『NEVER SAY GOODBYE』(ネバー・セイ・グッドバイ)は、宝塚歌劇団宙組で上演されたミュージカル作品である。2006年3月24日から5月8日(新人公演は4月11日)に宝塚大劇場、同年5月26日から7月2日(新人公演は6月6日)に東京宝塚劇場で上演された。作・演出は小池修一郎。当時の宙組主演コンビ和央ようか・花總まりの退団公演。使用楽曲をアメリカのミュージカル作曲家、フランク・ワイルドホーンが全曲書き下ろして話題になった。オリジナルミュージカルの発信が同歌劇団の興行の柱だが、作曲はアメリカ人作曲家、台本・歌詞・演出は日本人演出家がそれぞれ担当しての日米合作オリジナルミュージカル製作は、同歌劇団史上初めてとなる大型企画であった。上記の要因などからも、チケット入手は困難を極めた。1936年に勃発したスペイン内戦を背景に、写真家と劇作家との愛を描く。2006年読売演劇大賞優秀作品賞受賞。主人公ジョルジュはポーランドの寒村の生まれ。故郷を飛び出した後写真のもつ可能性を知り、苦学して写真家養成学校を卒業。写真家デビューを果たし、パリの風俗写真集で評価を高め、有名写真家として活躍していた。ある時、女優・エレンとジョルジュは、ハリウッドで開かれたエレンの主演映画「スペインの嵐」制作発表パーティーへ出席する。パーティーの最中、映画の原作者である劇作家・キャサリンが乗り込み、自分の戯曲が映画化によって改悪された、と映画関係者に製作中止を要求する。その現場をジョルジュがカメラに収めた。撮影に怒ったキャサリンはジョルジュに、フィルムをもらうまでさよならは言わないと言い放つ。その日の深夜、キャサリンはジョルジュの宿泊する部屋に押しかけ、フィルムを奪おうとするが、そこにはジョルジュが撮影した数々の写真があり、ジョルジュは「デラシネ(フランス語で根無し草)」として生きてきた人生を語り、2人は惹かれ合うようになる。映画の本格的な撮影がはじまり、撮影隊もスペイン・バルセロナへやってくる。またバルセロナで開催予定の人民オリンピックの取材のため、ジョルジュもスペインに到着していた。しかし、スペイン内戦が勃発。人民オリンピックも中止されてしまう。エレンはジョルジュに今すぐアメリカに帰ろうと言うが、ジョルジュはスペインがどうなるか自分の目で見届けるため、キャサリンと共にスペインに残る。また、闘牛の中心地であるセビリアがファシストの手に落ちる。バルセロナ出身で闘牛士のヴィセントは、仲間がセビリアに帰って行くのに対し、「二度とマタドールと呼ばれることはなくても、自分の故郷がファシストの手に落ちるのを黙って見ていられない」とバルセロナに残ることを決意。そしてセンチュリア・オリンピアーダの仲間や市民たちと、ファシストと戦うため訓練を重ねる。しかし統一社会党(PSUC)幹部であるフランシスコ・アギラールやコマロフら社会主義勢力はキャサリンを拉致して、彼女に睡眠薬を注射し、自分たちの思うままに操ろうとする。アギラールはキャサリンを自分のものにしようとしていたのだ。おまけにバルセロナ伝統の祭りである、ドラゴンのいけにえに差し出された王女を救った伝説の騎士サン・ジョルディの祭りを悪用して、ストーリーを自分たちに都合のいいように書き換えようとしていた。それを知ったジョルジュはキャサリンを救出する。「あの女(キャサリン)を追いかけるのはやめろ」というコマロフに対しアギラールは「俺に指図するな」と言い放つ。そしてセンチュリア・オリンピアーダの一員であるタリックに自白剤を飲ませ、ジョルジュ達の居場所を突き止めたアギラール。しかしコマロフの裏切りにより命を落とす。そのころ、市民たちはPSUCとPOUM(統一労働者党)に分かれ撃ち合っていた・・・。内戦の現場に遭遇したジョルジュは、こんな状況の中でも希望を失わず、自由を守るために必死に戦う民衆に心打たれる。彼は本当にやりたい事にようやくめぐり合った、と多国籍義勇軍に参加を決意。死を覚悟したジョルジュはキャサリンにフィルムを渡し、彼女に写真集を出版してスペインの現実を世界に伝えてほしいと頼む。そして二人は、別れる決意をする・・・。
出典:wikipedia
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