山本 康裕(やまもと こうすけ、1989年10月29日 - )は静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはMF。Jリーグ・ジュビロ磐田所属。父親は野球をしていたが、Jリーグが開幕した頃だったことから身近だったサッカーを始める。中学時からジュビロ磐田の育成部門に所属し、高校2年生時でトップチームにデビュー。16歳と11ヶ月24日でのトップチーム出場は磐田史上最年少の出場記録である。プロ初出場の大分戦、2試合目となったFC東京戦はどちらも一人少ない状況での途中出場であったが、トップの選手たちに劣らない落ち着いたプレーを披露するなど、強心臓ぶりを遺憾なく発揮した。その際は松下幸平が愛媛FCにレンタル移籍していたため空き番になっていた24番をつけていたが、2007年はキャンプの時点で背番号32が与えられ、シーズン当初からトップチームの一員となった。2007シーズンの時点で、トップチームでも既に戦力として、また同年よりFC東京へ移籍した福西崇史や、自身の不祥事により解雇された菊地直哉の後継者として期待されていたが、本人は新3年生となる2007年の目標はあくまでもユース選手権での優勝と語り(彼はユースチームではキャプテンだった)実際プリンスリーグではユースチームに合流した。2008年からはトップチームでプレー。本来のポジションであるボランチのほか、2008年には主に左の、2011年には右のサイドハーフとして起用され、2010年には駒野友一の負傷に伴うサイドバックでの出場もあった。磐田がJ2へ降格した2014年、ペリクレス・シャムスカ体制下で出場機会が激減。同年6月16日、アルビレックス新潟へ期限付き移籍が決定し、発表翌日の17日にチームへ合流した。背番号は磐田時代と同じ23番。報知新聞は磐田との契約を1年延長した上での期限付き移籍と報じている。新潟では主に左右のサイドハーフとして起用され、W杯による中断再開後のJ1リーグ戦全20試合に先発出場、2得点を記録した。当初の期限付き移籍期間は2015年1月31日までだったが、シーズン終了後に移籍期間を1年延長した。2015年2月のスポーツニッポン紙上インタビューによれば、山本は2014年シーズン終了前の11月から新潟残留を望む旨を磐田へ伝えており、名波浩監督の後押しもあって移籍期間延長が実現したという。当初磐田側は戦力として復帰を望んでおり、新潟退団を覚悟した山本はリーグ最終戦で涙を流していた。2015年12月19日に、ジュビロ磐田へ復帰することが発表された。憧れの選手はかつて磐田の中心選手であった福西崇史と語り、福西が磐田時代につけていた背番号23は、ユースチームでは2006年から彼がつけ、2008年のトップ昇格時に受け継いだ。195||20||41||4||14||5||250||291||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||1||0196||20||41||4||14||5||251||29
出典:wikipedia
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