物忌奈命神社(ものいみなのみことじんじゃ)は、東京都神津島村にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は府社。神津島の鎮守で、前浜集落北部の丘上に鎮座する。祭神は次の1柱。鎌倉時代末期の成立とされる『三宅記』では、三嶋神が神集島(神津島)に置いた「長浜の御前」から長子「たゝない王子(たたない王子)」、次子「たふたい王子」が生まれたと記す。これら3神の社はそれぞれ阿波命神社、物忌奈命神社、日向神社に比定される。創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』の承和7年(840年)における記事で、上津島(神津島)に坐す神は阿波神は三嶋大社本后である旨、物忌奈乃命はその御子神である旨、そしてこの神々のため神宮四院が新たに造営された旨が記載されている。同記事では、続いて神院の様子が描写される。そして、去る承和5年(838年)7月5日夜に神津島で激しい噴火が発生したといい、占いの結果、それは三嶋大社の後后が位階を賜ったにも関わらず、本后たる阿波神には沙汰がないことに対する怒りによるものだと見なされた。同記事にある「後后」とは、静岡県下田市の伊古奈比咩命神社祭神を指すとされており 、先の天長9年(832年)には三嶋神・伊古奈比咩命両神を名神に預けるという記事が載っている。上記の承和7年の記事を受けて、約一ヶ月後に阿波神・物忌奈乃命両神の神階は無位から従五位下に昇った。その後はいずれも阿波咩命とともに、嘉祥3年(850年)に従五位上が授けられたのち、同年には官社に列し、仁寿2年(852年)には正五位下に昇った。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、伊豆国賀茂郡に「物忌奈命神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。伊豆諸島の中で、名神大社は物忌奈命神社と阿波命神社のみである。中世の『伊豆国神階帳』(康永2年(1343年)以前成立)では物忌奈命神社を具体的に示す記載は見えないが、一説に「正一位天満天神」がこれにあたるとされる。この中で「天満天神」とは、国府における物忌奈命神社の遥拝所であった三島市の天神社(三嶋大社元摂社)を指すとされる。近世には、物忌奈命神社は「定大明神」とも呼称された。明治11年(1878年)9月1日、近代社格制度において府社に列した。平成12年(2000年)7月1日の地震による地滑りで本殿が、その数日後の台風による地滑りで社務所が倒壊した。その後、社務所・本殿とも再建された。境内は平成12年(2000年)7月1日に地震・台風の被害を受けた。社務所は平成16年(2004年)7月、本殿は平成18年(2006年)4月の再建である。本殿は覆堂の形式で、神体を祀る中宮を内蔵している。この中宮は旧本殿で、文化7年(1810年)の造営、高さ5メートル余りの入母屋造で、様式・彫刻等各所に優れた技法が見られる。覆殿(本殿)・拝殿も古く貴重なものであり、これらは併せて神津島村指定有形文化財に指定されている。また、境内には神仏習合の名残りで、薬師如来を安置する薬王殿がある。いずれも境内社。例祭は、8月1日・2日に行われる。古くは旧暦6月の酉日に行われたという。8月2日の祭典後には、境内においてかつお釣り神事が行われる。神事では境内を漁場に見立て、青竹を組んで作った舟形に漁夫に扮した若者が乗り込み、出船、カツオ(鰹)釣り、帰港、入札に至るまでの一連の模様が模擬的に再現される(詳細は「神津島のかつお釣り行事」を参照)。神津島では江戸時代から明治前半にかけてカツオの一本釣りが盛んであった。この神事は、島を支えたカツオ漁を背景に奉納される豊漁祈願の神事とされる。なお1月2日の乗り初めの際には、参拝者をカツオに見立てて餅・蜜柑・菓子等を撒き、カツオの一本釣りの真似をする行事が行われる。例祭の神事も、こういった行事が例祭に取り込まれたものと考えられている。この神事は、生活文化・漁業民俗上重要なものであるとして、国の重要無形民俗文化財に指定されている。二十五日神事は、旧暦1月24日から2日間行われる神事。島の多くの祭は新暦に移行したが、この神事は現在も旧暦に行われる。一般には「二十五日様」とも呼ばれる。神事では、24日の日没後に宮司・4人の祝(祭員)が集まり、一同で境内各所で拝礼したのち、海浜に下り祭場を築いて拝礼する。その後、一同は主要な道祖神を巡拝し、解散する。その夜、島民は物忌に入り、外出を控えることとされている。この神事は海からの神迎えの儀式であると考えられ、古くは似た行事が伊豆諸島の他島でも行われたという。所在地周辺注釈原典出典
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。