有馬線(ありません)とは、かつて兵庫県有馬郡三輪町(現三田市)の三田駅から同郡有馬町(現神戸市北区)の有馬駅までを結んでいた日本の国有鉄道(鉄道省)の鉄道路線である。1943年に休止(実質は廃止)された。古くからの温泉街である有馬温泉に初めて乗り入れた鉄道である。基本的に線内の折り返しで運転されていたが、1940年(昭和15年)のダイヤでは大阪駅から福知山線を通り三田駅から有馬線に乗り入れて有馬駅まで直通運転する列車が1往復運行されていた。下りは大阪17時19分発→有馬19時17分着、上りは有馬10時26分発→大阪12時18分着で、上下とも小浜駅発着の列車に大阪駅 - 三田駅間で併結されていた。有馬線は、有馬鉄道によって建設された。もとは1907年に三田町-有田町間の軌道敷設特許状を有馬電気軌道発起人山脇延吉らが取得していたが実現できなかった。やがて1913年軽便鉄道として鉄道敷設免許を申請することになり1914年有馬鉄道に対し免許状が下付されることになった。1915年4月16日に開業と同時に鉄道院が借り上げ、国有鉄道線と同様の運営が行われた。1919年に正式に国有化され有馬軽便線となった。なお、有馬線を手放した有馬鉄道の山脇延吉らは、神戸と有馬・三田を結ぶ鉄道事業に着手し、神戸有馬電気鉄道(現:神戸電鉄)を開業させた。1928年、三田駅 - 唐櫃駅間(現在の有馬口駅)に神戸有馬電気鉄道の三田線が開業し、唐櫃で乗り換えが生じるものの、三田駅 - 有馬温泉駅間を頻繁運転で結ぶ(1934年12月当時は両線とも28分間隔で運行)ようになると、国鉄有馬線は競争上不利にならざるを得なかった。神戸有馬電気鉄道の有馬温泉駅が温泉街に近い場所に位置していたのに対し、国鉄の有馬駅は町外れに位置していたのも、国鉄有馬線には不利な条件であった。1943年、太平洋戦争が激しくなると、神戸有馬電気鉄道と並行していることや、温泉地への行楽路線であることもあって、不要不急路線として運行休止となり、鉄道施設等は撤去され、篠山で産出する製鉄用のマンガンなどの軍需物資輸送を目的に敷設が計画された、国鉄篠山線(1972年廃止)に転用された。その後運転が再開されることなく、事実上廃止のまま現在に至る。正式に廃止手続きがなされたという記録はなく、いつ廃止になったのか、または現在も休止線のままなのかは不明である。カッコ内は起点からの営業キロ。三田駅 (0.0) - 塩田駅 (2.3) - 新道場駅 (4.4) - 有馬口駅 (8.1) - 有馬駅 (12.2)三田駅から道場方面へ廃線跡が福知山線と並んで続いていたが、福知山線の複線化用地に転用されたほか、西宮市内の廃線跡は払下げののち生活道路や西宮北IC、県道98号バイパスの建設に転用されている。現在では神鉄道場駅から道場方向に向かった地点や、二郎駅付近から西宮北ICにかけての築堤、および、西宮市山口町中野から有馬駅跡(有馬病院付近)にかけて廃線跡が残っている。
出典:wikipedia
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