バンブービギンは日本の競走馬、種牡馬である。1989年の菊花賞に優勝し、JRA賞の最優秀父内国産馬部門を受賞した。1988年11月、京都競馬場でデビュー。初戦は勝ち馬から3秒も離された大敗であった。その後は好走するも勝ちきれないレースが続き、2月には管骨に全治3ヶ月の骨折を負った。しかし、結果としてこの時の休養が幸いした。5月に復帰すると、それまでの主戦騎手だった岩元市三の引退のため、南井克巳にコンビが替わっての未勝利戦を5馬身差で勝利した。さらに、400万下条件、やまゆりステークス(900万下)と連勝を重ねた。秋の初戦となった神戸新聞杯こそ、オサイチジョージの2着に敗れたが、続く京都新聞杯では、オサイチジョージの他、東京優駿(日本ダービー)の勝ち馬ウィナーズサークル、同2着のリアルバースデーといった有力馬を相手に勝利した。この勝利とステイヤー血統も相まって、バンブービギンは一躍菊花賞の最有力候補に躍り出た。そして、1番人気に推された菊花賞では、スローペースを見越して終始好位につけ、直線では粘るレインボーアンバーを交わし優勝した。調教師の布施正は、菊花賞を前に故障で引退したバンブーアトラスの子で菊花賞を勝つという長年の悲願を成し遂げた。また、騎手の南井は、これが初のクラシック制覇であった。バンブービギンは、これまで使い詰めだったこともあって、菊花賞の後休養に入り、有馬記念は回避した。休養から明けて、天皇賞(春)に目標を定め調教が再開されたが、右前脚を骨折するという悲運に見舞われる。長期休養を経て、ようやく調教が可能となるまでに回復した矢先、今度は左前脚に屈腱炎を発症してしまう。それでも関係者は再起に向け懸命の努力を傾けたが、1991年6月に引退が発表された。引退後は、CBスタッドで種牡馬となった。年間40近い種付け頭数を集めたが、産駒は、名古屋優駿2着のトウカンイーグル、サラブレッド大賞典を制するなど金沢競馬で活躍したリードジャイアンツが目立つ程度で、種牡馬として成功したとは言い難い。2005年には種牡馬からも引退。生まれ故郷のバンブー牧場に戻って余生を送り、2012年7月28日に老衰のため26歳で死亡。
出典:wikipedia
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