中ノ郷駅(なかのごうえき)は、かつて滋賀県伊香郡余呉村中之郷(現・長浜市余呉町中之郷)に存在した北陸本線(晩年は柳ヶ瀬線)の駅(廃駅)である。北国街道沿いの宿場町にあり、北陸本線が長浜から金ヶ崎(現在の敦賀港駅)まで延伸した時に設置された。柳ヶ瀬越えの山岳路線を控え、補機付け替えの駅のためすべての列車が停車する重要駅であったが、北陸本線の付け替えで柳ヶ瀬線という支線に格下げされると、営業係数の悪化から7年ともたず廃線になった。この駅は補機付け替えに特化された駅で、貨物列車の編成は隣接する木ノ本、高月で行われた。本線時代には駅弁売りも出るほどの活況であった。旧・余呉町の中心駅でもあり、支線時代も本線から彦根、米原との直通列車があった。北陸本線路線改良案のひとつには、今庄・中ノ郷間を18kmの長大トンネルで結ぶ案もあり、もし実現していれば当駅は存続した可能性もあった。最盛期複合式2面9線。上下ホーム間に3線。上りホーム南側に側線3本。下りホームの西側に側線3本。優等列車停車駅でありながら、戦後は本線時代よりホームは1面1線で、通過線が1本、そして待避線及び側線が何本も枝分かれして転車台、給水塔があった。転車台と待避線の間のホームは主に下り線用として戦前使用されていたが戦後は鉄柱も取り払われ、使われずに草むしていた。柳ヶ瀬線時代にはそれらの設備はすべて撤去し農地に戻され、給水塔・転車台のみが離れ小島のように農地の中に取り残された。駅員は数十名から2名に減らされたが、それでも柳ヶ瀬線唯一の駅員常駐駅であった。駅舎には「柳ヶ瀬線廃止絶対反対」の垂れ幕が掲げられ、駅前には「明治天皇中之郷御休息所」の碑が建っていた。国鉄の代替バスは、路盤が国道に転換されるまでは旧街道を通っていた路盤は国道に転用。駅跡は余呉町役場(現在は長浜市役所余呉支所)になった。ホーム(一部のみ)には駅名標のレプリカが立っている。周囲の施設跡は一旦農地に戻された後、売却され建物が建っている。駅名は正式には「中ノ郷」であるが「中之郷」としばしば表記されることも多く、レプリカも初代が「中の郷駅」、現役版は「中之郷駅」とされている。初代レプリカは破損したまま隅っこに立てかけられた状態である。
出典:wikipedia
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