児童性的虐待(じどうせいてきぎゃくたい、Child Sexual Abuse、CSA)とは子供に対する性的虐待である。他にも児童性虐待、子供に対する性的虐待、児童期性的虐待、性的児童虐待などの訳語がある。なお、家庭内性的虐待については近親姦の項目、カウンセリングなどによって記憶回復したとする児童期の性的虐待に対し疑義を唱えるFMS(False Memory Syndrome)論争に関しては虚偽記憶及び抑圧された記憶の項目、児童生徒によるものは性的いじめの項目、児童性的虐待の加害者についてはチャイルド・マレスターの項目、性的搾取に関しては児童ポルノ及び児童買春の項目、少年期における性的行為に関しては子供の性を参照のこと。一般に性的虐待というときには、日本ではいわゆる家庭内児童性的虐待の意味で用いられる事が少なくない。だが欧米では加害者は誰でもよいと認識されている。これは、日本ではいまだ児童性的虐待に関する問題提起が浅く、もっとも子供にとって密接な家庭内でのそれにのみ注目が集まっているのに対し、欧米ではさらに進んで、社会における性的虐待に関しても関心があつまり、また性的虐待を防ぐため『子供は社会が保護するもの』ということをより強調するようになったからである。子供に対する性的虐待の大まかな区分としてなされるのは、接触を伴うものかそうでないかという区分である。密やかな性的虐待は通常性的虐待の定義には含まれず、法的には罰せられないが、この種の性的虐待も重要なサブグループを形成することが明らかとなっている。大人と子供の年齢差は研究によってまちまちである。かつてアルフレッド・キンゼイは思春期の開始をその上限としたが、性的ないじめも場合によっては性的虐待と呼んでもよい。なお、日本では「児童虐待防止法(児童虐待の防止等に関する法律)」が2000年5月に可決し第2条で「児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること」として性的虐待を定めた。海外の具体例としてカリフォルニア州法PC11165条の性的虐待定義は18歳未満の者に対する性的暴力(性交、近親姦、肛門性交、14歳以下の子供へのわいせつ行為、口腔性交、器物による性器及び肛門の姦通、性的な愛撫)及び性的搾取(子供がわいせつな行為を行っているところを描いたものを売買する事、わいせつ行為を目的に子供を雇用する事、商業目的で子供にわいせつな行為を行わせる事(写真、映像を含む))を言う。これは法律上の定義であるが、性的虐待の研究者・団体は様々な定義を用いた。アメリカの社会学者フィンケラー(Finkelhor)は「子供の年齢が13歳未満の場合には5歳以上年上の者との性的接触、子供が13歳以上16歳未満の場合には10歳以上年上の者との性的接触(性交、肛門と性器の接触、性的愛撫、性的露出など)を性的虐待とする」という定義を用いた。Baker and Duncanは「性的に成熟した大人が、16歳未満の子供と、自らが性的興奮を得られると思われる行為を持つこと」と定めた。Schechter and Robergeは「性的に成熟した大人が、発達的に未成熟で依存的な段階にある子供と、その子供がその意味を正確に把握できないような、すなわち子供にインフォームド・コンセントを与えることができないような性的な行為を持つこと」と定めた。包括的なものとしては「同意可能な年齢以下の子供に対し、性的に成熟した大人が子供に対する通常の社会的責任を無視し、大人の性的満足に至る行為を持つこと、もしくは他者が持つことを許可する場合を性的虐待という。強制的な方法で行われたかどうか、また行為が性器及び身体の接触を伴ったかどうかは問わない」というStanding Committee on Sexally Abused Children(SCOSAC、性的虐待を受けた子供に関する常任委員会)の定義がある。子供に対する性的虐待が問題視されてくるのは、一般に近代以降である。1886年、リヨン大学の法医学の主任教授アレクサンドル・ラカサーニュが「幼女にたいする性的暴行」という論文を発表。同じ年に、弟子のポール・ベルナールが『幼女にたいする性的暴行』を出版。1827年から70年の間にフランスでは15歳以下の子供に対する強姦及び性的暴行の事件が36176件存在する事を公表した。1896年には、ジークムント・フロイトがウィーン精神医学神経学学会の会合で『誘惑理論』と呼ばれる精神疾患と性的虐待の関連を発表したが完全に無視され、フロイトはフリースにあてた書簡で「奴らはみんな地獄へ落ちろ」と書いた。その後彼は自説を捨ててしまい幼児性欲による幻想に過ぎないとして、この後長らく性的虐待の事実は黙殺される事になった。1932年、フロイトの一番弟子であったフェレンツィ・シャーンドルが性的な心的外傷に関する論文『大人と子供の間の言葉の混乱』をフロイトの反対を押し切り、学会で発表し論争が起こった。だが、翌1933年に本人が亡くなってしまったこともあり、結果としてこの後50年近くに渡り、性的虐待は幻想にされてしまった。