LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

上沼恵美子

上沼 恵美子(かみぬま えみこ、1955年4月13日 - )は、日本のお笑いタレント、歌手、司会者、ラジオパーソナリティである。本名同じ。旧姓、橋本(はしもと)。兵庫県三原郡福良町(現:南あわじ市福良乙)出身。上沼事務所所属。帝国女子高等学校大和田校(現:大阪国際大和田高等学校)中退。関西を代表するタレントの1人。主に関西ローカルの番組に出演している。1990年代後半辺りから、彼女の出演するテレビ番組は常に高視聴率を記録している。既婚、2男あり。夫は元関西テレビ所属のテレビ演出家、プロデューサー、常務取締役・制作局長、元メディアプルポ(関西テレビ完全子会社)代表取締役会長の上沼真平。銀行員の父が演芸好きだったため、幼少時から姉妹揃って演芸や歌を見たり聞いたりして育つ。祖母は浄瑠璃の師匠、太棹三味線の名手だった。姉は浄瑠璃のものまね、自身は美空ひばりのものまねをしていた。歌手志望だったが、漫才コンビとしてデビューするはずだった姉の相方がデビュー前に逃げたため、姉と漫才コンビを組むことになった1971年、中学校卒業後、姉妹漫才コンビ「海原千里・万里」の妹海原千里(海原お浜・小浜門下)としてデビュー。同年、上方お笑い大賞、銀賞受賞。高校生ながら巧みな話術で一躍スターになり、当時人気アイドルだった天地真理に倣い、「漫才界の白雪姫」と呼ばれていた。1973年、NHK漫才コンテスト、最優秀賞受賞。1975年、「大阪ラプソディー」大ヒット(40万枚売上)。1975年、20歳の時に、『ドキドキパンチ』で当時関西テレビディレクターだった8歳上の真平と出会う。1977年5月22日、真平と結婚。コンビを解消し芸能界を引退したが出産後の翌年7月に芸能界復帰。1978年4月に長男、1983年5月に次男(構成作家)を出産。このことについて、後に番組内で「自分には専業主婦は耐えられなかった」と発言。また、『上沼・高田のクギズケ!』内で島田紳助の引退について触れた際、自身の引退時に「番組スタッフとかが離れていく」と寂しい思いをしたことを明した。1994年と1995年にはNHK『NHK紅白歌合戦』の紅組司会を担当。なお、1996年も番組側から紅組司会を打診されたが、この2回共に両軍司会コンビを組み、同回の白組司会の続投が先に決まっていた古舘伊知郎との確執を理由に拒否した。2002年のNHKが実施したタレント好感度ランキングでは、女性部門で久本雅美、松嶋菜々子に次いで3位になる。2003年度長者番付大阪地区では、明石家さんま、島田紳助などを抑え芸能人としては1位となった。2007年から2009年まで、『M-1グランプリ』に、大会委員長の紳助本人からの直々の依頼により、初の女性審査員として出演した。ちなみに、夫の真平は初期の『R-1ぐらんぷり』で審査員を務めていた。2014年2月下旬、急性A型肝炎を患い入院した。2015年、2人の子供が入籍し、姑になった。関西を中心に多くのバラエティ番組に出演。トーク番組を中心に司会者を務める。「芸能界の女帝」と呼ばれる和田アキ子に対して、「西の女帝」と呼ばれている。仕事は基本的に在阪局に絞って行い、あまり在京局やローカル局では仕事をしない。これは芸能界復帰の際に夫・真平と交わした「(仕事をする範囲として)西は姫路、東は京都まで」との約束を守っているためで、これにより本格的な東京進出を断念している。ただし、在阪局制作の全国ネット番組には出演しており、回数こそ少ないものの在京局制作番組にゲスト出演したり、出演する在阪・在名局共同制作番組で時折行われる名古屋収録時に参加することもある。2014年1月12日放送の『上沼・高田のクギズケ!』で「来世は東京に行きたい」「東京進出をしないのは、大阪の人と結婚したから。(東京に行ったら)別居になるやん。今度は東京の人と結婚したい!」「NHKから『大河ドラマ』の出演打診があったが、東京収録のため断った」「紅白の司会をした後、在京局から11本に及ぶレギュラー番組のオファーがあったが、夫を優先するため全て断った」と語った。2005年12月18日にニッポン放送のスペシャルウィークの特別番組『上沼恵美子のニッポン放送初上陸!2005年言いたい放題』で久々の在京ラジオ局への出演を果たす。2006年3月23日に日本テレビで放送の島田紳助と松本人志(ダウンタウン)が司会の『松紳ゴールデン!』にゲスト出演し、紳助と初共演を果たす。その際夫の定年を機に「来年引退してハワイに移住する」と発言したが、紳助と松本に説得され、翻意した。幼少時から数々のちびっこのど自慢大会に出場し「のど自慢荒らし」と呼ばれていた。当時のライバルは天童よしみで、毎回天童が優勝して、自身は準優勝であったという。「海原千里・万里」時代、1976年に発売した「大阪ラプソディー」は40万枚の大ヒットを記録している。また同時期に北島三郎のコンサートの前座を務めた際、北島に歌唱力を認められ、北島の下で歌手への転向を勧められたが断ったというエピソードがある。コンビ解消後も年に1回程は関西地区限定でコンサートを行っている。つんく♂(シャ乱Q)プロデュース曲のリリース、円広志からの楽曲提供、高田純次とのデュエットもある。『NHK紅白歌合戦』への出場希望があることも語っている。2013年9月末以降、レギュラー出演する全番組が司会者としての出演で且つ冠番組である。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。