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留守顕宗

留守 顕宗(るす あきむね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。留守氏17代当主。陸奥国宮城郡岩切城主。永正16年(1519年)、留守氏16代当主・留守景宗の嫡男として生まれる。天文23年(1554年)、父の死去により家督を継いで当主となる。留守氏は天文の乱において伊達晴宗方の主力として戦ったが、顕宗は晴宗と対立し、弘治2年(1556年)に晴宗の支援を受けた留守氏一族・村岡常継の攻撃を受ける。この時は常継の妹を側室に迎えて講和を成立させたが、以後も晴宗からの圧迫は止まず、これに同調した留守氏家臣団の一部(祖父・郡宗や父・景宗に随行してきた伊達家臣及び吉田氏・花淵氏ら外様衆)の圧力を受け、永禄10年(1567年)には晴宗の三男・政景に家督を譲ることを強いられた。その際に常継の妹との間に生まれた実子の宗綱は神楯城主・高城周防守の養子として送り出され、顕宗は南宮館に隠退した。天正14年(1586年)7月17日死去。享年68。

出典:wikipedia

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