大隣 憲司(おおとなり けんじ、1984年11月19日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。チームメイトの本多雄一とは生年月日が同じ。1984年11月19日に京都市南区で生まれた。京都市立久世西小学校に入学して間もなく、3年生からしか入部を認められていない久世少年野球部に、グラブを持参して入部を願い、その熱心さにより入部を認められ外野手として野球を始め、3年生から投手に転向した。京都市立久世中学校では京都ライオンズで硬式野球を始めて全国大会へ出場した。に京都学園高校に入学し、1年からベンチ入りした。、3年春の近畿大会では毎試合2桁奪三振を記録し優勝を果たす。しかし夏の大会前に肩を痛め、その影響もあり京都大会準々決勝で敗れた。(前身の京都商業から京都学園になってからは初のプロ野球選手である。)、近畿大学に進学し、2年春にベンチ入りした。の全日本大学選手権でチームは準優勝に終わったが、1試合19奪三振の大会新記録を樹立し、自責点0で最優秀防御率と特別賞を受賞した。2006年にも同大会で4強入り。世界大学野球選手権の日本代表にも選出される。同学年で同じ左腕である立命館大学・金刃憲人とはライバル関係にあり、何度も熱戦を演じた。金刃と投げ合った4年秋の9月30日の対立命館大学戦(皇子山球場)では自身初のノーヒットノーランを達成した。関西学生リーグ通算41試合に登板し22勝11敗、防御率1.14、284奪三振。3年春、4年春にリーグMVPとベストナインを獲得した。11月21日の大学生・社会人ドラフトにおいて最大の目玉とされ、一時は広島以外の11球団が獲得に名乗りを挙げるほどの激しい争奪戦の末、希望入団枠制度で福岡ソフトバンクホークスに入団した。どっしりとした体形から「近大の江夏」と異名を取っていたため、背番号は阪神時代の江夏豊と同じ28となった。ドラフト指名時には「トータルバランスの取れた投手が理想像」と語り、母校・京都学園の大先輩・沢村栄治の名が付く沢村栄治賞の獲得を目標に掲げた。平均球速約135km/hのストレートに鋭いスライダー、チェンジアップ、フォークを持ち球とする。黄色靭帯骨化症の手術前は平均球速約138km/h、大学時代は最速152km/hを誇っていた。プロ入り当初は三振へのこだわりがあったが、力任せの投球から打たせて取るスタイルへとシフトしたことからスランプを脱しつつあった新垣渚の話を聞いてからは変化球を低めに集めてゴロを打たせる投球を心掛けるようになった。黄色靭帯骨化症からの復帰後は上述のように平均球速が3km/h以上遅くなり、2010年に当時の監督だった秋山幸二から言われた「球速ではなく緩急を使え」という言葉を思い出す機会が多くなり、緩い球をただ使うだけではなく、タイミングなどを考えるようになったという。▪「青い春」 back number
出典:wikipedia
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