セブンスデー・アドベンチスト教会( -きょうかい、)は、1800年代後半にアメリカの再臨待望運動から起こった教団。『キリスト教大事典』652頁(教文館、昭和48年9月30日 改訂新版第二版)では、プロテスタントと位置づけず、一方で異端とも位置づけず、冒頭文で単に「アメリカに始ったキリストの再臨と安息日厳守を主張する教派」としている。名称の「セブンスデー」は週の第7日(=土曜日)の安息日を、「アドベンチスト」はキリストの再臨を待ち望む者を意味することから、日本では安息日再臨派(あんそくび さいりん は)と呼ばれることもある。キリストの十字架による贖罪死を信じる信仰によって救われるという立場をとり、十戒を現在も守るべきものと解釈する。18世紀初期に様々な教会から(メソジスト派やバプティスト派が多かったが、他の教派からの集合であった)再臨について深い聖書の解釈をした、いわゆる「ある程度聖書に詳しい人々」の集まりから始まった。当時はまだ日曜教会であったが、4世紀にカトリック教会が地域毎の安息日の習慣にあわせて、土曜日のほかに日曜日もミサ祭礼を行うことを認めるようになった事に目を向け、我々は古代のキリスト教に戻るべきだとする安息日礼拝(土曜日礼拝)をのちに支持した。アメリカやその他の地域においてキリスト教専門の総合テレビ局などで土曜日はほぼ一日中この教会の礼拝を中継しており、その知名度はかなり高い事がわかる(この教会よりも歴史の古いセブンスデーバプテスト教会なども中継されており、アメリカではこの安息日を固守する教団が191団体にも及ぶ)。SDAの教理は超教派的で様々な他教団の教理を取り入れ、自分達がそれなりに客観的に見て、聖書的だとする教理を受け入れたものであるとされる。それらは以信得義の教理であるルター派やアルミニウス主義的思想から、復活信仰は再洗礼派から、聖化される精神成長はジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレーのホーリネス運動から、バプテスマの教理はバプテスト派から、社会奉仕は救世軍から、世界宣教の理想はモラヴィア兄弟団から、安息日の意味はセブンスデー・バプテスト派からであるとされている。天地創造は字義とおりの6日間で創造されたと解釈し、キリストの復活、昇天および再臨も字義とおりのものと解釈する。また、人間の死は、キリストの再臨の際の復活までの無存在の状態と解釈する。伝統的なキリスト教と同様、キリストの処女降誕・神性・奇跡・贖罪死・復活と再臨の基本教義を堅持する。しかし、もうひとつ彼らの教理の一つ霊魂消滅説がある。プロテスタントの中でも一般的な異言の解釈に対し、聖句の中のうめき声を出す祈りの方法に異を唱え、神聖なお祈りを追求し静かな祈りを教理とする。彼らの異言とは不明瞭なうめき声ではなく、外国語を意味し、宣教時等に主の力を得て、今まで話せなかった外国語が出ると言う教理を持っている。(しかしこの教理は絶対的な教理ではなく、異言を唱える信徒が存在する。)キリスト教界において、「異端(ないしキリスト教系の新宗教)」として位置付けるかどうかにの見解に違いがある。セブンスデー・アドベンチストと世界福音同盟との対話が2007年8月に行われた。双方が互いに、共通する信仰内容があることを確認した一方、同意がみられなかった点があることを確認した上で、今後の協力関係を発展させることで合意した共同声明が発表された。1800年代前半に北米で起こった再臨待望運動を源としている。中心人物であるウィリアム・ミラーが、1843年にイエス・キリストの再臨の日を特定して予告した。しかし、実現しなかったので翌年また特定しなおしたが、どちらも実現しなかった。これは、これはミラーの支持者であるエレン・グールド・ホワイト夫人が第7日目安息日(土曜日)を守らないことが実現できない理由であると解釈して、土曜日を安息日にするという意味で、セブンスディー・アドベンティスト教会が発足した。ミラーとホワイトたちと袂を分かったグループは教区を作り(アドベント教会)活動していたが、1865年から盛んに解放奴隷の伝道や国外伝道をした。日本へも岩越政蔵を派遣しアドベント教会の流れを作った。(日本アドベント・キリスト教団)一方、ミラーとホワイトが指導するグループは集まり、1863年に教団組織を発足。かつては律法主義的色彩が濃かったが、その後、福音主義的教義を受け入れる。発足当初からホワイトが中心になり組織を急速に拡大し、ほぼ全世界で布教活動をしている。
出典:wikipedia
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