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葛西城

葛西城(かさいじょう)は、現在の東京都葛飾区青戸にあった日本の城である。築城者、築城年代は不明だが、桓武平氏の流れをくむ葛西氏が鎌倉期に城館として築いたとされる。中川の蛇行部を天然の堀として背後に持つ平城で、戦国期には下総国への重要な進出拠点として、扇谷上杉氏や後北条氏の支配下に置かれた。特に国府台合戦時には後北条氏側の最前線として重用され、中川・太日川を挟んで国府台城に陣取る小弓公方足利義明や里見氏らと激戦を繰り広げた。2度の国府台の戦いで先鋒を務め、2度目の戦いで戦死した遠山綱景は葛西城の城主であった。また、後北条氏によって擁立された古河公方・足利義氏の元服式が行われたのも葛西城であった。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に戸田忠次らによって攻められ落城。廃城となるが、徳川家康が江戸に入府後は城跡に「青戸御殿(葛西御殿とも)」と呼ばれる陣屋が建てられ、3代家光の頃まで鷹狩の宿舎として利用されたが、明暦3年(1657年)頃、明暦の大火で焼失した江戸城再建の資材のために破却されたという。中心部を南北に環七通りが横切っており、わずかに東西に分断されて残った城郭跡がそれぞれ「御殿山公園」、「葛西城址公園」となっている。昭和47年(1972年)に道路建設に伴う発掘調査が行われ、戦国期の陶磁器、漆器、人骨など様々な遺物が発掘された。また、中世末期から近世初頭の多数のスッポン遺体が出土しており、近世に西日本から新たにもたらされた食文化と考えられている。道路建設のため城跡は道路下に埋め戻された。

出典:wikipedia

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