張栻(ちょう・しょく、1133年 - 1180年)は、中国・南宋の儒学者・政治家で朱子学の源流に位置する。字は敬夫、または楽斎。南軒先生と称せられる。広漢(四川省)の出身。宰相・張浚の子として生まれ、将来の大儒を目指して胡宏(五峰)に学ぶ。初めは直秘閣に任じられ、その後は地方官を歴任し、中央に戻ってからは吏部侍郎から右文殿修撰になった。金に対して主戦論を保持し、たびたび国防・民政に関する上奏を奉じ、宰相・虞允文からは疎まれたが孝宗の信任は厚かった。後に王夫之は『宋論』のなかで張栻を「古今まれに見る大賢ではあるが、王安石以来の人材迫害・言論弾圧に懲りて世間を離れることに努め、才能を振るおうとしなかった」と惜しんでいる。張栻の学問は、二程(程顥・程頤)を承け、朱熹との交友で発達した。『論語』『孟子』の解釈で見るべきものがある。著として『南軒集』44巻、『南軒易説』・『伊川粋言』・『癸巳論語解』・『癸巳孟子説』がある。
出典:wikipedia
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