奉 重根(ポン・ジュングン、1980年7月15日 - )は、大韓民国のソウル特別市出身のプロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。韓国プロ野球のLGツインズに所属している。信一高校の1年生の時からKBOのスカウトから目を付けられていた。投手ながら打者勝りの打撃力は韓国の高校野球歴史上1・2を争うほどで守備も一流の5ツールプレーヤー。投球も制球を武器にするスタイルでエースで4番タイプだった。実際は1番や3番を務める事が多かった。、2年生の5月には自身の活躍もあって、全国選手権に出場。選手権でもその実力は遺憾なく発揮され、投手としては最多勝を記録。打者としては最も多く打点を挙げ、打率も.668と脅威的な数字を残し、トーナメントMVPと満場一致で命名された。8月にはカナダで開催された、AAA世界野球選手権大会に韓国代表として出場。投球成績は大会通じて4本塁打を打たれるなど結果を残せなかったが、打者としては打率.500・4本塁打・14打点を記録し、外野手として大会ベストナインに選出された。高校を2年生の時に中退し、にアマチュアフリーエージェントとしてアトランタ・ブレーブスと契約。3年間のマイナー暮らしを経て、4月23日、谷間の先発でメジャーリーグデビューを果たした。しかし、デビュー戦の相手があいにく当時全盛期だったカート・シリングで、結局6イニング5失点で敗戦投手になり、それきりで再びマイナーリーグに戻される。には、メジャーに昇格して主に中継ぎとして44試合に登板し、6勝を挙げた。にシンシナティ・レッズに移籍したものの、同年は3試合登板したのみで以後はマイナー暮らしが続く。8月3日、リハビリ中に滞在していたフロリダ州のモーテルの部屋で夫婦喧嘩中に暴行を働いたとして、警察に夫人暴行容疑で緊急逮捕された。翌日、保釈金なしで釈放された。第1回WBC韓国代表に選ばれ、リリーフとして全登板で無失点に抑え活躍した。5月12日に解雇となる。その後、韓国にいる父の病状のため、韓国プロ野球でのプレーを希望して、シーズン途中レッズ側に自由契約での退団を申し込み了承された。一次ドラフトでの指名という形でLGツインズに入団。韓国プロ野球を経験せずに海外プロ野球に進出した選手に対する特例が適用され、2006年シーズンは二軍戦出場のみで一軍公式戦の試合に出場するのはシーズンからとなった。2007年シーズンは5月まで好投を見せたが、以後不振に陥った。シーズン途中に二軍落ちも経験するなどして、6勝7敗、防御率5.32という物足りない成績でシーズンを終了。当初の期待とは程遠い内容だった。このため、シーズンオフの契約更改では入団当初3億5千万ウォンから1億ウォンが削減され、2億5000万ウォンになった。シーズンは、前年とは見違えるような好投を続け、クリス・オクスプリングとともに最下位に沈んだチームのエースとして孤軍奮闘した。防御率もチーム1の2.66を記録。そのおかげで翌年の年俸も3億6000万ウォンと回復した。、チームでは唯一北京オリンピック野球韓国代表にも選ばれている。北京オリンピックでは、初戦の対アメリカ合衆国戦と対チャイニーズタイペイ戦など予選ラウンドの行方を決めかねない重要な試合に先発を務めた。チームは勝利したが、両試合とも勝利投手にはなれなかった。の第2回WBC韓国代表にも選ばれた。当初は先発、中継ぎ、抑えと全てに登板する予定だった。1回目の対日本戦で金廣鉉が滅多打ちにされ、対戦したいと思い志願登板した。対日本戦に3度先発を含む4試合に登板して2勝0敗。2勝は優勝チームである日本相手の先発勝利であり、決勝戦でも先発として登板した。決勝戦では、日本の粘り強い攻めで毎回走者を出すなど、4回超で限界投球数である100球近くをなげる苦戦を強いられながらも非自責の1失点に止め、大会防御率0.51の好投でピッチャーとして表彰選手に選ばれた。2009年シーズンも、7位と前年同様下位に低迷したチームのエースとして孤軍奮闘した。前年まで一緒に先発ローテーションを支えたオクスプリングが退団した中で、チーム内で唯一計算できる投手として荷が重かった一年だった。そういう中で、チーム最多の11勝を挙げたが、前年よりチーム打線の向上が著しかったにもかかわらず、彼が登板するとなぜか打線が沈黙する傾向が見られ、好投の中で見殺しになる試合も多く、勝利の数が投球の内容にはるか及ばない一年になった。2010年も手薄な投手陣においてチーム最多の10勝、3年連続2ケタ勝利をあげたもののチームは6位にとどまった。同年の広州アジア大会では韓国代表の主将となり、1試合のみの登板だったが精神的支柱として優勝に貢献した。だが2011年はひじの故障でトミージョン手術を受け早々と戦線を離脱したため、たった1勝に終わった。2012年はチーム事情で抑えを任され、韓国初セーブを含む26セーブを記録した。第3回WBCの代表候補に選ばれたが、2012年末に肩の手術を受けリハビリに時間を要するため外れた。2013年も抑えを任され38セーブを記録した。投球スタイルは、球種の出どころが分かりづらい変則的なスリー・クォーターから、球威のある直球とブレーキの効いた変化球を駆使する。直球中心の組み立てで変化球で緩急をつけつつ低目のコーナーを突き、タイミングを外し打たせて取る丁寧なピッチングが持ち味。主な球種は、ツーシーム、スライダー、カーブ、チェンジアップなど。牽制も得意であり、左投手独自の素早い牽制であるため、走者は盗塁が仕掛けづらい。
出典:wikipedia
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