チャイルド・マレスター (child molester) は、子供にみだらなことをする人間のことを指す用語。日本語では児童性虐待者または小児性犯罪者などと訳される。ペドフィリアが医学的用語として多く用いられるのに対し、こちらは犯罪分析によく用いられる用語である。チャイルド・マレスターが複数の子どもを性的に虐待している状況をセックス・リング()と呼ぶ。チャイルド・マレスター(child molester)は、マスメディアの報道の影響もあってペドファイル()と混同されがちであるが、ペドファイルは子供に性的夢想を抱く人間であり、本来それらの概念は異なるものである。小児性愛者だからといって必ずしも子供にみだらなことをするわけでもなく、また小児性愛者でなくとも子供にみだらなことをする場合はある。調べによると、チャイルド・マレスターがペドファイルの傾向にある確率は3割程程度である。(2006) また、ジェームズ・キンケイド (1998) は、一般的に考えられている児童性虐待の状況について、被害者を無力な存在として描写し加害者を怪物扱いする傾向があることについて触れ、そういった考えがゴシップ的だと指摘している。また、ロバート・K・レスラー (1996) は、近親相姦を行う人は児童性犯罪者としては自分の子供しか犯さないという考えがあったが、本当は妻とセックスしたくない男性が娘と近親相姦を行う場合もあり、必ずしもそういった考えが当てはまるとも限らず、しかもこういったことは妻や離婚した元妻は話したがらないと指摘している。連邦捜査局には児童性虐待者の類型論がある。状況的児童性虐待者とはペドファイルでないチャイルド・マレスターであり、嗜好的児童性虐待者とはペドファイルであるチャイルド・マレスターをいう。ストレスを抱えている時に犯罪を犯しやすい傾向があるため、このうち最も多くの児童性虐待者に見られる特徴は退行型と見られている。ただし、複数のタイプの特徴を持つ人も少なくない。ロバート・K・レスラー (1996) の経験によれば、嗜好的児童性虐待者よりも状況的児童性虐待者の方が多く、中でも近年は倫理観欠如型が増加しているといい、そのような場合は親が近親相姦を行っている場合もあるため、子供の倫理観もまた欠如している可能性があると指摘している。嗜好的児童性虐待者ははっきりと子供への性的嗜好を所有していなくてはならないため、定義上少ない傾向があるが被害者の数は多い可能性がある。また、内向型は従来の典型的なイメージに近いが、だからといって多いとは限らない。動機に関してはさまざまな指摘がなされている。フェミニスト的解釈は、性的虐待は性欲ではなく支配欲が動機であり、その原因は家父長制にあるとした。この説は責任の所在について、従来の精神分析学的な子どもの性欲の理論と、家族療法的な家族内の関係力学を否定し、被害者に責任がなく、すべて加害者側の責任であるということを明確にした意味で非常に画期的であった。児童に対するものは性衝動の理論が当てはまりにくいこともあり、この説は現時点で有力な説の一つとされているが、これのみが全ての原因とはいいがたい。19世紀には「反社会的な人間や精神障害者等」という報告がされ、一部の異常な状態にある人間のみとされていた。だが、20世紀には「社会から疎外され、ストレスに押しつぶされた人間」「単に性格の弱い人間」「若さを取り戻そうとした孤独な人間」「未熟で未発達な人間」「夫婦関係がうまくいかずその代償とした人間」というように心理的な要因に目が向けられた。現在の仮説の一つでは、人格形成期の初期における矛盾した愛情関係(すなわちトラウマ体験)が原因というものがある。この理論によると、性犯罪を行い親密さを強要するのは、損なわれた自我の根源を取り戻し人との関係を回復しようとする試みの一端とされる。人とつながっている感覚により、自意識が攻撃されているために起こる不安を和らげるのである。このとき問題とされるのは、自分の自信を損なわないために独断的になり被害者の苦痛を認識しない点である。また、別の仮説では自分自身の孤独や憂鬱といったネガティブな心の状態を打ち消すために常軌を逸した夢想を行う点に着目している。夢想を提唱したのはジークムント・フロイトであり、満たされない欲求を補正するものとされている。また「性的虐待被害者」に多いという話もあり、虐待被害者が加害者予備軍扱いされるとして批判も浴びやすいが、パメラ・D・シュルツ (2005) のように加害者の文化的ナラティブの否定につながりかねないと問題視する論者もいる。性的虐待を受けた人間の一部が性的虐待を起こすメカニズムについては虐待者に対する同一視というのが最も一般的である。投影同一化の働きにより「無力な自分」と「加害者の自分」とのスプリッティングを起こし、加害者となることで自身の主体性を取り戻そうとする一方、被害者に自身を重ね合わせ「痛みの共有」という一方的かつ主観的な共感に浸り、慰めを得ようとしているとも言われる。「スプリッティング」とは防衛機制の一つであるが「抑圧」や「昇華」と違い、自我が脆弱な時期におけるものであることが特徴的である。この状況においては「悪い自己」はネガティブな情動として切り離され、それにより「良い自己」を温存しようとする。また、この二つの自己を外界の対象に投影することを「投影同一化」という。このように異なる研究や仮説が多くあるため、現在のところ複雑な原因があるというのが一般的である。現在は社会的地位、血縁、性別、年齢、性的指向にかかわらず性的虐待は行われていることが明らかとなっている。また、子供に対する性犯罪の8割が顔見知り(家族・親族や家族の信用できる友人など)によるものであるため、水面下に隠れているケースが少なくないようである。