


江戸時代末期の蘭学校である北門義塾(柳田藤吉の創設)の明治5年閉校後、その意思を受継ぎ隣地に大隈重信が明治十四年の政変で下野した後に設立した東京専門学校を前身とし、日本の私立大学では慶應義塾大学(「早慶」の慶)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。2011年現在、10の学術院のもと13学部・21研究科(大学院)を設置している。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの逸材を輩出しているのをはじめとして、出版、新聞、テレビ・ラジオ局などのマスメディア、法曹、文学などの分野で国内外を問わず多くの卒業生が活躍している。早稲田大学は、東京専門学校時代から、文部省「特別認可学校規則」や専門学校令の特例適用、大学令の旧制私立大学第1号認定などを見渡すと、政治学、法律学、文学、商学、理工学、教育学、芸術、スポーツなど様々な分野で、近代日本国家の教育・研究分野の形成をリードしてきたモデル校であり、「私学の雄」である。「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を理念とし、教旨が定められている。前身となる東京専門学校の創立30周年を記念し、1913年(大正2年)に制定された。早稲田大学は、1882年 (明治15年) 10月21日に創設した「東京専門学校」を前身とする。当初は、創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村に、また、校舎が同郡戸塚村にあったことから、関係者が「早稲田学校」「戸塚学校」と言っていたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられた。1892年頃には、専門学校の別名として、「早稲田学校」と呼ばれるようになり、以後1902年9月2日付で、専門学校から大学への昇格を機に、大隈によって代表される早稲田の地名をとり「早稲田大学」と改称した(常用漢字の改正以前は、「稲」は、「旧」ではなく「臼」の「稻」を使い、「早稻田大学」と表記していた。卒業時の学位記を納める楯には現在も旧字体が使われている。)。1882年(明治15年)に大隈重信が創立した東京専門学校が前身である。その後1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1920年(大正9年)に大学令に基づく大学となった(1920(大正9年)年2月2日、大学令による私立大学設立の認可第1号(国立公文書 件名:早稲田大学ヲ大学令ニ依リ設立スルノ件ヲ裁可セラル、請求番号:類01365100、件番号:023、作成部局:内閣))。 10月21日 早稲田大学が、学びのためのSNS「QuonNet」を開始 このように、キャンパスが複数存在することから、キャンパス間の連絡バスが設定されており、早稲田キャンパス-戸山キャンパス正門-学生会館前-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-先端生命医科学センター(東京女子医科大学との共同設置、同大学キャンパスに所在)-西早稲田キャンパス、早稲田キャンパス-西早稲田キャンパス-本庄キャンパス、所沢キャンパス-小手指駅の路線があり、学生及び教職員は無料で利用することできる。スクールカラーはえんじ(えび茶色)。野球部が師と仰いだシカゴ大学のユニフォームを模した際、胸文字(いわゆる早稲田文字)とともに、この色も導入したことに端を発する。ハーバード大学のスクールカラーもクリムゾンレッド(えんじ)である。校章は「大學」の文字の両脇に垂れる稲がモチーフ。1927年に竣工した、文字どおり早稲田大学の顔として知られる建造物である。早稲田キャンパスに所在し、正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。学内では「早稲田大学21号館」とも表記される。重要文化財にも指定されている建築物である。ゴシック・リヴァイヴァル真っ只中にあったイギリス建築の影響を受けたチューダー・ゴシック様式とロマネスク様式の折衷主義建築である。恩賜記念館という大隈講堂と並ぶ、もう一つの象徴的な建物が存在したが、空爆により焼失した。大隈重信の宿願は、世界唯一の帽子を作って、どこに行っても、すぐに早稲田の学生とわかるようにすることだった。