アメリカ合衆国では、1937年から1940年にかけFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーが国家主義・人種主義・反共産主義を喚起する策として性犯罪者に対し宣戦布告をし、さらに1948年に女性版と1953年に男性版が発表されたキンゼイ報告(調査対象の4分の1近くの女性が子供時代に大人とセックスをした、あるいはセックスを求める男性に迫られたという報告があった)の発表後の1949年から1955年の期間でも、社会的な注目を浴び、州議会は特別対策委員会を設置し、性犯罪者に対する新法を制定したが、いずれも性的虐待を行う人物が社会的に問題がある以上の説明はなされておらず、性的虐待を受けた女性に後遺症が残るという証明が出来ないとされていた。1956年、ヴィンセント・デ・フランシスが児童保護を訴え、この頃から性虐待が概念として一般化しだす。1950年代後半以降、家族療法が生まれたことでかつて性的虐待を受けた女性が比較的話しやすい状況が生まれ、父親によるものがごくわずかに報告された。鈴木透は、性にまつわる話題の社会的隠蔽が性の革命で揺らいだ時期と1960年代に児童虐待への社会的注目の始まった時期が一致することを指摘している。1965年にはデ・フランシスは近親姦の用語はより広義に使用されるべきであるとし全事例を性虐待のカテゴリーに組み込み、顔見知りが犯人の可能性が高い事や専門化が必要であり現状はコミュニティ自体が加害者のようになっている事、そして報告数よりも性的虐待ははるかに多い可能性がある事を示唆した。1970年代にはフェミニストたちによる激しい怒りの声が上がる。児童虐待防止協会元職員のフロレンス・ラッシュが性虐待を受けた経験を語り、被害者の身の潔白を訴え、その原因が家父長制にあると主張した。このフェミニストの活動により状況が変わりだす。それまでは父娘相姦は母親の冷たさに一因があるとして母親を責めていたのであるが、たとえそれが一因となっていても父親の責任は回避できないということで、加害者として父親が責められるようになった。だがこの時点であっても報告数が少なく、Freedman, Kaplan and Sadockの1976年の教科書にさえ父娘相姦は100万分の1の確率と記述されていた。それに対し1970年代後半は多くの雑誌が児童性的虐待の恐ろしさを伝える記事を報道し、報告数が伸びる。また、多くの無作為抽出調査がキンゼイ報告とほぼ同様の「数人に1人程度」の調査結果を示し、パニックが始まる。だが、1980年代に入るとそれまで個々の事件に焦点があてられていたものがセンセーショナルな話題となっていき、集団的な悪魔的儀式虐待が注目を集めだす。1983年にマクマーティン保育園での虐待(結果的に全員無罪判決が下っている)が報道された後は、それから1990年代初頭にかけて「悪魔崇拝者らによる儀式的虐待が国内で多く行われており保育施設などで儀式的で集団的な性的虐待が行われている」というような根拠のないデマが広まり保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖が起こる。1980年代は性的虐待が特に注目を浴びるようになるが、鈴木透によれば、これは同性愛や妊娠中絶などを解放せよなどといった性の革命後の運動に対して守勢一方であった保守派が、反発の一つとして性的虐待を攻撃の対象としたためであったのだという。また、この悪魔的儀式虐待騒動の最中に一部で催眠術やセラピーを通じ記憶は思い出せるというような回復記憶運動が起こった。この療法においては親からの悪魔的儀式的虐待という抑圧された記憶を思い出させるケースが目立った。だが幼稚園・保育園の儀式的な話が本当なのかということで1990年代初頭から調べられ、幼稚園などにおける「悪魔崇拝者の運営する保育施設における虐待が広く行われている」というパニックには実際には根拠はなく、その根源は仕事を持つ母親や共働きの家庭に対する反発というところが強いとされFBIはモラル・パニックとみなした。さらにここからそういった話を「思い出させて」いた治療者に矛先が向けられ、1992年にFMS財団(=)が設立された。この後、カウンセラーが呼び戻したとされる記憶の中には虚偽記憶による冤罪が存在している可能性が頻繁に報道され、催眠療法やアミタールなど催眠系の薬物を用いて思い出したとする事例の多くが冤罪であったと証明された。だが、こうした反発によりセンセーショナルな話題は影を潜めたものの、児童性虐待が蔓延しているという疑惑は抜けず、至る所に犯罪者が存在しているのではないかという混乱が残ったため、これを利用して政治的なポイントを稼ぐためにミーガン法などといった法律の整備が行われた。1990年代後半から21世紀直前の時期になると、それまでマスメディアが報道してきたイメージに対する批判も発生し、事件の性質と性的虐待の現実的な犯罪の数がどのくらいなのかということについて激しい混乱が起こった。