プロヴァン (Provins) は、フランスのセーヌ=エ=マルヌ県の都市。中世にはシャンパーニュの大市の開催都市として知られ、2001年12月13日にユネスコの世界遺産に登録された(登録名は「中世市場都市プロヴァン」)。古くからバラで有名な都市でもあり、現在でもバラを用いた製菓業などが盛んである。この都市の住民のことはプロヴィノワ (Provinois) と呼ぶ。なお、南フランスの地方プロヴァンス (Provence) とは全く別である。この都市はセーヌ=エ=マルヌ県の南東部に位置している。ブリー台地にあって、ヴルジー渓谷とデュルタン渓谷の合流点の岬に当たる場所近くに立地している。プロヴァンにはパリの東駅と繋がっているふたつの駅がある。シャンブノワ=ポワニー駅とプロヴァン駅である。歴史的な痕跡は旧石器時代にこの地で人が生活していたことを裏付けている。プロヴァンは立地条件の良さの恩恵を受けており、古代にはローマ軍によって利用された。さらに伝説を信じるなら、プロヴァンの市名はローマの将軍プロブスのブドウの木(プロビ・ウィヌム, Probi vinum)に由来するという。プロブスは237年頃にドミティアヌスが禁止していたにもかかわらず、ブドウの栽培を許したとされる。485年にはソワソンでの勝利の後で、クロヴィス1世がプロヴァンにあったローマ軍の城塞を占領した。9世紀初頭からカール大帝はこの地に を派遣したことが明らかになっている。また独自の貨幣を鋳造していたことも明らかになっている。プロヴァンは中世にシャンパーニュ伯の保護を受けていたときには、シャンパーニュ大市を開催する都市のひとつだった。この時期は確かにプロヴァンが歴史に大きな足跡を残した時期であったといえる。現在、伝統的な北仏の古物市の日(11月11日)には、プロヴァンでも毎年下町全体で開催されているが、昔日の面影はない。この伝統的な古物市は聖マルティヌスの市(la foire de la Saint-Martin ; トゥールの聖マルティヌスは11月11日の守護聖人)だったもので、季節限定で雇われる農業労働者にとっての冬季の雇い入れ時期の開始を告げるものだった。この市は農業的な伝統を持つ多くの町で継続されている。中世の祭りを受け継いでいる収穫祭もまた、プロヴァン地方の文化的豊かさを教えてくれる。それは8月の最終日曜日に行われている。現在でこそとうもろこし、甜菜、菜種などの比重も大きくなってはいるが、古くはブリー=シャンパーニュ地方の重要な生産物であった小麦の収穫が終わったことを示していた。祭りで使う小麦の花車 (chars) は、小麦で飾られていて、収穫を想起させるデザインになっている。プロヴァンは薔薇を使った製菓業の中心地である。たとえば、薔薇の花びらのジャムや、薔薇をはちみつやシロップに漬けたもの、あるいは薔薇のキャンディーなどである。プロヴァンの薔薇は、十字軍遠征に参加したシャンパーニュ伯チボー4世によってもたらされた。バラ園は今でも咲き誇っている。プロヴァンの薔薇の木は、低い茂みであることと最近の品種よりも野生の変種に近いことを特徴とするが、その控えめな外観が普及の妨げになったために、もはや地元の造園家でしか見られなくなっている。プロヴァンはプロヴァン郡の郡庁所在地であるが、郡内最大の都市はモントロー=フォー=ヨンヌである。郡はプロヴァン小郡を含む9つの小郡に分かれ、165のコミューン(総人口約147000人)を抱えている。プロヴァン小郡は15のコミューンから構成される人口約21000人の小郡である。また、プロヴァン市はプロヴィノワ市町村共同体 () を構成する27の自治体のひとつである。このほかヴィクトル・ユゴーやオノレ・ド・バルザックもプロヴァンを訪れたり、作品に登場させたりした。プロヴァンの景観はフランス国内では「芸術と歴史の街」() のひとつに選ばれており、また2001年には世界遺産にも登録された。 都市はその中世の城塞で知られている。1200メートルの距離に22の塔が幾何学的に配置されており、城塞の中心的な塔は1226年から1314年にかけて建造された。
出典:wikipedia
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