洋服店「高島屋」主人・弥七郎に頼んだ。金モールの徽章とともに商品登録を受けた角帽の裏には姓名・学科名の他、校印を捺して、「早稲田の学生に相違無之候也」との文字が添えられ、身分証明ともなり、実質的なステータス・シンボルの役目を果たした。早稲田大学の門には、門柱や塀が存在せず、「無門の門」と言われてる。大学によれば、学びたい人を拒まない、開かれた大学にするという建学の精神を象徴しており、学生や教職員に限らず、常時出入りが自由となっている。2015年には全面バリアフリー化された。コンバットマーチ、タイムリーマーチ以外に攻撃中に使用できる曲として考案された曲。小島健昭作曲。慶應の「突撃のテーマ」に対抗する曲として野球応援で欠かせない曲となっている。大学の公式マスコット・キャラクターとして創立125周年を記念して、本学出身の漫画家弘兼憲史による「ワセダベア」が制定されている。創立者大隈重信の「隈」を「熊」に捩ったクマのキャラクターであり、各種グッズも販売されている。2032年の創立150周年に向けた学生コンペの際に、女子大学生グループによりワセダベアの女性版「早稲女ベア」を策定するアイデアが出された。コンペでの優勝は逃したものの、大学側の目に止まり、弘兼に女性版の策定を依頼、2014年3月に完成し、広報誌「早稲田ウィークリー」7月21日号に名称を公募したところ、約300件の応募があったが、性差別を助長すると主張するフェミニストの教員らの反発があり、「お蔵入り」となっている。ちなみに、ドイツのベルリンも発音でベアリーンとなり、民間語源的にはBärと関係があるとされ、ベルリンの紋章も熊が表現されている。この他、戸山キャンパスには、文学科創設120周年を記念して作られた「ブンコアラ」や坪内逍遥と知恵の象徴フクロウを組み合わせた「ショウホー」といったキャラクターが存在する。全学部で海外からの留学生を受入れている。2015年5月1日現在、90以上の国と地域から、4921人が学ぶ。留学生受け入れ数は2014年5月1日現在、国内で1位である。現在、留学生8000人の受け入れ目標を掲げる。これまでの積極的な留学生受け入れ体制が評価され、文科省の「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の対象に、政治経済学術院(政治経済学部)、理工学術院(3学部3研究科)、社会科学総合学術院(社会科学部)が、選定された。国籍別に見ると、中国を初めとするアジア地域からの留学生が多い。「アジアにおける教育・学問研究の結節機関」を目指し、学問研究においては「現代アジア学の創生」を、教育面では「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点()」を掲げ 、意欲的な取り組みが進む。こうしたアジア重視の姿勢は、建学の精神「東西文明の調和と融合」により、すでに戦前の一時期、在学生の25%がアジアからの留学生が占めていた程である。1996年(平成8年)、社会科学部が、早稲田大学初の中国人専任教授となる、劉傑を招くなど、語学教員以外での、外国籍研究者の招聘を積極的に行い、教授陣のグローバル化も進めた。今後、外国人教員の比率を、20%にまで高めることを目標としている。2004年(平成16年)には、ほぼ全ての教員が英語で授業を行う「国際教養学部」を設置、東京六大学初、英語による授業だけで学位取得が可能な学部となった。2010年(平成22年)9月からは、理工学術院の3学部・3研究科に、英語による授業だけで学位取得が可能な「国際コース」が設置される(「国際化拠点整備事業(グローバル30)」の一環で、政治経済学術院、社会科学総合学術院にも設置)。2014年に東京都中野区中野の警察大学校跡地に「中野国際コミュニティプラザ」が開設された。世界大学ランキングは様々な機関が独自に制作しているものであり、ものによっては順位が微妙に異なるが、その中でも最も権威があるとされるイギリスの教育専門誌タイムズ・ハイアー・エデュケーション(Times Higher Education)が毎年発表する「World University Rankings」の2014-2015ランキングでは世界351-400位、国内10位であるとされ、また同誌が2015年に発表したTHEアジア大学ランキングではアジア圏内で59位、国内11位であった。