1997年から1998年にかけ、シアトルで女性教師メアリー・ケイ・ルトーノーが男子生徒と性交した挙句妊娠し少年の家族となるという全米を震撼させる事件が起こる。この件は法の下で強姦とされたが、同情論が一般には強かった。リチャード・ガートナーは1999年の自らの著書で、Wright, D.の1997年発表の資料を引いて、女性運動によって男性が加害者であって被害者にはなりえず、女性が被害者であり加害者にはなりえないという見方を強化してしまったという話を指摘した。2002年にはボストン・グローブ紙がカトリック教会の性的虐待事件を報道し、教会側が事実を認めなければならない状態となったため、再び性的虐待に対するパニックが起こりだす。統計上は全く増えてはいないのだがアメリカ中が苛立つ事態となり、様々な性犯罪及び児童誘拐に対する報道は白熱を極め、その年の8月6日にはホワイトハウスでジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領もテロリズムとの戦いに並べて児童性虐待という歪んだコミュニティの問題に対し立ち向かう姿勢を表明した。2003年にはマーティン・バシールのインタビューにより「マイケルジャクソンの真実」が報道され、その後マイケル・ジャクソンが少年に対する性的虐待で訴えられる。この裁判は世界的な大スターということで世界中が注目する裁判となった。多くのマスコミ報道はマイケルは有罪であると報道し、トム・スネドンら検察側はマイケルは有罪であると主張した。だが、マイケル・ジャクソン裁判においてその主張には矛盾点が多いことをトーマス・メゼロウらの弁護士グループは述べ、2005年6月13日に全面無罪判決が下された。なお、この事件で原告側となった少年の母親は裁判後に別件の福祉詐欺の罪で2005年8月に訴えられ、2006年11月に有罪判決を受けた。カナダではバトラー判決後、女性や児童への虐待を問題とするが意見が過激化し、「児童ポルノのイラスト」をダウンロードした少年が「想像上の子供を虐待した」として逮捕されたり、「インターネット上で未成年とコミュケーション(性的な表現を含まない一般の会話や、学習のアドバイスも含む)」を違法とする判断が下されるなど、弱者保護という当初の目的から外れ、言論の自由を阻む状況が発生している。日本では1957年9月25日久保摂二により「近親相姦に関する研究」という論文が発表され、これが日本初の近親相姦論文とされる。父と娘15例、母と息子3例、兄弟姉妹15例、その他3例を取り上げていた。日本では1881年の旧刑法の制定以来近親相姦に関して「道徳にゆだねるべき」という立場をとってきたが、1973年尊属殺法定刑違憲事件では父親を殺害したとされる女性は明らかな性的虐待の被害者であったため問題視された。なお、この性的虐待事件の被害者には性的早熟や知能の遅れは認められなかった。また、1980年に朝日新聞は母子姦を取り上げ、川名紀美は『密室の母と子』という本を出した。だが、マスコミ報道は事実を正確に伝えられず、反発が起こった。1990年代、性的虐待を取り締まる法律が日本では存在しないことが非難され、結果「児童虐待の防止等に関する法律(児童虐待防止法)」が2000年5月可決。第2条で「児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること」として性的虐待を定めた。2004年にはジャニー喜多川による所属男性タレントに対する報道についての裁判でセクハラ部分の報道については名誉棄損に当たらないとされたが、ジャニーズ事務所がマスコミに圧力をかけたのか全く報道されなかった。こういった現象は日本では多く見られ2002年以降のカトリック教会の事件や裁判の話もほとんど取り上げられなかった。この最中、日本では全ての件に関し無罪になったマイケル・ジャクソンの話が空回りしていた。また、2006年には中学生日記(「誰にも言えない」)で男性教師の少年に対する性的虐待が扱われた。現在、日本社会において性的虐待に対する認知度は低い。なかには性的虐待を受けた児童が保護施設でさらに性的虐待を受ける事例も存在する。また、いわゆるスクールセクハラについて、かつては教師による性暴力がタブー的存在とされていた時期もあったが、2001年以降は文部科学省が厳しい姿勢に出るようになったこともあって実態に改善がみられ、行政や各学校においても学校内における性的虐待・セクシャルハラスメントの防止には全力をあげて取り組んでいる。イスラーム諸国でも、伝統的に児童に当たる年齢の人間に対する性的行為を必ずしも「虐待」としてはこなかった。前近代イスラーム社会の根幹法であったシャリーア(古典イスラーム法)が定める女性の最低婚姻年齢(したがって、性行為が社会的に容認される年齢)は、一般的な解釈では9歳、その他の解釈では初潮の開始年齢か明確な制限なしとなっており、男性も13歳程度で結婚できた。これはイスラームの預言者ムハンマドの妻・アーイシャの結婚年齢が9歳であったというハディースに基づいている。