パリ〜ルーベ (Paris - Roubaix) とは、自転車プロロードレースの一つ。フランスのパリからルーベまで、およそ260Kmを走るワンデーレース。1896年から行われているクラシックレース。最多優勝者はロジェ・デフラミンク(1972、74、75、77年)とトム・ボーネン(2005、08、09、12年)の各4回。レースの最後はルーベの街中にあるヴェロドロームのトラックコースを1周し、ゴールとなるのが恒例。ワンデーレースの中では最も格式あるレースの一つであり、これを明らかに越えるものは世界選手権自転車競技大会のみ。ほぼ同格のレースもロンド・ファン・フラーンデレンだけであることから「クラシックの女王」と呼ばれる。だが、その優雅な異名とほぼフラットなコースレイアウトとは裏腹に内容は過酷そのもの。コース自体は平坦だが、そこには総数30弱、総延長で50Km前後にも及ぶ未舗装の道路に握りこぶし大の石が敷き詰められたパヴェ(石畳)が登場し、強烈な振動で選手を苦しめたかと思えば、風雨にさらされ露出した鋭い角や段差でパンクや落車を発生させる。その上、雨が降ろうものなら、はじけ飛ぶ泥のせいで、選手たちは泥まみれとなり、誰が誰だかわからなくなるほど。泥が変速機やチェーンに降り注ぐため、メカトラブルも多発。おまけにぬかるみにタイヤをとられたり、濡れていっそう滑りやすくなった石が原因でパヴェでは大落車が発生。幾度となく阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる。また、晴れていれば晴れていたで、巻き上がる凄まじい土埃が選手の眼や喉に容赦なく襲い掛かり、視界の確保や呼吸もままならない。しかも乾燥した路面ではスピードが出やすくなるため、逃げやアタックを仕掛けようものなら、ただでさえシビアなバイクコントロールがいっそう困難になり、パンクが多発。バランスを失って落車しようものなら猛烈な勢いで石の上に叩きつけられて打撲を負うか、石畳にこすり付けられて重度の擦過傷を負うことになり、いずれにせよ無事ではすまない。毎年のように落車して骨折したり、土や泥が口や擦り傷に入って感染症にかかる選手が発生するすさまじさゆえ、このレースには「北の地獄」というもう一つの異名が冠せられている(4月中旬の日曜日に開催されることから「地獄の日曜日」とも呼ばれる)。いつ誰に何が起こるかまったく予想のつかないこのレースにおいては、一般的なレースのセオリーである「大勢のアシストがエースを勝たせるために働く」やり方がまったく通用しない。ゴール間際まで幾度となく繰り返されるアタックとアクシデントの末に勝利のチャンスを手にすることができるのは、果敢に先頭を走り続けるだけの実力を持ち、かつ致命的なトラブルを回避する幸運に恵まれた真の強者のみである。パヴェには番号が振られており、荒れ具合や距離などをふまえ、五つまでの星の数でその過酷さが表される。完走者でパンクを経験しないのは2割前後と言われており、最も過酷な五つ星がつけられるラーブル、モンサン・ペベル、カルフール・ダルブルなどのパヴェは一流のバイクコントロールを誇るプロ選手たちですら、パンクや落車が起きないよう、天に祈って走るほどである。こうしたリスクを少しでも避けるため、パヴェ区間に入ると、選手は比較的路面の荒れが少ない路肩を選んで走るのが通例であるが、路肩は非常に面積が狭いため、自然と選手が一列棒状になる。この時に先行する選手たちがアタックをかけると、そのまま路肩を走っていては置き去りにされてしまうため、後方にいる選手たちは、パヴェ上を走って追撃しなくてはいけないが、アスファルトで舗装された道と異なり、段差のあるパヴェを走行する場合、常に落車やパンクの危険を伴うことになり、加速・追撃することは困難を極め、通常のロードレースに比べて集団が分断されやすい。そのため風圧を受けるのを承知で先頭に立ち、パヴェの特に荒れた箇所に突入するところでアタックをかけて、人数を絞り込んでいく、あるいはひたすら先頭についていき、アタックの繰り返しや段差による振動、プレッシャーによって相手を肉体的・精神的に消耗させてから、終盤でのアタックやヴェロドロームでのゴールスプリントに持ち込む、といったパヴェ区間を利用した各種の駆け引きがレースの重要なポイントとなっている。