ソイロ・ベルサイエス(Zoilo Casanova Versalles Rodriguez , 1939年12月18日 - 1995年6月9日)は、キューバ出身のプロ野球選手(遊撃手)。右投右打。非常に滑らかな守備と俊足巧打が特徴的であり、主に1960年代の大リーグで活躍した。には所属するミネソタ・ツインズの初優勝に大きく貢献し、アメリカンリーグの最優秀選手となっている。は日本の広島東洋カープでプレーした。ソイロ・バーゼルスと表記される事もある。ベルサイエスは、キューバのヴェルダードに生まれた。メセイ・ドミンゴス高校を経た後、のシーズン前、18歳のベルサイエスはワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)と契約した。早くも翌シーズンには19歳でメジャーデビューを果たしている。ベルサイエスの能力が花開いたのは、チームがワシントンD.C.からミネソタへ移転したである。正遊撃手としてのちにMLBで1、2を争うと言われるまでになった守備力を発揮し、打撃面でもその俊足から一番打者に定着した。レギュラー3年目のにはオールスターゲームへ選出されるとともに、その守備力が評価されてゴールドグラブ賞を獲得した。ベルサイエスのキャリアのハイライトは、である。同シーズンにチームはミネソタへ移転して初めてリーグ優勝しているが、ベルサイエスは一番打者及び遊撃手としてチームを牽引し、126得点、45二塁打、12三塁打、308塁打、76長打はリーグトップ(122三振もリーグ最多だった)、182安打はリーグ2位となるなどの活躍を見せ、オールスター出場・ゴールドグラブ賞獲得のみならず、アメリカンリーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。シーズン終了後、ベルサイエスはロサンゼルス・ドジャースへトレード移籍する。、プレー中のケガで背中を痛め、以降、成績は下降線をたどっていく。翌にはクリーブランド・インディアンスへ移籍したが、シーズン中の7月、更にワシントン・セネタース(現:テキサス・レンジャーズ)へトレードされる。同シーズンは遊撃手よりも二塁手・三塁手としての出場が多くなっていた。シーズン直前にワシントンから放出されたベルサイエスは、1年間、メキシカンリーグでプレーする。そして3月にアトランタ・ブレーブスと契約し、プレーするものの往年の活躍は見られず、同年限りで引退することとなった。翌7月、ベルサイエスは日本へ渡り広島東洋カープに入団した。シーズン当初から不振の続くカープは、起爆材料として大リーグで最優秀選手の実績を残したベルサイエスを獲得することとした。当時のカープは、いわゆる純血主義を唱え、外国人選手は日系人や、日本人と同様に扱われる在日コリアン(入団以前に日本に帰化した選手を含む)以外採用したことがなかったが、カープ初の外国人選手としてベルサイエスを獲得したのである。ベルサイエスは主に三塁手として出場したが、背中のケガに加え、デビュー戦でいきなり右足を捻挫、打順も7番か8番という有様で終始精彩を欠き、同シーズンがベルサイエスのキャリア最後のシーズンとなった。引退後のベルサイエスは、ミネソタ州ミネアポリスに住み、ゴルフクラブ販売などの事業を始めた。しかし、故郷キューバを恋しがり、ほとんど英語が話せなかったベルサイエスの事業は成功しなかった。多額の債務を整理するため、MVPトロフィーやゴールドグラブの賞品を手放すことになったとも伝えられている。晩年のベルサイエスは不遇だったようであり、背中のほか、心臓と胃に持病を抱えていた。そして、1995年6月9日、ベルサイエスはミネソタ州ブルーミントン近郊にて55歳の若さで死去した。2006年、ミネソタ・ツインズはベルサイエスを「ミネソタ・ツインズ名誉の殿堂」メンバーに選出した。
出典:wikipedia
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