一方結婚当初のムハンマドは既に50歳を越えていた。そのためとりわけ女児に対する性的行為は、たとえその内容が客観的に見れば虐待と思われるものであっても、正常な婚姻の結果として容認された。また家父長制の存在により、そのような女児が被害を訴えることはきわめて困難であった。預言者ムハンマドとアーイシャとの婚姻に関しても、その初期の性行為は児童性的虐待ではないかという主張がある。これに対して、前近代の人類社会では有力家系の子女が10歳前後で結婚することはありふれており、このこと自体は歴史的事実として確認されている、という反論がある。豊臣秀吉は10歳の幼女を側室にしたことなど、歴史上の人物は、ほとんどがこの例に倣っており、ムハンマドだけを攻撃する理由が不明である。その場合は結婚してもおおよそ初潮後の適齢になるまでセックスは行わないのが通例であった。インドのイスラーム学者マウラナ・ムハンマド・アリーはアーイシャがムハンマドと初夜を迎えた年齢は15歳であったと主張しているまた前近代のイスラーム社会では、同性愛を問題視する厳格な宗教家の存在にもかかわらず、少年愛が流行したが、この中には客観的に見て性的虐待ととれる事例も存在したとされている。しかし19世紀末から20世紀にかけてシャリーアが近代的な家族法に取って代わり、現在では多くのイスラーム諸国で結婚最低年齢は15 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18歳の間である。よって児童に対する性行為は、性的虐待として広く認知されている。ただしイランやサウジアラビアのような国では、いまだにシャリーアに基づく家族法が効力を有しており、9歳の少女との結婚・セックスも合法である。またそれ以下の年齢の少女との結婚が認められている事例もあり、借金のかたとして8歳の少女が結婚させられた事例がある。またイエメンでは、女児の結婚最低年齢を法律で定めておらず、9歳未満の女児との結婚・セックスも合法である。サウジの高位聖職者評議会の議長アブドゥル・アズィーズ・アル・シェイフは、シャリーアでは10歳の少女でも結婚・セックスの対象とすることができ、むしろシャリーアに対する批判を行う側こそ少女たちへの不正義を行っていると述べた。結婚最低年齢に関してイスラーム法ではなく、近代法を施行している国でも、イスラーム法が慣習として隠然たる権威を持っている場合、両者の矛盾が問題となることがある。モロッコでは、世俗法に基づき女子の結婚最低年齢は18歳であるが、原理主義的なイスラーム法学者ムハンマド・アルマグラーウィーが9歳の少女との結婚・セックスを合法とするファトワーを出したために、この問題に対して近代的な見解を示す国王直属のウラマー達や世俗知識人から、児童性的虐待を正当化するものであると批判された。また、インドネシアでも、イスラーム法学者が12歳の少女と結婚・セックスし、さらに7歳と6歳の女児とも結婚しようとした事例が報告され、警察の捜査の対象となっている。この法学者は、イスラーム法における結婚最低年齢を初潮の開始時とする解釈をとり、女児たちは皆この条件を満たしているとして、この結婚・セックスは合法であると主張している。性的虐待は公表が必要なため報告数は少なくなりがちであるが、アメリカ合衆国ではかなり報告数を上げることに成功した。1976年に保護サービス機関に持ち込まれたのは6,000件であったが、その10年後には132,000件の性的虐待が報告されるようになった。日本の公的なデーターは事実上低すぎる数値を示している。唯一の公的なデータは「児童相談所における児童虐待相談処理件数」のみである。児童相談所に寄せられた報告は2004年現在1048件である。だが、警察が摘発したのは2004年でも39件である。性的虐待には公的に認められている実数以外の暗数が多く含まれると推定されており、主に社会学的な観点からの性的虐待の真の実数の推定調査も多く行われている(但し、性的虐待の定義についてはコンセンサスが取れていないことにも注意)。性的虐待を受けた児童は多くが深刻な心的外傷を負う。その症状は、抑うつ、不安、自傷行為、自尊心の欠如である。この原因は性的虐待そのものというよりは、性的虐待の最中に虐待者によって行われる問題の否認・矮小化・ごまかし・責任のなすりつけ・侮辱などの結果であると考えられている。男性の場合怒りや憤り、女性の場合悲しみや抑うつといった感情に最初に気づき、復讐を果たそうと他者に対して虐待を行う男女には特に顕著にこの傾向が見られるが、この怒りは被害者にもある悲しみの感情を誤魔化すためではないかという見方もある。また、斎藤学 (2001) によると、父親に身体的虐待を加えられ性的な境界侵犯もあった女性が健忘症状を呈した症例において、MRIでは海馬領域の萎縮とグリア性瘢痕化、SPECTでは両側側頭の血流不全が見られたという。また、臨床では過食症や拒食症の患者も多くいるため、斎藤学などのように摂食障害との関連を指摘する論者もいる。