那珂川町(なかがわまち)は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する町である。現在筑紫郡で唯一の自治体となっているが、2015年国勢調査速報値で人口が5万人を突破し、2018年10月1日の単独市制施行を目指す方針である。那珂川町が市制施行すれば筑紫郡は消滅することとなる。町名の「那珂川町」は、福岡市中心部を流れる河川として有名な那珂川からとったものである。町の南部が那珂川の源流となっており、町北部、福岡市へと流れている。1982年3月28日には「那珂川町町民憲章」が制定されている。福岡市の西南部に隣接しており、福岡都市圏の一部を構成する。福岡市に近い博多南駅周辺・西鉄那珂川営業所を周辺を中心とした町北部の平地部ではベッドタウンとして発展しているが、他の地域は農地・山地となっており、南畑ダムや、自然保養施設「グリーンピアなかがわ」などがある。町全体で見ると順調に人口は増加しているが、北部の一部地域では都市化により人口が増加している反面、面積の大半を占める他地域では深刻な過疎化と高齢化が進行しているなど、同じ町の中でも正反対の特性を持っている。人口の約8割近くが市街地に集中しているため、那珂川町の中心地区は福岡市からの延長線上で境目ははっきりわからない所が多い。また、福岡市の外縁地区(鶴田・老司・弥永)などより商業が発達しているため福岡市から町内のスーパーなどへ来る人も多い。この一極集中型の市街地のためDID人口密度は7,000人に近い。町ではあるが、2010年9月30日時点での住民基本台帳、及び外国人登録者数の人口が5万人を突破した。しかし、2010年度の国勢調査の結果は49,785人で5万人に満たず、市制施行は次回以降へ持ち越しとなったが、その後行政は積極的に市制施行を目指しており各地で「市になろう!」キャンペーンを実施し、定住の促進や住宅購入時に発生する固定資産税の免除や家賃の割引などの積極的な住民誘致を行い、2015年の国勢調査の速報値で50,029人に達した。2018年10月1日に市制施行が予定されている。合併当初は23大字があった。1970年代以降、市街化地域を中心に町名設置を実施している。当初は、隣の春日市と同様に、住居表示を行わず地番整理をしており、街区符号を持たない「那珂川町○○1丁目100番地」のような表記方法であったが、2000年代以降に実施された地域に関しては「那珂川町○○1丁目1番1号」のように福岡市等で見られるような住居表示を実施している。街区表示板では、前者は青色、後者は緑色と区別されている。現在のところ周辺の市との機運があまりないが、福岡市への編入や旧筑紫郡での合併・北筑紫地区(春日市・大野城市・那珂川町)が考えられる。那珂川町では主に水田が広がっているが、近年の減反政策により畑作に転じる農家が増加し、ヤーコンという根菜に力を入れて栽培している。町の物産館などではヤーコンまんじゅう、ヤーコンドリンクなどヤーコンにちなんだ土産品が並んでいる。山間部ではわさびの栽培なども行われている。農家数・農業人口は一貫して減少傾向にあることが統計に表れていて、昭和55年度(1980年)ではそれぞれ800戸・3,911人であるが平成12年(2000年)には同423戸・2,762人まで減った。町内ではあまり工業はみられないが、今光・片縄の一部でみられる。またここでは、新幹線車両基地も工業として扱う。町内の商業の歴史は新しく、古くからの商店街や商店などはほとんどみられない。町が都市化し始めた昭和55年以降ユニード(現: ダイエー・グルメシティ)マルショク・サンリブ・サニーなどが進出。それ以前は福岡市南区老司にあった寿屋などを利用していたと思われる。現在は都市化も進行したが大型商業施設はなく、福岡都市圏では数少ない空白地帯となっている。那珂川町仲・東隈地区の田園地帯にGMSタイプの大型店が検討されているが、幹線道路から離れていることや市街化調整区域であることから実現のめどは立っていない。那珂川町の中心は主に北部地区の4つの通りと博多南駅前から成る。市外局番は福岡地区と共通で092である。その後那珂川町は951〜954までが与えられている。ただし、福岡市に隣接する片縄緑地区は南区鶴田地区と同じ566・567である。最寄りの空港は福岡空港である。西日本鉄道(西鉄)グループ各社が運行する路線バス(西鉄バス)と、那珂川町が運行するコミュニティバスの「かわせみバス」がある。それでも、那珂川営業所以北のバスは極めて高い頻度で運行される。町内を縦断する国道385号は福岡市と大川市・柳川市を結ぶ重要ルートである。
出典:wikipedia
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