2004年(平成16年)9月から、全ての学部・研究科は、10の学術院という独自の組織に統合され、学部・研究科の全教員も、いずれかの学術院の所属となった。学内の意思決定など、大学行政も学術院教授会単位で行われる。よって、本項では学部および研究科を学術院単位で掲載している。コースや専攻は文学学術院を参照のこと。(ビジネス専攻 専門職大学院、アジア太平洋研究科国際経営学専攻と早稲田大学大学院ファイナンス研究科 専門職大学院、夜間大学院の統合により新設)学科や専攻に関しては理工学術院の項、(旧) 理工学部参照のこと。會津八一記念博物館は1998年(平成10年)5月,早稲田キャンパスに開館した総合博物館である。博物館が入居する2号館は1925年(大正14年)に図書館として建造された学内最古の建造物で、設計は今井兼次が担当、大隈講堂と共に東京都歴史的建造物第一号に指定された。会津八一が私費で収集した東洋美術資料を中心に、近現代美術、考古・民俗資料などが収蔵されている。生活を共にしながら集中・課外授業を行い、学生・教員間の信頼関係を醸成し、人間関係形成に寄与することを目的として、セミナーハウスを設置している。早稲田大学出版部は、学校法人早稲田大学の出版部門で、早稲田大学教員の著書をはじめ、幅広い出版活動を行っている。所在地は東京都新宿区西早稲田1-9-12-402。1886年(明治19年)に『講義録』を発行し通信教育を開始したことがその起源である。当時の印刷部門は独立し、その後秀英舎と合併、大日本印刷となった。1935年(昭和10年)東京専門学校卒で実業之日本社を創立・社長となった増田義一が初代社長となった。なお、1986年(昭和61年)10月に『早稲田大学出版部100年小史』 (ISBN 4-657-86027-5) が刊行されている。大学出版部協会の設立時から2008年(平成20年)まで会員であったが、現在は所属していない。2009年(平成21年)に刊行を開始した「早稲田大学学術叢書」シリーズを含む年間50点余りの書籍を出版している。また、2011年(平成23年)11月には「早稲田大学ブックレット <震災後>に考える」シリーズの刊行を開始した。各分野から2002年度に5件、2003年度に4件が採択された。各分野から2007年度に4件、2008年度に3件、2009年度に1件が採択されている。2007年度、理工学術院にて新規に2件の事業が採択された。早稲田大学では、2014年現在、大学公認のサークル団体は約560ある。また、最低限の届出を済ませているが公認サークルの設立要件を満たしていない未公認サークルや、「早稲田大学のサークル」を自称し活動するサークル(早稲田大学では「無届団体」と名付けている)が多数存在する。大学の公認を得た団体は、学生会館に部室が与えられる、活動補助金を受け取れる、新歓期に出店を設けるスペースが優先的に割り振られる、サークル名義で大学の各種施設を使用できる、といった待遇を受けられるが、会長となる教職員を確保した上で構成員が21人以上・詳細な会計報告を行うといった条件を毎年満たす必要がある。なお、これらすべてを含めた学生による課外活動への参加率は7割以上と高い。また、数多くあるサークルから目的のサークルを探す手段として、『マイルストーンエクスプレス』といった学生が発行する情報誌が存在する。早稲田大学の学園祭は「早稲田祭」と呼ばれ、通例11月上旬に2日間にわたり実施される。一時は中断されていたが2002年(平成14年)より再開。かつての早稲田祭実行委員会による運営ではなく(少なくとも形式的には)単年度ごとに組織される"「早稲田祭20xx」運営スタッフ"により運営がされている。大学側のスタンスとしては学生(団体)の主催であり大学の公式行事ではないとし、大学からは出資していないが授業の休講の措置がとられたり、学部・研究科日程に毎年掲載されていたりしている。同スタッフの公式サイトの発表 、及びそれを基にした週刊誌等の報道(学園祭特集)によるとし、二日間で16万人が来場し参加団体数は約400団体となる。この数字を額面通りに受け取ると大学の学園祭としては日本で最大の規模(来場者数で16万人以上を発表しているのは4日にわたり開催される慶應義塾大学の三田祭と3日間開催であり地域の祭と同時開催である一橋祭のみ)となる。理工学部の存在する西早稲田キャンパスで行われる「理工展」も「早稲田祭」とは別に同日程で行われる。また、所沢キャンパスで行われる「所沢キャンパス祭」は例年、10月下旬の日曜日に実施される。