だが、それらに関してはっきりと因果関係が認められている訳ではない。かつては年齢が低ければ心理的な影響が少ないという俗説が出回っていたが、現在は完全に否定されている。特に5歳以前の場合には親との同一化がさほど起こっておらず強い感情の統制能力と耐久力が備わっていないため、トラウマに対してうまく対処できないために、恐怖や怒りといった感情が一気に自我の調整能力を超えてしまう現象が起こることで知られている。また、性的虐待を受けた人は男女ともにが子供の自己を迫害妄想的な世界に追いやり、大人の自己はそれらの有害な体験を排除することで統合のまねごとを図ることもある。性的虐待によって、児童の後頭葉、脳梁の容積が減少する、前頭前野への影響があるなどと言った悪影響が指摘されている。前頭前野の容積減少は、虐待までエスカレートしなくても、強い体罰で発生する。虐待は、発達障害を抱える子供に対して、その増悪因子になる。短期的影響としてはFriedrich W. N. (1990, 1991) は性的虐待を受けた子供が年齢的に不適切な性的関心や性的行為を示すことを指摘し、これを「性化行動(sexalized behavior)」と呼んだ。例としては年齢仲間に対してエッチごっこを行うことなどが挙げられるが、こうした行為に至るメカニズムは3つ考えられており、一つは大人との関係をそれ以外の手法で知らないため、もう一つは子供にとって性的行為がどんな意味を持つのか分からないため必死に理解しようと努力するため、そして最後にその行為を繰り返すことでトラウマを乗り越えようとするためだという。長期的な影響としてはセクシュアリティの変容が挙げられ、成人後の性機能障害としては女性の場合は体が急に冷たく感じる冷感症という症状や不感症の症状が表れたり、男性の場合には早漏や勃起不全などの症状が出るとされる。これは、子供の頃身に付けた解離性の防衛が性的状況において発揮されている場合に多いといわれている。性的虐待を受けた場合、性機能障害をきたすか否かにかかわらず、性的な感覚に対する混乱は全般に著じるしいとされている。この最大の原因は官能的興奮が虐待という否定的なもので色づけられてしまっているためとされている。しかも、それにもかかわらず性的虐待により関係がエロス化されてしまっているために、本人にとって親密さを築く方法はセクシュアリティしか思い浮かばなくなっていることが多いのである。さらに、男女共に売春や援助交際など自らを性的に売り飛ばすような行動が多いことも知られている。虐待的な関係を繰り返してしまう場合もあるが、もし虐待的な関係をそのまま繰り返した場合には、その次の段階としては当然マゾヒズムやサディズムといったものが中心の関係が生まれることになる。リチャード・ガートナー (1999) によると二人のゲイ男性から、自分達の周りでサドマゾヒスティクなことをしている男性は皆性的虐待を始めとした虐待を受けていたという証言が得られているという。セーファーセックスや、他人を傷つけないことは強調すべきであるが、本人にとっては被害を乗り越えるためのものであることがあり、異常であるという短絡は避けなくてはならない。性的虐待に遭った人の考えることが宇宙に飛び出したようなものになることもあるとも言われ、メディア作品でも取り上げられる事が多い。Scott Heimの1995年の小説『謎めいた肌(Mysterious Skin)』では男性に被害を受けた少年が記憶を失い、それによって自分はその間宇宙人に誘拐されたのだと解釈し、その後UFOに関する情報を集めている。この小説では、解離による記憶の欠損を「何か特別なことなのだ」と思い込み、創造的に再解釈している。だが、思春期後期になり段々と解離の効果が失われてきている。インセストについての話では、カール・グスタフ・ユングは兄に犯された事がある女性を診断しているのだが、その女性から聞き出した話は幻想的な話だったとされる。彼女によればこの世は汚れているが、月の世界は美しく豊かであるという。月の高山には女や子供をさらう吸血鬼が住んでいて人々は絶滅の危機に瀕していた。そこで彼女は吸血鬼を倒す計画を立てたのであるが、そこに現れたのはこの世のものとは思えない美しい男吸血鬼で、彼女を連れて一緒に飛び立ったのだという。これに関してユングはインセストは地球上では認められず、社会から阻害されるものではあるが、神話世界ではそれは逆転し、インセストは高貴な人の行うこととされるためであると述べている。このような話はグノーシス主義の神話に近いといわれる。そもそも解離は異常とみなされがちであるが、実際には大抵の文化ではそうではなく、それどころか特別な能力を持つ人物として扱われる。後世のイスラーム学では魂だけではなく肉体も伴った浮遊ということになっているが、イスラームの聖典クルアーンの第17章「夜の旅」にすら解離現象らしきものは見出される。