ペドフィリアであるかに対しても多く議論がされているが、完全な小児性愛者は非常に少なくPamera D. Schultz (2005) の語るところでは、自分が出会った人間の中で小児にのみ性的関心を向ける男性はわずか1人だけであったという。家庭内の性的虐待に関しても一致した見解はないが、少なくとも近親姦の加害者が家族にしか興味がないというのは誤りであるという点では一致している。近親姦の加害者の半数は他人の子供に対しても性的暴行を加えていたという報告もある。男女の比率に関してはノルウェーのオスロでの「暴力とトラウマに関する国立資料館」の調査があり、それによると子供に対する近親姦は男性からが9割、女性は1割とされた(女性からのものの多くは母親)。同様の報告として、アメリカ、イギリス、スウェーデンなどにおける調査では子供への性的虐待の5~20%が女性によるものであると推定されている。虐待は必ずしも連鎖するものではないが、ベッカーの調査によると性犯罪の加害者の52%は自分自身も性被害者であるとされている。また、同調査では中学生時代に異常行動をきたすケースは性犯罪者の60%とされた。この関係についてはさらに補足が必要である。Lisak D, Hoppre J, and Song Pの報告 (1996) では23%の男性が自分に身体的・性的虐待の加害体験があることを認めているが、身体的・性的虐待の男性加害者の79%が身体的・性的虐待の被害者であるとされながらも、全体の数から見れば身体的・性的虐待の男性被害者が加害者になる率は19%であった。David Skuse (2003) は幼少期に性的虐待を受けた男児224人を調査したがそのうち26人しか性虐待を行っておらず、また、性的虐待の加害率を高めるのは「幼年期の少ない監督」「女性による虐待」「家庭内の暴力」の3つの要素であった。虐待被害者が虐待加害者になることは「吸血鬼症候群 (Vampire Syndrome)」と言われるが、虐待を受ければ加害者となる可能性が高くなるのも事実である。だがそれは単なる傾向であり、多くの虐待被害者は虐待をしていないのである。成人加害者が記録上は多いのであるが、未成年加害者も多く存在すると見られる。児童性的虐待加害者は子供を誘拐し、傷つけ、殺すことさえ辞さないというステレオタイプがあると言われるが、Pamera D. Schultz (2005) によると実際には多くの場合は暴力的な攻撃はないという。Lisakらの無作為抽出調査 (1996) でも、性的虐待加害者で身体的虐待は加えていたのは3分の1に過ぎなかったと出ている。むしろ一見すると子供に選択肢を与えるようにしながら、無言の脅迫や甘美な言葉を用いて行為に参加させる場合のほうが多いと見られる。もちろん、子供にマインドコントロールを施すことになるのであるから、長期的に見てこのような場合は被害者は行為に参加した自責の念に苦しめられることが多いと見られる。日本では刑期が軽いと非難され、アメリカでも児童性虐待は軽蔑の目で見られている。だがその一方で、アメリカでは社会的偏見が激しすぎるために罪をいくら償っても償った可能性を認めない傾向もあるため、一部の矯正官やカウンセラーらは更生可能なのにその道を閉ざしてしまうとして問題視している。このような問題の出る背景には次のような要因が考えられている。だが、大衆ヒステリーのような状況は今日のアメリカでも認められており、これらの問題が解決できるのはまだまだ先のことであると見られている。(そもそもこういった問題がうまく議論できるのは被害者の声が反映されてこそである)加害者にも治療プログラムは施されているが、現在のプログラムではほとんど効果はないとされる。性犯罪者の調査では2004年3月のカナダの研究結果では1980年代の性犯罪者のうち治療プログラムを行った人の累犯率は約21.1%で、参加していない場合は21.8%であった。だが、1994年にアメリカの15の州の調査によると、3年以内における性犯罪以外の再逮捕率は69%なのに対し、性犯罪者の再逮捕率は43%であって、性犯罪率に限った場合ならば約4倍ではあるが、性犯罪者の累犯率自体は他の犯罪と比べ突出して高いわけではない。また、1994年に刑務所より釈放された15の州での児童性虐待者約4300人が再び児童性虐待で逮捕された例は3年以内で約3.3%である。なお、性的虐待を「少年期にのみ」起こした場合は成長後かなり罪悪感に苦しめられているか、まったく忘れている場合が多いと言われている。これに関しては司法の形式に関係した議論もある。この犯罪に対しては従来のごとく「応報的司法」によって対処しようとし、犯罪を国家に対する違反行為とみなし懲罰に重点が置かれる傾向が強い。だが、これでは「被害者は被害者でしかなく、加害者は加害者でしかない」という概念を助長することにもなりかねず、被害者・加害者双方にとって重要なものが一切無視されることにもなりかねず、問題の抑圧作用はそのまま残る。これに対して「修復的司法」の立場が提唱された。この考え方では、犯罪は人間関係における違反とみなされ、コミュニティの間との関係修復と和解に重点が置かれる。この立場ならば、被害者・加害者双方の心理学的・情緒的影響が考えられ、文化内部における力の働きと支配を児童性虐待はどのように反映しているかを映し出すことになり、問題はより一般的になり真の理解度が上がる可能性があるという指摘が一部の矯正官やカウンセラーを中心に出た。ただし、これに関しても問題を相対化しすぎると加害者の責任が問われなくなるという意見も存在する。
出典:wikipedia
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