クリントン・ダニエル・グラッデン(Clinton Daniel Gladden、1957年7月7日- ) はアメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手)。1979年、サンフランシスコ・ジャイアンツに入団。5年目の1983年に大リーグデビュー。俊足巧打の1番打者として活躍した。1987年にミネソタ・ツインズに移籍、1987年と1991年のツインズのワールドシリーズ制覇に貢献したが、1992年デトロイト・タイガースに移籍している。1994年、読売ジャイアンツに入団。三拍子揃った選手との触れ込みで、センターを守る予定であったが、肩力、走力共に全盛期より衰えており春季キャンプやオープン戦でまずい守備を連発したためレフトを多く守らせることとなり、前年までレフトを守っていた松井秀喜が急遽ライトにコンバートされることとなった。また通算222盗塁から期待されたが盗塁数は2に終わった。プロレスラー、ハルク・ホーガンを思わせる風貌で気性が荒く、後述の乱闘も含めて1年間に2度の退場処分を受けている。シーズン中は1番打者として定着し、98試合で15本のホームランを打つなど長打力を見せた。巨人のリーグ優勝、日本一に貢献も自由契約となり現役引退。1995年ツインズのスカウトに就任。1996年はコロラド・ロッキーズのスカウトを務め、1999年にはツインズの巡回コーチに就任した。現在はミネソタ州でツインズのWCCOラジオ野球解説者を務めている。5月11日の神宮球場でのヤクルト戦で7回表、ヤクルトの西村龍次投手の内角球が原因で乱闘騒ぎになった。内角球を危険に感じたグラッデンが叫びながら2,3歩マウンドへ歩き、西村に詰め寄ったが、中西親志捕手の制止をグラッデンが振り切りキャッチャーマスクの上から中西を殴ってしまったために中西も激昂してグラッデンの顔面をキャッチャーミットで殴ったり振り払う等応戦したり、中西がアッパーカットで倒れた所を容赦無く襲いかかったりと本塁上で激しい殴り合いに発展した。グラッデンは左手小指と右手親指を骨折する。殴り合った中西も顔面骨折と左目打撲の重傷を負った。その後西村は危険投球、グラッデンと中西は暴力行為で退場処分を受けた。なおこの時殴り合っていた二人を制止しなかったとして球審も批判を受けた。この試合では序盤に西村が同じく巨人の村田真一の頭部に死球を与え負傷退場へと追いやり、続いて今度は同じく巨人の木田優夫が打席に立った西村の左腰付近に死球を与え、両チームに険悪な雰囲気が漂っていた。この乱闘でグラッデンは制裁金10万円と10日間の出場停止処分を受けた(球審は田中俊幸、塁審は久保田治、渡田均ら)。この試合の翌日には西村、木田、グラッデンの3人はセントラル・リーグから事情聴取を受けている。この乱闘でグラッデンはヤクルトの選手らに押し倒された上顔を踏みつけられ、中西も巨人の選手らに背中等を数十発蹴られたほか選手が雪崩のようにグラウンドに崩れ落ち、本来の乱闘の場とは別の場所でも乱闘している選手がいたりするなどすさまじい光景であった。この試合は当時の川島廣守セ・リーグ会長が観戦していたこともあり、報復合戦の末の乱闘騒ぎとなったこの試合は両球団の選手・首脳陣や野球ファンのみならずプロ野球の関係者にも衝撃を与える結果となった。また、この試合以降危険球制度が導入された。なお危険球により退場処分を受けた西村は翌シーズン開幕前に近鉄バファローズへトレードされた上、この乱闘が原因で内角を抉るシュートが投げられなくなり成績が低迷し、グラッデンはこの年で引退となり中西もこの試合以降一軍出場が激減し、1996年に引退と皮肉な結末になってしまった。
出典:wikipedia
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