Hegeman, E. (1997) は488の文化のうち90%に文化的に許容された解離現象が見出された事を報告しており、リチャード・ガートナー (1999) は、シャーマンのトランスなどは決して異常とはみなされていなかったのだが、自分達の属する文化ではこのような適応は狂信的宗教のような扱われ方がされ社会の辺縁に置かれがちだと指摘する。なお、『精神障害の診断と統計マニュアル』 (DSM-IV) のDDNOSの項目ではこのようなものは解離性障害には含めない旨が明記してある。行動上の問題もある。短期的影響としては家出や反社会的行動、不適切な怒りや敵意、学校での行動上の問題などがその直接的な影響として表れる。性的虐待を受けた人間は同性間の友情関係を児童期・思春期に持つ事はできず、ある面では自分は非常に大人だと感じながらも、ハリー・スタック・サリヴァンのいう親友の癒しの力を奪われている事が多い。さらに前述のように、不安・抑うつなどの症状が激しいため、自分の困難を気づいてもらいたいと、不潔な格好をしたり、風変わりな行動をしたり、幻想的であったりして同じ年頃の子供とは距離をとる場合が多い。法務総合研究所 (2001) によると、少年院の調査では家族以外により強制的に性交された例は女子68.6%(229人中157例)、男子7.3%(2112人中155例)、家族による強制的性交は女子4.8%(229人中11例)、男子0.3%(2096人中7例)であった。平成13年4月の厚生労働省の「性的搾取及び性的虐待被害児童の実態把握及び対策に関する研究班」の調査によれば、刑務所に収監された女性受刑者の7割以上が18歳までに性的虐待を受けており、3割はレイプなどの深刻な被害であり、2割が近親姦であったという。さらに、男性の性的被害の研究者であるLisakは死刑囚の多くから性的虐待の加害歴を面接の中で聞き出している。フェレンツィ・シャーンドルが1933年の著書『大人と子供の間の言葉の混乱』で書き残したように、性的虐待を受けた場合「優しさ」と「情熱」を表す言葉の間に混乱が生じることも知られている。性的虐待を受けた人たちが「セックス」「愛情」「慈しみ」「親愛」「虐待」といったものに対する感覚の混同をきたしてしまうと、結果として人間関係における経験を誤認してしまい、性的かつ虐待的なものがそのまま愛情として認識されたり、逆に喜ばしい関係性が虐待的だと感じるような歪んだ認識が生まれるのである。親や養育者など親のような相手から性的虐待を受けた場合、裏切り者で頼りにならず、信用できない権威者像を内面化する。そのため、愛着形成能力は著しく損なわれ、自分が好きになったり頼りにした人間たちからは必ず裏切られるという感覚を持つようになる。その結果として、性的関係は愛ではなく権力に基づくと考え、恋人に対して支配/被支配の単純構図しか持てなくなってしまう。また一方で人間関係に伴う不安をこれを受け流す方法として、人との付き合いを形式的で感情の伴わないものにしようとする。夫や妻に満足させるようなセックスをさせようとしないことはこの一例である。こういったものは虐待時に矛盾したことを言われ続けたことに原因があるといわれている。例えば「大人を信じろ」という教えは多いが、これは性的虐待を受けた場合「性的虐待に耐えろ」というメッセージにすりかわる。また、脅迫や力を用いて虐待を行いながら「愛している」などと言えば、暴力こそが言葉上の愛となる。また、虐待の責任は自分にあると思い込む人は少なくないが、こうした場合何でもかんでも自分のせいにしてしまいやすい。自分に何が起こっても、周囲がどんな心理状態にあろうと、全て自分に責任があると思い込むのである。こういった場合、例えば職場で何かが起こっても、それを人のせいだとは全く考えず自分のせいだと思い込み不安反応をきたしたりする。加害者と被害者が成人である場合大抵は身体的もしくは精神的強要があるのが普通であるが、子供が虐待されている場合には一見すると同意しているような場合も少なくない。だが、この関係性の軸において「同意」などということはありえない。子供達にはその行為について理解する能力が存在していない。だが、これを利用して大人達は子供を簡単に従わせてしまう。そのため、不幸にも子供たちは自分に責任があるように思い込んでしまうのである。いくら子供たちが望んでいるように見えたとしても、全く同じである。望んでいるように見えたか否かに拘らず、性の自然な発達過程を阻害され、無理矢理性に目覚めさせられることは、子供達の子供時代そのものを奪ってしまうのである。菅原昭秀 (1990) は大阪府児童相談所で扱った女児39人(加害者はうち37人が継父や養父を含む父親、叔父が1人、母親が1人)のうち33人が性的虐待に対し拒否的な反応を示してはいたが、その虐待者本人に対して否定的な反応を示していたのは18人に過ぎなかったという報告をしている。残りの21人のうち、5人は拒否をしつつも同情的な態度、13人は曖昧な態度、3人は肯定的な態度をとっていたという。近親姦の体験者は虐待の犠牲になったという認識そのものは正しいが、その心の深層には緊密で複雑なアンビバレントな関係がある。