天神橋(てんじんばし)は、大阪府大阪市にある橋梁および町名。具体的には以下のものを指す。天神橋(てんじんばし)は、大川に架かる天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺線)の橋で、大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していたが、1634年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。浪華三大橋の中で全長が最も長い。また、1832年(天保3年)の天神祭において、橋上からだんじりが大川へ転落して溺死者13名を出す事故があり、「天神橋長いな、落ちたらこわいな」と童歌に歌われた。明治初期までは木橋だったが、1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失。1888年(明治21年)にドイツ製の部材を主に用い鋼製のトラス橋として架け替えられた。先述の童歌からもわかるように、天神橋の下に陸地はなかったが、1921年(大正10年)以降、大川の浚渫で出た土砂埋め立てによりさらに上流へ拡張された中之島公園を跨ぐようになった。1934年(昭和9年)には松屋町筋の拡幅に合わせて、ほぼ現在の形である全長219.7メートルの3連アーチ橋となった。鉄橋の橋名飾板は、現在天神橋北詰に保存されている。 天神橋南詰には、天神橋交差点があり、ここより北を天神橋筋、南を松屋町筋という。大阪市営バスの天神橋停留所もここにある。天神橋北詰から北へ順に1丁目から8丁目まであり、長柄橋南詰に至る。日本一長い商店街として知られる天神橋筋商店街がある。当初は天神橋筋という町名で、1872年(明治5年)に4丁目まで、1900年(明治33年)に6丁目まで、1927年(昭和2年)に9丁目まで設置された。1943年(昭和18年)まで7丁目から9丁目は東淀川区に含まれ、同年以降6丁目の都島通以北から9丁目は大淀区に含まれていた。1977年(昭和52年)に大淀区側が天神橋に改称し、6丁目の都島通以北は7丁目に、9丁目は8丁目に編入された。翌1978年(昭和53年)には北区側も天神橋に改称。1989年(平成元年)、合区により全域北区(新)となった。天神橋のうち最も有名なのが6丁目で、天六(てんろく)と通称される。他の丁目も同様の通称を商店街などが使用しているが、あまり浸透していない。かつて阪急千里線天神橋筋六丁目駅は天神橋駅と名乗っていた。
出典:wikipedia
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