


アット・ザ・ゲイツ()はスウェーデン、イエテボリ出身のメロディックデスメタルバンドである。1990年に結成され1996年に解散したが、2007年に再結成し、2008年に再び解散した。更に2010年に再結成し、以降ライヴイベントに出演する。カーカス、エッジ・オブ・サニティ、アモルフィスらと並び、1990年初頭からメロディックデスメタルというジャンルの形成に大きく関わり、デスメタルのアグレッシブさに叙情的なメロディを加えた1995年リリースの4thアルバム『Slaughter of the Soul』で一つの完成形を迎え、カーカスの『Heartwork』と共に世界各地で多くのフォロワーを生んだ。その後、メロディックデスメタルは後続のソイルワーク、イン・フレイムスやダーク・トランキュリティらによってよりメロディアスな方向へ推し進められ、メロディックデスメタルとしての完成度を高める一方、ザ・クラウンやカーナル・フォージ、フォーセイクンらによって、アグレッシブさを保ちつづけながらも一定のメロディを盛り込んだデスラッシュというアプローチをとるバンドも現われることになった。また、後続のメロディックデスメタル/デスラッシュバンドだけでなく、キルスウィッチ・エンゲイジ、ザ・ブラック・ダリア・マーダー、アズ・アイ・レイ・ダイングらアメリカのヘヴィメタルバンドにも無視できない影響を及ぼすことになったが、これは4thアルバムリリース後のツアーで2度に渡る長期のアメリカツアーを行ったことも大きく影響していたと思われる。このアット・ザ・ゲイツのアメリカツアーによって築き上げられたアメリカでのメロディックデスメタルのファン・ベースは、後のソイルワーク、イン・フレイムス、アーチ・エネミーらによるアメリカ進出における成功の下地を作った。1990年、グロテスク、インフェステイションらのメンバーによりアット・ザ・ゲイツが結成される。メンバーはトーマス・リンドバーグ(Vo)、アンダース・ビョーラー(G)、アルフ・スヴェンソン(G)、ヨナス・ビョーラー(B)、エイドリアン・アーランドソン(Ds)の5人であった。1991年にデモEP『Gardens of Grief』をリリース。同デモは、同年中にドロレス・レコードよりアナログレコードで再発された。1992年にもプロモ盤を作成し、イギリスのピースヴィル・レコードと契約を行う。ヴァイオリン奏者のイェスパー・ヤロルドをセッションに迎え、アルバムのレコーディングを行う。同年7月に1stアルバム『The Red In The Sky Is Ours』をリリース。その後、セリオン、マイ・ダイイング・ブライドらとヨーロッパツアーを行う。また、1992年の途中から1993年にかけて、ヨナス・ビョーラーがバンドを離れており、トニー・アンダーソンがベーシストとして参加している。この関係からか、1stアルバムの裏ジャケットには、トニー・アンダーソンがベーシストとしてクレジットされている。1993年、4月にサンライト・スタジオでとトマス・スコッグスベルグと共にレコーディングを行う(当時サンライト・スタジオで働いていたディスメンバーのフレッド・エストビー、カーナル・フォージのラーズ・リンデンらがエンジニアとして参加している)。音楽的方向性の違いによりアルフ・スヴェンソン(G)が脱退するがアルバムのレコーディングには参加、後任にマーティン・ラーソンを迎る。5月に2ndアルバム『With Fear I Kiss The Burning Darkness』をリリース。アナシマ、クレイドル・オブ・フィルスらとツアーをヨーロッパツアーを行う。1994年、2月にイエテボリのスタジオ・フレッドマンにてプロデューサーのフレドリック・ノルドストロームと共にレコーディングを行う。4月にEP『Gardens of Grief 』を限定666枚リリース。7月に3rdアルバム『Terminal Spirit Disease』をリリース。これは新曲6曲に、ライブ3曲という変則的な構成のアルバムであった。アナシマ、マイ・ダイイング・ブライドらとヨーロッパツアーを行う。1995年、イギリスのイヤーエイク・レコードと契約を行い。5月から7月にかけ再びスタジオ・フレッドマンでフレドリック・ノスドストロームプロデュースの元、アルバムのレコーディングを行う。11月に4thアルバム『Slaughter Of The Soul』をリリース。アンリージェッドとヨーロッパツアーを行い、途中フェスティバル出演ではテスタメント、クリーターらと共演した。1996年、1月にはディセクションらとイギリスツアーを行い、3月にはモービッド・エンジェル、ディセクションとアメリカツアーを行う。4月にはナパーム・デス、フェイス・ダウンらとヨーロッパツアーを行い、6月にはナパーム・デスとアメリカツアーを行う。その後スウェーデンでフェスティバルに出演後、9月に解散した。解散のきっかけは、ライブ・ツアーの疲れから、アンダース・ビョーラーが脱退の意向を示したことだという。2001年、ピースヴィルよりイヤーエイク在籍時の曲も含むベストアルバム『Suicidal Final Art』がリリースされた。2007年、再結成。ライヴ限定で活動を行うが、2008年9月21日に最後のショウを行い再び解散。2010年、12月に再結成して2011年以降に、ライブに参加することが発表された。2014年、センチュリー・メディア・レコードと契約し、秋に約20年ぶりとなる新アルバム『At War with Reality』をリリースした。
出典:wikipedia
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