エマヌエル・ポガテッツ(Emanuel Pogatetz, 1983年1月6日 - )はオーストリア・グラーツ出身の同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー。ブンデスリーガの1.FCウニオン・ベルリンに所属する。オーストリア・ブンデスリーガに属するSKシュトゥルム・グラーツの育成部門出身。しかしトップチームでは活躍できず、17歳でオーストリア2部のFCケルンテンへ移籍。同クラブで急成長を果たし、2001年に21歳の若さでドイツ・ブンデスリーガの強豪・バイエル・レヴァークーゼンに移籍。UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02で準優勝したチームのメンバーでもある。しかし、レヴァークーゼンでは思ったような活躍は出来ず、スイス・スーパーリーグのFCアーラウ、オーストリア・ブンデスリーガのグラーツァーAK、ロシア・プレミアリーグのFCスパルタク・モスクワにレンタルされる。レンタル先ではしっかりとレギュラーとして活躍し、オーストリア・ブンデスリーガ優勝、ロシア・プレミアリーグ準優勝などに貢献した。2005年7月1日にイングランドのミドルズブラFCへ守備陣の新リーダーとして5年契約で移籍。センターバックや左サイドバックでプレーし、瞬く間にレギュラーに定着していった。ただし怪我が多く、移籍初年度の2005-06シーズンは怪我で棒に振った。2008年には2007-08シーズンのクラブ最優秀選手に選ばれた。2008-09シーズンも引き続きディフェンスリーダーとして奮闘するも、チームは後半戦に失速。2部降格が決まってしまった。2010年6月2日にハノーファー96に移籍し、5年ぶりのドイツ復帰。移籍後はディフェンスリーダーとして2年連続でリーグ最多失点を喫していたDFラインの再建に尽力。チームは見事4位に入り、UEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得した。2011-12シーズンも引き続き主軸としてプレーし、ヨーロッパリーグではベスト8に入った。リーグ戦でも7位となり2年連続でヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2012年6月20日に250万ユーロでVfLヴォルフスブルクに移籍。当初はナウドと共にセンターバックのレギュラーだったが、10月25日にフェリックス・マガト監督が解任されると、それ以降はシモン・ケアーにレギュラーを奪われていった。2013年1月28日、ウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍し、3年半ぶりにプレミアリーグに復帰。2013年7月3日、1.FCニュルンベルクへ移籍。2014年9月8日、メジャーリーグサッカーのコロンバス・クルーに加入した。2016年1月5日、1.FCウニオン・ベルリンに移籍した。2006年にヨーゼフ・ヒッケルスベルガー代表監督をメディアを通して痛烈に批判。この批判によって、実力的には申し分なくても長期間に渡って代表チームに招集されていなかった。当時、チェルシーFCを率いていたジョゼ・モウリーニョ監督がメディアを通してポガテッツを代表に招集しないヒッケルスベルガー監督の判断を「ポガテッツのような毎週プレミアリーグで素晴らしい活躍を見せ、幾度と無く週間ベストイレブンに選ばれている国際レベルのセンターバックを自国の代表に招集しないなんて、よほどオーストリアはワールドクラスのセンターバックに恵まれているんだろうね!」と皮肉っている。2007年になるとヒッケルスベルガー代表監督はポガテッツを再招集することを公言。2008年2月6日のドイツ戦で1年半ぶりの代表復帰を果たした。
出典:wikipedia
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