バヤルド("Bayardo"、1906年 - 1917年)はイギリスの競走馬・種牡馬。馬名は「闇の馬バヤード」に由来する。孫のハイペリオンを通して大きな足跡を残した。2歳から4歳にかけて常に一戦級で活躍した。2歳時に重賞のニューステークス(アスコット競馬場)でデビューし1馬身2分の1差で勝利。その後デューハースト・プレートまで7連勝しシーズンを終えた。しかし、3歳になって仕上がりが遅れ一度も出走することなく2000ギニーを迎えたが、下痢気味の体調の中、ミノルの4着と敗れた。エプソムダービーでは直前走り落馬したサーマーティンに巻き込まれ10着に敗れている。その後、3歳の夏から4歳に掛けて再び連勝を積み重ねる。2連勝で臨んだエクリプスステークスで古馬の一線級を相手に快勝。二冠馬ミノルが三冠を狙って出走してきたセントレジャーステークスでも優勝しミノルは4着と敗れた。その後ドンカスターステークス、チャンピオンステークスなど11連勝し4歳のシーズンを終えた。5歳になり2連勝の後アスコットゴールドカップで優勝した。その後1勝を追加して15連勝まで伸ばしグッドウッドカップに向かったが、36ポンド軽い3歳馬マジックにクビ差で敗れそのまま引退した。性格は気難しく、人が何かをしようとすると先を読んでそれを妨害したりもした。桶を叩いて厩務員に飼い葉をねだるのが癖。これは「バヤルドのドラム」と呼ばれた。なおバヤルドが逃したダービーは翌年に弟レンバーグが優勝している。引退後はマントン牧場で種牡馬として供用されたが、11歳の時早世。下半身の麻痺が原因での安楽死による。しかし死亡した年にゲイクルセイダーが、さらに翌年ゲインズバラがイギリスクラシック三冠馬となった。1917、1918年にはイギリスリーディングサイアーを獲得している。
出典:wikipedia
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