李左車(り さしゃ 生没年不明)は、中国秦末から前漢初期にかけての武将。趙の広武君。趙の名将李牧の孫、李汨の子、李諒の弟、李仲車の兄と伝わる。趙が漢の劉邦と敵対し、漢の別働隊の韓信と井陘の戦いで戦い敗れた。30万と号する大軍を擁した趙であったが、戦いに臨んで李左車は宰相の陳余に、狭い地形を利用して本隊で守りつつ別働隊で韓信を襲うことを献策したが、陳余は却下した。趙に内偵を送っていた韓信は李左車の策が容れられなかったことを知って大いに喜び、敢然と攻め入った。結果、隘路を越えて背水の陣を採った韓信に趙軍は敗れ、趙王歇は捕えられ、陳余は討たれて、李左車は捕虜となった。戦後に、韓信は李左車を師と仰いで燕と斉を破る方法を尋ねたところ、李左車は恥じ入って「敗軍の将、兵を語らず」(敗軍之将、不可以言勇)と応えた。なおも聞く韓信に李左車は、「智者は千慮に一失が有り、愚者も千慮に一得が有る」と愚者の策であると前置きした上で、という策を授けた。後に韓信は李左車の策を用い、燕王臧荼を服従させた。
出典:wikipedia
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