作田 啓一(さくた けいいち、1922年1月31日 - 2016年3月15日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。元日本社会学会会長。第31回(平成24年度)京都府文化賞特別功労賞。父は京都帝大教授・満州建国大学副総長だった経済学者の作田荘一。妻は作家の折目博子。山口県山口市生まれ。関西学院大学卒、1948年(昭和23年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、西京大学(京都府立大学)助教授を経て、1959年(昭和34年)京都大学教養部助教授、1966年(昭和41年)教授。85年定年退官、京都大学名誉教授。1985年から1995年まで甲南女子大学教授。人間学としての社会学を追求した。『恥の文化再考』(1967年)では、戦後の日本で広く受け容れられたルース・ベネディクトの「西欧社会は罪の文化、日本社会は恥の文化」という比較論に対し、稲作による地域共同体や幕藩体制以降の社会構造の特色から、日本人には外部の視線を気にする「恥」だけでなく、弱さの自覚から生まれる内面的な「羞恥」という特性があるとして、西欧的価値観に立った分析に反論し脚光を浴びた。一方、『価値の社会学』(1972年)では、人間の社会的行動は実利の次元だけでなく価値(理念)の次元においてもとらえうるとし、その後の社会学の方向を決定づけた。1980年発行の『ジャン‐ジャック・ルソー』におけるルソー研究では、自己の内面の探求を社会変革行動へと発展させたルソーの思想と行動を精神分析や行為理論から鋭く分析し、高い評価を得ている。また、近代小説から近代社会に生きる人間の行為や感情の深層を学ぼうとする立場を明確にし、文芸社会学/文学社会学の新しい道を開いた。『生成の社会学をめざして』(1993年)以降、「生成の社会学」ないしは「生成の人間学」を標榜する。集団組織に参加しようとする「社会我」、自己の現状を超えてゆこうとする「独立我」、自然や人間あるいは宗教・芸術・スポーツなどをつうじて外界に溶け込んでゆく「超個体我」という自我の3相から人間をとらえようとする試みは、社会我と独立我のみを扱うこれまでの人間研究の射程を広げる理論枠組を構成したものである。最近では特に、人間の生活には、活動する「昼(明・生)の世界」と休息する「夜(暗・死)の世界」の両面があるにもかかわらず、合理性で説明しうる昼の世界だけに研究対象を限定する従来の社会学の一面性には欠落があると指摘するとともに、生成の社会学のヴァリアントとして「夜の世界」を視野に入れた広義の社会学の可能性を提唱した。一例として、今日頻発している無差別殺人などについての考察が挙げられる。1998年から、同人誌『Becoming』を年2回発行。ラカン、レヴィナス、デリダなど現代思想の成果を積極的に取り入れ、人間を深層から動かす非合理的な力や超個体性の次元をめぐって人間学的探求を深めた。また、専門分野を越え自由に議論する研究会(「分身の会」)を独自に続けた。社会学、哲学、文学、精神分析の諸分野にわたり、精力的に総合的な人間知を追求する氏が、学術の進展に果した功績は極めて顕著である。(第31回京都府文化賞特別功労賞受賞における紹介文を参照)
出典:wikipedia
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