多くの子供は虐待者に対し愛情と憎しみが複雑に絡み合った感情を抱くが、これは性的虐待を受けた人に激しい混乱をもたらす。憎しみか愛情のどちらかの面を取り解決しようとすることも多いが、この場合突然愛情が憎しみに変わったり、憎しみしか感じることができなくなったりする。また、こうした被害を受けた人をさらなる混乱に陥れているのは文化的な問題によるところも大きい。もともと近代文明はそういった現象を抑圧し続けてきたため、必然的に性的虐待を受けた場合社会から阻害されてしまうような感覚に襲われてしまうことが多い。こうした場合、性的虐待が存在しないことを想定されて作られた文化的価値観を内面化していればいるほど心理的な被害は大きくなってしまう。こうした社会のメッセージによる子供の心理的反応のことをFinkelhor and Browne (1985) は「烙印押し (stigmatization)」と呼んだ。性的虐待のトラウマの度合いは、その個人の主観的体験に依存する。そのため、ある人は外部的に見ればひどくトラウマティックな体験をしてもトラウマにならなかったり、ある人は外部的には大したことでなくともトラウマになる。そのため、まれではあるものの性的虐待を受けているにもかかわらずトラウマになっていない場合も存在する。だが、だからといってその行動そのものが虐待的でなかったということにはならない。さらに、男性に多いが明らかに性的虐待による重度のトラウマ症状を呈しているのにもかかわらず、自身のトラウマを否認している場合が多く存在することも知られている。また、刺激に対して身体が反応してしまう場合が少なくない。こうした場合、女性の場合は快感を持ったことで自分自身が罪深いのではないかと思うことが多く、さらに男性の場合には自分の身体の勃起や射精とかいうものは自分の力でコントロール出来るものであるという自信がそのまま打ち砕かれる。人間の身体は生理学的にそのように出来ているため、これは自然な反応なのであるが、本人たちにとって見ればこうした現象はそのまま自己への不信へと繋がるのである。また、大抵子供は「自分に責任がある」と思いやすく、性的虐待を受けた子供が親がおかしいことを訴えることはそのまま自分を訴えることとほぼ同じことになる。フロレンス・ラッシュ (1980) は「被害者が加害者を告発すれば、自分自身をも告発する事になる。だからこそ児童性虐待は世界でもっともよく守られている秘密なのである」と述べている。子供が話すだろうと思う人も多いが、近親姦(的行為)を受けた子供の多くはこのために自分の受けた被害のことを話すことはない。小学児童は訴えることが出来ないため見分けるためには大人の認識が非常に重要となる。性的虐待を受けた児童には時に以下のような特徴が現れる。その他にも、性的な恐怖が原因で次のような行動を起こすこともある。また、大人に対して挑発的だったりすることもあるが、大人が怒ったりしてさらに被害児童を追い込んでしまうことが多い。さらに、子供っぽいのに一部で妙な大人びた感じ(「偽成熟」と呼ばれる現象)があるのも性的虐待の場合特徴的である。だが、こうしたサインは大抵ありえないという思い込みで見逃されたりする。現在トラウマによる後遺症全般がPTSDという言葉で流通しているが、性的虐待の後遺症は愛着の持ち方、人格形成など広範な影響が認められ、『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM-IV)に載っていたPTSDとは明らかに異なっていた。そのため、DSM-IVに載っている戦争や事故などによるものは単純性PTSDと通称し、それに対しレイプ体験など複雑な体験によるものは複雑性PTSDと呼ぶことを治療者らは提唱した(DSM-IV-TRでは一症状として取り上げられた)。もしくはこれを指してDESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)と呼ぶ研究者もいる。研究者はジュディス・ハーマンやvan der Kolkがいる。精神疾患、解離性同一性障害、深刻な人格障害のある人は現実を見失っているケースもあり、治療は困難を極める。解離した記憶や感情が蘇ってくることや、長期の鬱、不安反応や性的強迫観念を抑えるためには睡眠薬や抗うつ薬が非常に役に立つ。心理療法では、外傷的解離の働きによって未だ言語的にコード化されていない記憶情報をコード化させる作業が行われる。この方法においては、患者が治療者を性的感覚を感じる転移及び治療者が患者に性的感覚を感じる逆転移の問題、コード化される際のトラウマの再演の問題もあるが、方法自体として間違っているというのではなく、それらは治療の手がかりとなる。一方、女性のグループ治療はジュディス・ハーマン (1992) が提唱している。その目標は最初は現在の安全を確立する事、その次に自らのトラウマに焦点を当てる事、最後が自己や他者に繋がりを持たせる事であるとしている。また、多くの被害を受けた人はその回復過程で全てを虐待のせいにしようとするが、実際には全てが虐待のせいであるとはいえない。