松田 公太(まつだ こうた、1968年12月3日 - )は、日本の実業家、政治家。参議院議員(1期)。タリーズコーヒージャパン創業者。みんなの党筆頭副幹事長、広報委員長、参議院国会対策委員長、東京都総支部長、日本を元気にする会代表などを歴任し2016年に政界引退。1968年、母の実家宮城県塩竈市にて出生し、幼少期は東京で過ごす。1973年に水産会社に勤める父の転勤でセネガルのダカールに渡り、1978年に帰国。1979年にアメリカ合衆国マサチューセッツ州レキシントンに渡り高校までを過ごす。中学・高校とサッカー部に所属し、州大会で2度準優勝を経験した。1986年に日本に帰国して筑波大学国際関係学類に入学し、大学4年までアメリカンフットボール部に所属した。この間に弟が若くして亡くなる。1990年、大学を卒業し、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。土浦支店に配属された後、1992年4月に赤坂支店、1995年1月に池袋西口支店に配属。同年12月に親友の結婚式で渡米した際にスペシャルティーコーヒーに出会い、その後アメリカ・シアトルのタリーズコーヒーと日本での展開の交渉を続ける。1996年6月、高校時代から描いていた食分野での起業を実現するため三和銀行を退行。同年9月にシアトルのローカルコーヒー店(当時5店舗。後に倒産)の「タリーズ」経営者と日本での営業権を交渉し、1997年1月にタリーズコーヒーの日本での1年間の独占契約権を得て、8月7日に東京都中央区銀座にタリーズコーヒー1号店を開店。開業資金のために借金7千万円を背負い、それを全額返す為に朝から晩まで店に立ち続けた。1998年5月にタリーズコーヒージャパン株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2001年にナスダック・ジャパン(現・ヘラクレス)に株式を上場し、2002年に持株会社体制に移行(フードエックス・グローブ株式会社)。2004年にフードエックス・グローブをMBOにより非上場化し、2005年に日本における「Tully’s」商標権を完全取得。2006年には伊藤園に安定株主として過半数の株式を売却。2007年に世界経済フォーラム(ダボス会議)の「Young Global Leaders」の1人に選出される。その後、1年かけて全店を回り、タリーズコーヒージャパン株式会社社長を退任。2010年3月、ハワイの人気店Eggs'n Thingsの世界での展開権(アメリカを除く)を取得し、日本1号店を東京・原宿にオープン。パンケーキブームの火付け役となる。タリーズコーヒーの社長を退任し、海外の和食ブームを予感し、和食店の展開を考えシンガポールで新たな事業を模索していた最中に、旧知だった浅尾慶一郎衆院議員(当時、みんなの党)に「一緒に日本を立て直そう」と誘いを受けたのが政界入りのきっかけだった2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙に出馬(みんなの党公認、東京都選挙区)。選挙では堀江貴文、藤田晋、経沢香保子の支援を受け、小池晃(日本共産党)を降して最下位当選を果たす。2010年9月29日、中国建国61周年を祝うレセプションに出席した。2012年、みんなの党広報委員長及び東京都総支部長、2013年8月に党筆頭副幹事長、10月に党参議院国会対策委員長代理、2014年4月に党参議院国会対策委員長などを歴任。9月には参議院議院運営委員会理事に就任した。同年11月28日、みんなの党解党に伴い無所属となり、12月18日に井上義行、山田太郎、山口和之、田中茂、行田邦子とともにみんなの党の参議院会派を離脱し、新会派「日本を元気にする会」を結成し、会派代表者に就任。2015年1月に井上、山田、山口と次世代の党を離党したアントニオ猪木を加えた5名で、政党「日本を元気にする会」を結党し、代表兼幹事長に就任する。同年夏の平和安全法制審議では、9月16日に自民、公明、元気、次世代、改革の5党で関連法案成立に向けて連携することを確認した。2016年6月2日、第190回国会が閉会した翌日に党代表兼幹事長の辞任届を提出。辞任の理由を「政党要件を失ったまま、党勢拡大を実現することができなかった。その責任をとる」と述べた。同年7月の第24回参議院議員通常選挙に出馬せず、任期限りで政界を引退。政界を去る理由について「政界では社会・ビジネス界の常識が驚くほど通用しない。自分がいるべきところではないのではないかと思うに至った」と語った。その1つ目は事業管理手法のPDCAサイクルの発想がないこと、2つ目は契約を順守する考えが欠如していることだと指摘した。「是々非々の政党を目指したが、自分の力不足だった」とした。2歳下の弟がいたが、先述の通り既に死去している。
出典:wikipedia
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