五つ星のパヴェの中でも難所中の難所として知られ、パリ〜ルーベを象徴する存在が、アランベール(Trouée d’Arenberg)である。2.4kmにわたり、レーズムの森〜サンアマン〜ワーレルを貫くこの道は、1968年に初めてコースに組み入れられた。ほとんどが平坦なレイアウトのレースの中では珍しい登り区間のため、アタックをかけてライバルを引き離す絶好のポイントとなっているが、パヴェの荒れ具合が特に激しく(あまりにコンディションが悪く、安全が保障できないという理由で2005年のレースではコースから外されたほど)、ロードレーサーどころかシクロクロスバイクでも走る事が困難なほどである。そのうえ比較的走行し易い路肩部分には主催者が柵をはって、1人走れるかどうかという程度の幅しか残しておらず、ほとんどの選手は、いやでもパヴェ上を走るしかない。そのうえ、雨が降れば、その路肩も泥や水溜まりでまともな走行は不可能になるため、強制的にパヴェの上を走らされる事となり、1台分狭まった道幅で混雑が激しくなり、誰かが石の表面に浮いた土でスリップしてコントロールを失ったり、石と石の隙間の段差や泥にはまったりしてバランスを失うと、それをきっかけとして阿鼻叫喚の大落車が発生する。1998年にはヨハン・ムセウが膝の骨を砕き、2001年にはフィリップ・ゴーモンが大腿骨骨折の大怪我を負っているほか、選手以外にもバイクカメラが転倒するなどの事故も多発しており、きわめて悪名高い区間である。唯一の救いはこのパヴェがセクターナンバーとしては序盤、コース全体としては中盤に設定されることが多く、その後の展開如何では挽回することが出来るという事だけである。過酷なパヴェを攻略するため、このレースには他のUCIワールドツアーのレースでは使用されない特殊な機材が使用される。例えば振動を軽減する目的で、わざわざこのレースに合わせたジオメトリを採用したり、振動軽減の加工を施した特製のワンオフフレームを使用したりする。ほかにも、厚手のバーテープを二重に巻いたり、エラストマー(衝撃吸収剤)をフレームやハンドル内に封入したりすることも多い。かつてはマウンテンバイクのようなサスペンションを付けたロードレーサーが投入されたこともある。さらに泥詰まり対策としては、通常使われるキャリパーブレーキの代わりにカンチブレーキを使用することがある。近年では改造ではなく最初からシクロクロスバイクを用いたり、プロユースではパリ〜ルーベやロンド・ファン・フラーンデレン専用、アマチュアユースではロングライドイベント向けとなる振動吸収性に優れたモデル(スペシャライズドのルーベシリーズ、ピナレロのKOBHシリーズなど)を用いることが多くなっている。またホイールも、パンクやトラブル防止のために、他のレースで用いる少ないスポークのエアロリムにクリンチャータイヤといった構成ではなく、多めのスポークにチューブラータイヤ(パンクしてもある程度走り続けることができるため)か、チューブレスタイヤという組み合わせを使用することが多い。かつてはシクロクロス用のハンドメイドタイヤ「デュガス」を愛用する選手も多かった。カーボン技術の発達によりホイールが割れにくくなったことから、2010年のこのレースを制したファビアン・カンチェラーラのようにカーボンディープリムをチョイスする選手も出始めた。このほかレース中の対策として、パヴェでは車が選手の脇を通れないことが多く、通常のチームサポートカーやニュートラルカー(マヴィックカー)ではトラブルに対応できない可能性があるため、ニュートラルカーの代わりにホイールを積んだオートバイが多数投入されるのも特徴である。しかしながら、これだけのサポート体制によってもパンクしたホイールを速やかに交換出来ない選手は発生してしまう。この為、地元の自転車愛好家が自前のホイールを持ってパヴェの出口辺りに待機しており、サポートを受けられない選手にホイールを提供する光景が各所で展開する。
出典:wikipedia
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