曽根 晴美(そね はるみ、1937年(昭和12年)9月5日 - 2016年(平成28年)6月16日)は、日本の俳優・映画プロデューサー。大阪府大阪市出身。別芸名は曽根 将之。所属事務所はサイプロダクション。学生時代は野球に打ち込み、日本プロ野球・東映フライヤーズの支配下に入るが、怪我のため正式契約前にプロ野球選手を断念。進路に迷っていると「東映がニューフェイス募集してるよ。変わった顔してるんだから入ったら」と勧められ写真と履歴書を送付したところ、1957年(昭和32年)に第4期東映ニューフェイスに選ばれる。同期には佐久間良子・水木襄・室田日出男・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいた。1958年(昭和33年)、『裸の太陽』でデビュー。 1961年(昭和36年)には千葉真一が初主演・深作欣二が初監督をした映画『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に「スペードの鉄」役で準主演し、「拳銃コンビ」のキャッチコピーで売り出された。シリーズ化された第2作『風来坊探偵 岬を渡る黒い風』でもジョーカーの鉄で準主演した。ギャング映画では主要人物の1人として、ヤクザ映画・アクション映画では脇役・敵役で出演した。1996年(平成8年)、息子の曽根英樹(現・曽根悠多)主演のVシネマ『仁義なき野望』をプロデュース。2016年(平成28年)6月16日午後、胆管細胞癌のため名古屋市内の病院で死去、78歳没。訃報は同年7月5日に公表された。プロ野球を断念して俳優になったこともあり、「役者は好きでやったわけじゃない」という。テレビドラマでは『プレイガール』に多数ゲスト出演しているが、監督がみんな友達だったので「入れといてくれよ、ちょっと金ないから」といった感じで、「小遣い稼ぎで出ていたから印象がない」とのことで、深作が参加していた『キイハンター』の方が「印象があった」という。テレビ時代劇『変身忍者 嵐』では悪役「骸骨丸」を演じているが、演じたきっかけは「時代劇だったし、レギュラーやったことないし、子供番組みたいなのはやったことないけど、骸骨丸ってのはワルで子供にものすごく嫌われるだろうし、よし、やってみようと思って、そんなに考えなかった」というものだった。いざ演じてみると曽根の思ったとおり、近所の子供たちが「骸骨丸だ、骸骨丸だ」と寄ってきた。子供番組での悪役について「子供には楽しんでもらえたな」「だから好きだよ。いまでも話が来たら喜んでやりますよ。でも悪役だったけど、子供に嫌われるんではなくアイドルみたいになっちゃうからね、だからありがたいですね」と語っている。この時期は京都での仕事がほとんどで、東京と京都を往復して『仁義なき戦い』シリーズなどに出ていた。東映京都の『仁義なき戦い 完結篇』(1974年)では北大路欣也と山城新伍を撃ちまくる殺し屋を演じるが、これは曽根が深作に「この2人殺すの、おれにやらせろ」と無理やり出させてもらったものである。監督には「前に違う役で出てるから顔がわかったら困る」と言われたので、帽子を深くかぶって顔がわからないように演じている。曽根は『仁義なき戦い』シリーズを振り返って、「ただやっぱり、あの映画(シリーズ)が俺をプロデューサーにしたかもしれないね、いずれ、ああいうのを作ろうと思ってる」と語っている。息子は俳優の曽根悠多、娘はフィギュアスケート選手の曾根美樹。
出典:wikipedia
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