進出。決勝でノバク・ジョコビッチと4度目の対戦で1-6, 5-7, 6-7(3)で敗れ、5度目の準優勝となり、またも初優勝とはならなかった。2月7日に第1子が誕生。3月のデビスカップからツアーに復帰し、日本と対戦し、第4試合で錦織圭と7-5, 7-6(6), 3-6, 4-6, 6-3の4時間54分の激戦を演じた。インディアンウェルズ・マスターズでは3回戦でフェデリコ・デルボニスに4-6, 6-4, 6-7(3)で敗れた。マイアミ・オープンでは3回戦でグリゴール・ディミトロフに7-6(1), 4-6, 3-6で敗れた。3年ぶりに出場したモンテカルロ・マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルに敗れた。前回優勝のマドリード・オープンでは準決勝で2年連続でラファエル・ナダルを破って、2年連続の決勝進出。決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、連覇はならなかった。BNLイタリア国際では初めて決勝に進出した。決勝でノバク・ジョコビッチに6-3, 6-3で3年ぶりにストレート勝ちし、またクレーでジョコビッチに初勝利をあげ、大会初優勝を果たした。全仏オープンでは序盤から苦しい戦いを強いられる。初戦は元世界ランク8位のラデク・ステパネクに第1,2セットを3-6, 3-6で取られるも、その後6-0, 6-3, 7-5で逆転勝ち。2回戦でも地元フランスのマティアス・ブルグに6-2, 2-6, 4-6, 6-2, 6-3と苦戦した。その後はイボ・カルロビッチ、ジョン・イズナーにストレート勝ち。準々決勝では地元フランスのリシャール・ガスケに5-7, 7-6(3), 6-0, 6-2で勝利し、3年連続ベスト4進出。準決勝でディフェンディングチャンピオンのスタン・ワウリンカに対して6-4, 6-2, 4-6, 6-2でクレー初勝利を上げ、全仏では自身初めて決勝進出を果たした。決勝ではノバク・ジョコビッチと対戦。第1セットを先取するも、6-3, 1-6, 2-6, 4-6で敗れ、初優勝はならなかった。芝シーズンでは、エイゴン選手権で優勝。ウィンブルドンでも、準決勝でトマーシュ・ベルディハをストレートで破り、3年ぶりに決勝進出。決勝でミロシュ・ラオニッチに6-4, 7-6(3), 7-6(2)で勝利し、3年ぶりのウィンブルドン及びグランドスラム優勝を果たした。リオ五輪の兄ジェイミーと組んだダブルスでは1回戦で地元のベルッチ/サ組に敗れた。シングルスでは準決勝で錦織圭に6-1, 6-4で勝利し、ロンドン五輪に続き、決勝進出を果たす。決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに7-5, 4-6, 6-2, 7-5で勝利し、男子及びシングルス史上初のオリンピック連覇を果たした。シンシナティ・マスターズでは準決勝でミロシュ・ラオニッチに勝利し決勝進出。ここまで全仏の決勝で敗れて以降22連勝を果たしていた。決勝ではマリン・チリッチに4-6, 5-7で敗れた。全米オープンでは準々決勝で錦織圭との3時間57分の激闘の末、6-1, 4-6, 6-4, 1-6, 5-7で敗れた。イギリスには難しい民族の問題が数多くある。その1つに、スコットランド人とイングランド人の間の敵対感情があり、迫害された歴史からスコットランド人のなかには自らをイギリス人と思わない人々も存在する。1936年以来76年ぶりのイギリス人としての優勝が期待された2012年ウィンブルドン選手権の決勝では、会場にユニオン・ジャックに負けない数のセント・アンドリュー・クロス旗が翻った。しかし、マリーは自身を「スコットランド人であるけれども、イギリス人でもある(Scottish, but also British.)」と認識している。BBCのインタビューでは、「もともと僕の家はニューカッスルから移ってきた一家で、自分は4分の1イングランドの血が入っている。それにコーチはスコットランド人だけれど、ガールフレンドはイングランド人なんだよ」と答えている。2014年9月18日に行われるスコットランド独立住民投票について「スコットランドにとって大いなる日。結果にわくわくしている。決行しよう」と賛成票を当日ツイッターで呼びかけた(マリー自身は投票時点ではロンドン近郊に在住しており、投票権を持たない)。ミスの少ないグランドストローク、予測・反応に長けた守備と攻撃に切り替えるスピードが武器のカウンターパンチャー。その速く的確な守備により守備位置からウィニングショットを打つことができる 。彼のプレイはミロスラフ・メチージュに通じると言われている。ダイナミックなストローク、両手バックハンドは最高レベルの1人。ティム・ヘンマンはマリーはレイトン・ヒューイットに次ぐ最高のロブを持っていると述べている。リターナーとしても優秀で予測能力とリーチの長さでサービスエースを阻止できる。またマリーはもっともインテリジェントな戦術家の1人として知られている。肉体維持のため、試合後1時間以内にプレーで失われた炭水化物とタンパク質の補給に寿司を食べている。※オープン化以降。
出典:wikipedia
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