大学が発行する大学広報誌。1966年3月、『早稲田』として創刊、同年9月、『WASEDA WEEKLY』、1973年10月、『早稲田ウィークリー』に改称。2016年4月よりウェブマガジンに移行。教員によるリレーコラム「えび茶ゾーン」、大学付近のグルメ(通称・ワセ飯)を紹介する「私のワセメシ」、笹倉和幸教授考案の「学生応援宣言」、活躍する現役早大生を特集する「ぴーぷる」などのコーナーからなる。学生、教職員、卒業者、校友向けの総合ポータルサイト。各種申請やオンライン授業の受講、成績照会、連絡等を行うことができるサイトとして、『Waseda-net ポータル』が運用されてきたが、2016年2月に『MyWaseda』にリニューアルされた。早稲田大学は、国際的に活躍するリーダーを育成する米国留学プログラムとして「グローバル・リーダーシップ・フェローズ・プログラム」を提供しており、趣旨に賛同したデルタ航空より、選抜された学生に航空券が提供されている。デルタ航空が日本の大学の留学プログラムを支援するのはこれが初めてである。早稲田大学の同窓・親睦会組織は稲門会(とうもんかい)と呼ばれる。組織によっては「校友会」ともいう。大学が本部として「早稲田大学校友会」を組織しており、その下に様々な稲門会や校友会が形成されている。なお、早稲田大学校友会を早稲田大学稲門会と紹介している書籍があるがこれは誤りである。本大学は医学部を持たないが、本学卒業後に医師免許を取得した者や医学部出身者で本学に再入学あるいは大学院に入学した者も多数おり、2016年1月31日には本学初となる医師会「稲門医師会」が発足している早稲田大学校友会は1885年(明治18年)12月13日に設立された。正会員は早稲田大学卒業生・教職員校友・推薦校友で、準会員は早稲田大学各学部在籍者である。早稲田大学の卒業生は「校友」と呼ばれ、卒業と同時に自動的に校友会の正会員となる。会員数は約50万人。上記以外にも、サークル、大学院研究科、大学学部、ゼミごとなど、早稲田大学校友会に登録していない独自の同窓会組織も多い。また、出身地域別の現役学生親睦組織として全国早稲田学生会連盟(全早連)のもとに各都道府県別の稲門会がある。早稲田大学は、戦時中の1940年(昭和15年)秋、他の大学に率先して、田中穂積総長自ら部長となり、久留米道場を中心に「早稲田大学学徒錬成部」を設置した。東伏見、戸塚、戸山、甘泉園にも道場を設けていた。戦後早稲田大学久留米道場の建物は解体され、第一高等学校に移管した。早稲田大学戸山キャンパスや戸山公園、早稲田大学西早稲田キャンパス、学習院女子大学など早稲田の戸山周辺一帯は、陸軍戸山学校や陸軍軍医学校、陸軍射撃場、陸軍技術本部、東京陸軍第一病院などの跡地で、戦前は陸軍施設に囲まれていた。早稲田大学配属将校に、宮地久衛(大佐)、石井虎雄(少将)、藤井洋治(中将)、堀井富太郎(中将)、本郷義夫(中将)等がいる。早稲田大学の前身校・源流である佐賀藩校弘道館、致遠館(ともに大隈重信が教授)、系属校の早稲田中学出身者に以下の陸軍大将、海軍大将らがいる。西郷隆盛(長崎佐賀藩校致遠館)、真崎甚三郎(佐賀中(佐賀藩校弘道館))、富永信政(早稲田中)、岡村寧次(早稲田中・陸軍三羽烏の一人)西郷従道(長崎佐賀藩校致遠館)、安保清種(佐賀中(佐賀藩校弘道館))、百武源吾(佐賀中(佐賀藩校弘道館))、古賀峰一(佐賀中(佐賀藩校弘道館))戸山キャンパスに所在し、東棟に公認サークル・部活等が入居するほか、学生生活課、奨学課、キャリアセンター、直営寮を運営するレジデンスセンター等、学生生活全般の大学事務がある。セブンイレブンが入居している。大学直営寮として、中野国際コミュニティプラザにある「国際学生寮WISH」、東伏見キャンパス至近に位置し、体育会系の学生が多く入居する「東伏見学生寮」、大学図書館設置に尽力した市島謙吉の縁戚で市島宗家の市嶋信が大学に寄贈した「市嶋記念千駄木学生寮」の3つがあるほか、大学が共立メンテナンスに運営を委託している「早稲田大学国際学生寮」、「早稲田大学推薦学生寮」、大学関連会社運営の女子学生寮「エスポワール目白」が用意されている。2015年には大学至近大隈通り沿いに建設された本学関連会社なども入居する「大隈スクエアビル」に早大女子学生専用 「市嶋記念早稲田ドミトリー」が完成した。このほか、和敬塾が早稲田キャンパスに近いことから伝統的に多数の学生が入居しており、本学出身の作家村上春樹の小説「ノルウェイの森」に登場する寮のモデルとなっている。