ダニエウ・アウヴェス・ダ・シウヴァ(Daniel Alves da Silva, 1983年5月6日 - )は、ブラジル・バイーア州ジュアゼイロ出身のサッカー選手。イタリア・セリエAのユヴェントスFC所属。ブラジル代表。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。登録名やユニフォームに記された名前は『ダニ・アウヴェス』である。少年時代はフォワードやミッドフィールダーとしてプレーしていたが、1996年、兄がプレーしていたジュアゼイロSCのU-13チームに加入し、サイドバックに転向した。1997年にはジュアゼイロSCの監督とともにECバイーアの下部組織に移り、バイーアのU-17チームではマルセロ・シャムスカ(ペリクレス・シャムスカの弟)からも指導を受けた。18歳でプロ契約を果たし、2001年11月のパラナ・クルーベ戦でデビューすると、PKを獲得して勝利に貢献した。2002年シーズンには19試合に出場し、ブラジル全国選手権初得点も決めている。南米ユース選手権の活躍が認められ、2003年1月にセビージャFCに移籍した。すぐさま主力として活躍し、2005-06シーズンのUEFAカップでは優勝を果たしてMVPを獲得した。2006-07シーズンは、リーグ戦開幕前に行われたUEFAスーパーカップでFCバルセロナと対戦。相対するロナウジーニョの裏のスペースを激しく突く動きを繰り返し、チームの勝利に大きく貢献した。(この試合を観戦したイビチャ・オシムは、「ダニエウ・アウヴェスの動きがセビージャ勝利の要因となった」と発言している。また、そのシーズンはリーグ戦でも11アシストを記録し、ダビド・ビジャと共にアシスト王に輝いた。2006-07シーズン終了後、多くのビッグクラブが獲得に動くも、交渉はまとまらずに残留。移籍騒動が長期化したこともあり、2007-08シーズンの公式戦初出場はリーガ・エスパニョーラ開幕直後に行われたUEFAスーパーカップ、ACミラン戦からとなった。キャプテンのハビ・ナバーロが全休したこともあり、キャプテンマークを巻き、チームのUEFAチャンピオンズリーグベスト16入りに貢献した。2008年7月2日、FCバルセロナに移籍した。移籍金は2900万+600万ユーロとされる。この金額はバルセロナ史上歴代3番目に高い移籍金で、この夏の移籍市場でもロビーニョ(レアル・マドリード→マンチェスター・シティFC)に次ぎ2番目に高い移籍金であり、サイドバックの選手としては当時史上最高額の移籍金だった。セビージャFCを離れる際の記者会見では涙を見せ、再び戻ってくることを誓った。8月13日のUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦のヴィスワ・クラクフ戦でデビューを飾り、8月31日のヌマンシア戦でリーグデビューを飾った。2008-09シーズンはレギュラーとしてリオネル・メッシとともに右サイドから攻撃を展開。自己最多となる5ゴールを挙げるなど、バルセロナのリーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグ、コパ・デル・レイの3冠獲得に貢献した。ただし、UEFAチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・ユナイテッドFC戦には累積警告により出場できなかった。2013-14シーズンから退団した親友のエリック・アビダルに捧げる為、背番号を2番から22番に変更。2014年4月27日に行われたビジャレアルCF対バルセロナ戦で、コーナーキックに向かうアウベスに対して、観客席からバナナが投げ込まれた。まぎれもない人種差別的行為に、アウベスは実にユニークな対抗策を見せた。なんとピッチ上に落ちたバナナを拾い上げ、皮をむいてそのまま口に放り込んで食べてしまったのだ。何事もなかったかのようにプレーに戻り、アウベスはすぐさまコーナーキックに移る。これを受けてブラジル人チームメイトのネイマールも続けざまにアクションを起こす。試合後、息子と一緒にバナナを食べる写真をソーシャルメディア上で投稿。これがリーグや国籍を超えて瞬く間に拡散される。世界の有名サッカー選手が、バナナを食べるポーズを次々と投稿し、グローバルレベルの大きな反響を呼んだ。この世界中のサッカーファンを席巻したムーブメント、実はブラジルのマーケティング会社が仕掛けたキャンペーンだった。2015年6月9日、バルセロナとの2年間の契約延長で合意に至ったと、クラブ公式サイトで発表した。2014-15シーズン限りでバルセロナとの契約満了を迎えるアウヴェスは、以前からクラブとの不仲により退団の噂が絶えなかった。しかし状況は一転。2015年6月30日に契約切れが迫る中、2017年までの2年間に加え、1年の延長オプションが付いた契約でバルセロナと合意している。2016年6月2日、バルセロナの公式サイトで退団することが発表された。ユヴェントス時代2016年6月27日、ユヴェントスFCと2年契約を結んだことが発表された。なお、1年の延長オプションも付帯している。背番号はアルトゥーロ・ビダルが着用していた23番。同じ23番を着けているNBAのレブロン・ジェームズに敬意を示すためという理由で選んだ。ECバイーアのU-17チーム所属時代にU-17ブラジル代表に選ばれた。セビージャFC移籍直後の2003年にはFIFAワールドユース選手権に出場し、決勝ではMFアンドレス・イニエスタやFWセルヒオ・ガルシアなどがいたスペイン代表を下して優勝した。ドゥンガ監督の下、2006年10月7日のアル・クウェートとの非公式戦でブラジル代表デビューすると、エクアドルとの親善試合で公式戦初出場。コパ・アメリカ2007のメンバーにも名を連ね4試合に出場した。決勝のアルゼンチン戦では代表初得点となるゴールとアシストを記録する活躍を見せ、ブラジルの連覇に貢献した。ドゥンガ監督のもとではマイコンが起用されることが多かったが、FIFAコンフェデレーションズカップ2009準決勝の南アフリカ戦では途中出場ながらフリーキックで値千金の決勝ゴールを挙げるなど結果を残している。南アフリカワールドカップ後、マノ・メネーゼス新監督が就任して初となるアメリカ戦にはわずか4人のワールドカップ出場組のひとりとして招集され、後半の45分間はキャプテンマークを巻いた。2015年6月10日にブラジルサッカー連盟は、コパ・アメリカ2015に出場するブラジル代表メンバーから、ダニーロが外れ、ダニエウ・アウヴェスを追加招集することを発表した。ダニーロは、2015年6月7日に行われた国際親善試合のメキシコ代表戦に先発出場。しかし、試合中に右足首を捻挫した模様で、ハーフタイムに途中交代を強いられていた。なお、ブラジル代表にとってはGKジエゴ・アウヴェス、DFマルセロ、MFルイス・グスタヴォに続く4人目の離脱者となった。国際Aマッチ 88試合 7得点(2006年- )!通算
出典:wikipedia
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