前田 祐吉(まえだ ゆうきち、1930年9月22日 - 2016年1月7日)は、日本のアマチュア野球選手、野球指導者。慶應義塾大学野球部で選手、監督を務めた。高知県高知市出身。高知県立高知城東中学校のエースとして1946年の第28回全国中等学校優勝野球大会に出場。これは高知県勢で春夏通じて初めての全国大会出場だった(この年甲子園球場はGHQが接収中のため、阪急西宮球場で開催)。慶大へ入学し東京六大学リーグで投手として10試合登板し2勝1敗。卒業後は社会人野球のサッポロビールに進む。1960年に慶大の第9代監督に就任、その年秋に早慶六連戦を指揮。1965年まで6年の任期中東京六大学野球リーグ優勝を3回果たした。その後1982年に2度目の監督就任。当時の慶大は前年に東大に勝ち点を献上するなど最下位に沈み、まさにどん底にあった。チームの再建を期待された前田は選手の個性を巧みに引き出し、就任4年目の1985年秋季リーグ戦でチーム2度目の10勝無敗優勝、明治神宮野球大会でも初優勝を果たし見事にチームを復活させた。2度目の任期は1993年までの12年に及び、リーグ優勝5度。1987年には全日本大学野球選手権大会で優勝した。日本学生野球協会などの役員を歴任、アマチュア球界の重鎮としても知られた。2016年1月7日、肺炎のために神奈川県川崎市高津区の病院にて死去。。早大監督を務めた石井連藏との関係は宿命ともいえるものである。早慶六連戦ではともに監督を務め青年監督対決として注目を集めたほか、互いの監督任期が二度とも重なっている。近年では1990年の春のリーグ戦において、勝った方が優勝の大一番「早慶V決戦」は、早慶戦史上に残る名勝負を展開した。早慶両校とも2度監督を務めたのは前田と石井だけであり、2度目の監督就任当時チームが低迷しており、再建役として就任したことも共通している。
出典:wikipedia
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