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笹森順造

笹森 順造(ささもり じゅんぞう、1886年(明治19年)5月18日 - 1976年(昭和51年)2月13日)は、日本の政治家、教育者、剣道家。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は政治学士、剣道範士。東奥義塾塾長、青山学院院長、衆議院議員(4期)、参議院議員(3期)、復員庁総裁、賠償庁長官、全日本剣道連盟最高顧問などを歴任した。青森県弘前若党町(現・弘前市)に、旧弘前藩藩士・笹森要蔵の六男として誕生。8歳で北辰堂道場に入門し小野派一刀流剣術を学ぶ。14歳のときキリスト教の洗礼を受ける。1910年、早稲田大学政治経済科を卒業後、雑誌『新公論』記者を経て、1912年に渡米し、コロラド州デンバー大学大学院を修了。南加州日本人会書記長を務めた。1922年、再興された東奥義塾に塾長として迎えられ、18年間勤務。1939年からは青山学院院長を4年間務めた。第二次世界大戦後の1946年、第22回衆議院議員総選挙に青森県全県区から無所属で出馬し、トップ当選を果たす。以降連続当選4回。院内交渉団体の新政会をまとめ、国民党を結成。同党は1947年に協同民主党と合併し国民協同党となり、笹森は代議士会会長となった。同年発足の片山内閣に国務大臣として入閣し、復員庁総裁(1947年)、賠償庁長官(1948年)を務め、シベリア抑留日本人の早期帰還や、アメリカの賠償請求権問題などの解決に尽力した。その後、改進党を経て自由民主党に所属。1953年の衆議院総選挙では落選するが、同年の参議院補欠選挙にて返り咲く。以降参院当選3回。自民党では両院議員総会会長や党紀委員長等を歴任した。1968年の参院選で新人の山崎竜男に敗れ、政界を引退した。世界連邦運動の推進団体・世界連邦日本国会委員会第4代会長も務めた。弘前藩に伝わっていた小野派一刀流剣術を北辰堂道場で学んだ後、早稲田大学の剣道部で高野佐三郎(中西派一刀流)に師事した。のちに小野派一刀流第16代宗家となり、林崎新夢想流居合、直元流大長刀術も伝承した。第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による剣道禁止期は、全日本撓競技連盟を設立し会長を務めた。1954年、全日本撓競技連盟は全日本剣道連盟(会長木村篤太郎)と合併し、笹森は全日本剣道連盟最高顧問に就任した。

出典:wikipedia

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