普天満宮(ふてんまぐう)は、沖縄県宜野湾市普天間にある神社。宜野湾市で唯一の神社でもある。現在の正式な社名は普天満宮となっている。別称は普天満権現。一般的には普天満神宮と呼称される。琉球八社の一つ。熊野権現と琉球古神道神を祀る。慶安元年(1648年)刊の『琉球神道記』に「当国大社 七處アリ、六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處ハ八幡大菩薩也」、また別名である普天満権現については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛龍ト見ユ、東ニ当リテ瀑布アリ、其水霊也」と、祭神のことが記されている。創建については往昔、普天満宮の洞窟(普天満宮洞穴)に琉球古神道を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の時代(15世紀中半)に熊野権現を合祀したと伝えられている。現存する古い記録には万暦18年(1590年)の「普天満権現碑」があり、『琉球神道記』や『琉球国由来記』(正徳3年(1713年))、『琉球国旧記』(享保16年(1731年))にも普天満宮関係が記載されている。熊野信仰との関連では普天満宮を熊野三山の那智山飛龍権現に見立てて信仰されていたようである。さらに、近世沖縄における熊野信仰は琉球八社を始め、その分社、あるいは美津呂(びじゅる)、観音、霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所(うがんじょ)としても数多く存在する。縁起伝承には首里桃原に出現した女神が普天満の洞窟に篭もったという伝承、その後洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と神威を示さしたという伝承があり、又、中城間切り(現北中城村)安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難を救ったという伝承があり、「当ノ屋」ではそのお礼参りが続いている。旧暦9月は普天満参詣と言って、かっては中山王はじめ、一般の人々が各地より参集し拝礼の誠を捧げた。沖縄戦のあった昭和20年(1945年)には、当時の社掌が神体を持って本島南部の糸満へと避難した。戦争終結後は、敷地が米軍により接収されていたことにより、具志川村(現うるま市)に仮の宮を造った。その後、米軍により敷地が解放され、昭和24年(1949年)に元の本殿へと戻った。例祭:旧暦9月15日屋根瓦は沖縄独特の雰囲気を漂わせる。境内奥の洞穴の内部に奥宮が祀られている。10時より17時まで拝観可能(但し、正月期間中及び、神社の都合により拝観できないこともある)。拝観料は無料であり、受付時に代表者の住所、氏名を記述する必要がある。参道(首里から続く普天間街道)沿いには昭和7年(1932年)4月に国指定天然記念物となった宜野湾並松(じのーんなんまち)があり、松の大木が5kmにわたり続いていた。沖縄戦直前に資材としてほとんどが伐採され、その後の戦闘により残りも消失した。その参道は戦後は米軍普天間飛行場となり、市街地にわずかに残った松もマツクイムシなどですべて消えてしまった。社殿裏にある普天満宮洞穴は平成3年(1991年)3月1日に宜野湾市の名勝に指定された。普天間バス停(徒歩2~5分)
出典:wikipedia
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