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願興寺 (岐阜県御嵩町)

願興寺(がんこうじ)は、岐阜県可児郡御嵩町にある天台宗の寺院。山号は大寺山。本尊は薬師如来。通称は蟹薬師、可児大寺。中部四十九薬師霊場第四十九札所。寺伝では、日本天台宗の祖最澄の創建によるものという。その後衰退し、武田氏の東濃地域進出の際の兵火により一旦消失する。消失の際には仏像を僧侶や近隣住民が背負って近在の愚渓寺迄運び隠し通し、現在でも当時の仏像を拝観することが出来る。焼失の後天正9年(1581年)に近隣住民により再興された。なお、境内からは最澄の時代より古い奈良時代の古瓦が出土しており、古代創建の前身寺院(願興寺廃寺)が存在したことが確認されている。寺伝によれば、弘仁6年(815年)に最澄(伝教大師)が、東国巡錫の折に人々の苦しんでいるのを見て、この地に布施屋(施楽院)を開創し、薬師如来を祀ったのが起源とされる。伝承によれば、正暦4年(993年)に、一条天皇の皇女とされる行智尼がこの地に庵を結んだ。ある時、庵の近くの池に数千の小蟹に乗った薬師如来像が現出。この奇瑞を聞いた一乗天皇の勅願により、長徳4年(998年)に伽藍が整備されたという。その後、2度の兵火による焼失を繰り返しながら、その都度再建されている。2度目の焼失後の天正9年(1581年)与次郎という百姓の発起により再興に取りかかったが、工事の最後には力尽き屋根は板葺きで、とりあえず諸仏を入れ、体裁を整えたという相当の困難が伴ったようである。地方の寺院としては大きな本堂は、大工も地の者を使ったようで粗放な感も否めないが、当時の工事の生々しさが伝わってくる。天台寺院と真言寺院が融合されたようなつくりで当時台頭していた新仏あ教が旧宗派に影響を与えたものではないかといわれている。本堂は柱が48本あることから、俗に「いろは造り」といわれていた。広い回廊は東山道を旅する人々に夜露をしのげる場所を与えたことであろうか。笹の才蔵と呼ばれた可児吉長が幼少期を過ごしたと伝わる。名鉄広見線御嵩駅より徒歩5分

出典:wikipedia

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