


長尾 顕方(ながお あきかた)は戦国時代の人物。総社長尾氏当主。山内上杉家家臣。永正6年(1509年)、養父の死により幼くして後を継ぐが、関東管領上杉顕定の後継争いで伯父の成田顕泰と共に上杉顕実を支持し、武蔵の鉢形城に拠って上杉憲房と争うが横瀬景繁・長尾景長に敗北し、勝った憲房によって家宰の地位を奪われて景長に与えられる(永正の乱)。これを深く恨んだ顕方は大永4年(1524年)に相模の北条氏綱に内応して謀叛を図るが、憲房の後を継いだ上杉憲寛の命を受けた従兄で庶流の高津長尾氏の長尾顕景に攻められて当主の座も失った。扇谷上杉家の太田資頼は、この件で顕方を激しく非難している。なお、顕方の追放と顕景の当主簒奪は永正の乱の出来事で、永正4年の事件は北条氏綱・長尾為景と結んだ顕景によるものとする説がある。以後の消息は不明。以後総社長尾家の家督は顕景の子孫に引き継がれる事になった。
出典:wikipedia
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