山王権現(さんのうごんげん)は日枝山(比叡山)の山岳信仰と神道、天台宗が融合した神仏習合の神である。天台宗の鎮守神。日吉権現、日吉山王権現とも呼ばれた。山王権現とは、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合して成立した、延暦寺の鎮守神である。また、日吉大社の祭神を指すこともある。山王権現は、比叡山の神として、「ひよっさん(日吉さん)」とも呼ばれ、日吉大社を総本宮とする、全国の比叡社(日吉社)に祀られた。また、「日吉山王」とは、日吉大社と延暦寺とが混然としながら、比叡山を「神の山」として祀った信仰の中から生まれた呼び名とされる。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)が入唐して天台教学を学んだ天台山国清寺では、周の霊王の王子晋が神格化された道教の地主山王元弼真君が鎮守神として祀られていた。唐から帰国した最澄は、天台山国清寺に倣って比叡山延暦寺の地主神として山王権現を祀った。音羽山の支峰である牛尾山は古くは主穂(うしお)山と称し、家の主が神々に初穂を供える山として信仰され、日枝山(比叡山)の山岳信仰の発祥となった。また、『古事記』には「大山咋神。亦の名を山末之大主神。此の神、近淡海国(近江国)の日枝山に座す。また葛野の松尾に座す。」との記載があり、さらには三輪山を神体とする大神神社から大己貴神の和魂とされる大物主神が日枝山(比叡山)に勧請された。このようにして開かれた日吉大社は、天台宗の護法神や伽藍神として、神仏習合が最も進んだ神社のひとつとされた。延暦寺と日吉大社とは、延暦寺を上位にしながら密接な関係を持ち、平安時代から、延暦寺が日吉大社の役職の任命権を持つようになった。天台宗が日本全国に広まると、それに併せて天台宗の鎮守神である山王権現を祀る山王社も全国各地で建立された。天台宗は山王権現の他にも八王子権現なども比叡山に祀り、本地垂迹に基づいて山王21社に本地仏を定めた。江戸時代の初期に、大社の神主は神仏習合を認めることができず、唯一神道を行おうと、僧形の御神体を燃やすなど、廃仏毀釈を試みたことがあった。だが、延暦寺が幕府に訴えて裁判となり、日吉大社が負けたため、神主は島流しとなり、当時の社家は断絶させられ、大社は延暦寺の完全な管理を受けるようになった。このとき、延暦寺から、「祭りと掃除以外のことをするときは、延暦寺の許可を得なければならない」という掟を定められたという。その後、大社は経済的にも延暦寺の管理下となった。明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって、天台宗の鎮守神である山王権現は廃された。日吉大社では、公布されたばかりの神仏分離令が最初に実行されたとされる。慶応4年(1868年)近江国日吉山王社は比叡山延暦寺から強制的に分離され、日吉大社に強制的に改組された。このとき、明治政府の神祇官事務局の人々が中心となって、大社の仏像や、梵鐘、経典、掛け軸などを燃やしたり、金属部分を大砲や貨幣鋳造のために押収するなどした。これが先例となって、廃仏毀釈が全国的に行われるようになったという。なお、日吉大社の権禰宜の話では、廃仏毀釈は「持て余すものをお焚き上げしたに過ぎない」ものだったという。 江戸初期に既に廃仏毀釈が行われた点をみても、大社側は神仏習合をもともと快く思っておらず、神仏分離令をきっかけにすぐ廃仏毀釈が行われたのは、自然な成り行きだったという。また、最初の廃仏のときに、仏像等を延暦寺に返せば、円満に解決したはずだが、裁判を起こされたことが、大社と延暦寺の間にしこりを残し、明治期の激しい廃仏につながったのだという。もっとも、当時は、これまでの崇敬の対象を破壊することはできないと、仏像等を隠した神官や氏子も多くみられたという。現在も残る山王社の多くは、大山咋神を祭神とする神道の日枝神社や日吉神社等になっている。日吉山王曼荼羅図(ひえさんのうまんだらず)は、比叡山に祀られる仏や神を混在させながら、天台宗の教理に従って描かれた曼荼羅である。その形式から、宮曼荼羅図(みやまんだらず)、本地仏曼荼羅図(ほんじぶつまんだらず)、垂迹神曼荼羅図(すいじゃくしんまんだらず)などに分類される。空の上から見下ろすように、神社の風景を描いたものである。宮曼荼羅図は、社殿を訪れることのできない人々が、自宅でこれを拝むことで、実際の参拝に替えるためのものだったという。重要文化財として「絹本著色日吉山王宮曼荼羅図」(奈良市・大和文華館蔵)や、「絹本著色日吉山王宮曼荼羅図」(東近江市・百済寺蔵)があるほか、「絹本著色山王宝塔曼荼羅図」(京都市・大谷大学博物館蔵)などがある。山王権現の本来の姿は仏であるとして、社殿の中で、普通の仏像の姿で座っている光景を描いたものである。本地仏曼荼羅図とは対照的に、山王権現を神像の姿で描いたものである。一つの社殿に比叡山の神々の集う様子が描かれている。重要文化財として、「日吉山王垂迹神曼荼羅図」(大津市・西教寺蔵)があるほか、「絹本著色日吉山王垂迹曼荼羅図」(山王講・蔵之辻伴蔵)や、「絹本著色日吉山王十禅師曼荼羅図」(東京都・真如苑蔵)がある。
出典:wikipedia
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