エクステンションセンターが主宰する公開講座の一つで、塾頭田原総一郎、高野孟ら各界の第一線で活躍する人物が講師となり、次世代のリーダーを育成することを目的に設置されている。募集対象は社会人が優先されているが1、2年生を中心とした学生向けの講座も用意されている。早稲田大学には、学校法人早稲田大学が設置する以下の附属学校が存在している。学内での地位は学部と同様の扱いとなっている。このほかに附属学校ではないが、系列となっている学校が存在している。これらは別学校法人による設置であり、早稲田大学の中で扱いが異なっている。早稲田大学には別学校法人が設置する「系属校」が存在している。別法人のため附属校とは異なるが、早稲田大学への推薦入学枠を持っている。Yannawa Sub-district, Sathorn District, Bangkok 10120 Thailand27 rue Saint-Guillaume75337 Paris cedex 07 – France800 Second Avenue, Suite 300, New York, NY 10017早稲田大学社会連携推進室によると、以下の地方自治体と協定を締結している。この他、熱海市観光協会連合会と観光などの産業振興支援協力で協定を結ぶなどしている。卒業単位の一部を他の教育機関で取得することができる。利用可能な他の教育機関としては、F-Campus(5大学単位互換制度:他に学習院大学・学習院女子大学・日本女子大学・立教大学が加盟)、武蔵野美術大学、東京家政大学、東京女子医科大学、国立中山大学、京都地域48大学・短期大学(大学コンソーシアム京都)などがある。また同志社大学への国内留学プログラム、100を超える海外協力大学への1年間の海外留学プログラムなどがある。さらに慶應義塾大学、一橋大学および同志社大学とは、図書館の相互利用協定を結んでいる。2008年(平成20年)には、関西大学との間で学術交流協定を締結し、アメリカンフットボール部の交流試合(奇数年度は早稲田大学で、偶数年度は関西大学で開催)や、双方の大学のオープンキャンパスにて、互いの大学がブースを設けての相互参加を、毎年行っている。2010年(平成22年)には、大学院・先進理工学研究科に、日本初となる他大学との共同専攻(共同先端生命医科学専攻(東京女子医科大学)、共同先進健康科学専攻(東京農工大学)、共同原子力専攻(東京都市大学))が設置された。また、国際教養大学・国際基督教大学・立命館アジア太平洋大学の3大学との間でも、連携協定が締結された。2011年(平成23年)には、先端科学・健康医療融合研究機構が、神戸大学の医学部と大学院医学研究科との間で、先端医療の研究活動で協力する連携協定を締結した。他に学術院単位として政治経済学術院の経済学研究科と慶應義塾大学大学院経済学研究科・東京工業大学大学院社会理工学研究科との提携があり、両研究科の講義を履修し修了単位とすることができる。この他、早稲田大学は84か国の477大学と大学間協定を結んでいる他、40か国の大学・機関と381の箇所間協定を締結しており、人材や研究の交流を推進している。2015年11月、早稲田大学は記者会見を開き、刺激惹起性多能性獲得細胞論文関連で調査した2006年以降の博士論文2,789本について、うち89本に引用の仕方などに不備が見つかったことを明らかにした。早稲田大学は理工学術院教授紙屋雄史が中心となり、東芝などともにワイヤレス充電が可能となる次世代型電動バス「WEB-3 Advanced(Waseda Electric Bus-3 Advanced)」を開発。2016年2月1日より東京国際空港周辺や川崎市川崎区の「殿町国際戦略拠点 キングスカイフロント地区」において全日本航空や川崎市の協力のもと、公道実証試験を開始した。早稲田大学は、アドソル日進、日本電気、オムロン、京セラ、住友電気工業、ダイキン工業、東光高岳、東芝、パナソニック、日立製作所、富士通、富士電機、三菱電機、明電舎など約40社と共同で、政府が2017年までの設立を目指す家庭で発電した電気を売買する「ネガワット取引市場」創設に向けて2016年1月、「エネルギー・リソース・アグリゲーション・ビジネス・フォーラム(ERABF)」を設立した。
出典:wikipedia
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