丹羽 長正(にわ ながまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。丹羽長秀の次男として生まれる。母は越前国の朝倉氏遺臣の縁者。天正13年(1585年)に父が没すると、家督は兄・長重が継ぎ、長正はその許で500石を与えられて豊臣秀吉に仕えた。天正15年(1587年)、秀吉から越前藤枝城5万石を与えられ、従五位下、備中守に叙任する。後に越前東郷5万石を与えられ東郷槙山城主となり、秀吉から羽柴姓を与えられた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に属して東軍の前田利長と敵対したため、戦後に徳川家康によって改易され、大坂城の豊臣秀頼に仕えた。しかし慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の前に大坂から脱出する。元和6年(1620年)、越前福井で死去した。ただし、没年は寛永7年(1630年)とする史料もあり、はっきりしない。
出典:wikipedia
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