こういった考えはトラウマに対し少年少女が多種多様な反応を示す事を無視している。さらに、トラウマがすでに過去のものになっている以上はそこから癒えるということもありえない。出来る事はトラウマに対応しとり続けている態度の改善である。幼児期のトラウマ的な体験は生涯にわたってその人の人生に影響を与え続けるわけではない。実際に、強姦犯や精神病を患っている人、犯罪を犯した人にこうした過去がある人が多いのも事実であるが、性的虐待を受けようと回復する人はいくらでもいるのである。Conte, J. R. (1985) は性的虐待を受けた369人(76%が少女、24%が少年)について調べたが、性的虐待に伴う症状を示すのは79%と多かった。しかし残りの21%は起きておらず、どうして問題が起こらなかったかについて調べられたが、その重要な因子は虐待の事実を認め支えてあげた大人が一人でも存在していた事であった。この他にも、多くの研究で秘密を打ち明ける能力と回復力とが比例関係にあることが分かっている。女性に対する性的虐待の問題は全般的にジェンダー論が絡んでおり、フロレンス・ラッシュらフェミニズム系の多くの人はレイプ及び児童性虐待というのは女性と子供を無力化する装置であると主張した。つまり、こういった場合ネガティブな意味で女性性を思い知らされてしまうのである。被害を受けた人は父権制と男性性が混合しており、男性を理想化しては現実に合わないためにこき下ろし、複数の男性関係を持ちながら唯一の愛を求め純粋になろうとする。だが、こうした女性は男性たちからは悪く言われがちである。また、Graham (1994) は、男性に強く依存しながらも男性に対して恐怖を抱くような社会一般に考えられている女性像というのは、性的虐待などのトラウマを長期にわたり受けてきた女性の特徴とも合致すると主張し、人質事件の被害者が犯人に愛着を示してしまうストックホルム症候群の概念はより広範に当てはまるとして「社会的ストックホルム症候群」と名付けている。また、Perry BD (2000) によると生物学的に男児の場合はトラウマを負った場合過覚醒状態を起こす可能性が女児より高いのに対し、女児の場合は男児よりも解離を起こしやすいと報告している。こうした場合、女性は良妻賢母の道が絶たれたと思いファム・ファタールを目指したり、自己犠牲的な道に走ったり、良妻賢母の夢だけを見続けたりと反応は様々である。こうした複数のパーソナリティ・タイプが一人の人間の中に混在し続けると、結果的に解離性同一性障害をきたすこともある。これに関しては最も研究が遅れているといえ、今後の研究が期待される分野でもある。これに関してはホモフォビアや、性的指向・性的同一性の揺らぎなどの問題が指摘されている。女性間の性虐待で裁判となったオーストラリアの事件も存在する。女性教師がかつての教え子である女子生徒と関係を持っていたという事件で、もし女子生徒が在学中のことならばより重い判決が下る可能性があったが、女性教師は学校で教育中の出来事ではないと主張し、結局教師と生徒として性行為を行っていた容疑に関しては全て無罪となり少女との性行為のみで有罪となり執行猶予付き判決で実刑は避けられた。男性が性被害に遭う率は女性よりも少ないが、女性以上に被害に対して認識しようとしていないケースが多く見られる。このため、彼らは本当にトラウマを負っていないのか、それともただ否認しているだけなのか、多く疑われる。また、男性女性双方から多く被害を受ける(Lisak.et.alの報告では被害率は男:女=2:1)が、男性からの方が報告されやすい傾向がある。ミシェル・フーコーは性は本能ではなく文化であり、現代には「言説の扇動」なるものが存在し、セックス及びセクシュアリティにまつわる話が権力の装置として機能することを指摘していた。これに関係し様々な話がある。性的虐待を受けた場合、女性ならば女性らしくあることの負担、男性ならば男性らしくなれないことの苦痛がもたらされる。普通ならばこうした場合男性らしさや女性らしさを自ら定義しなおすのが望ましいのであろうが、性的虐待を受けた人たちが自身の内部に持っているのは普通の人よりもさらに伝統的な男性性/女性性の概念なのである。こうした伝統的概念がたとえ根本から変えることはできなくとも、事実上は非常に移ろいやすいものであることを認識させることが本人にとって重要となる。性的虐待からの回復期には彼女/彼らの内面化された男女二分法が脱構築されることが知られている。男性と女性の違い自体は存在するが、男性らしさとか女性らしさとかいったものが少なくとも文化的に構築されたものの影響を受けていることは多くの人が認めている。そもそも生物学的性は女性と男性で一対になっていると一般には思われがちであるが、実際にはこの段階ですでに怪しい。性的少数者の存在は女性性/男性性の二分法に鋭い異議を唱えているとする意見もある。性的少数者のシンボルカラーは虹であるが、これは典型以外の様々な状態が全てあるからこそ性別というものは美しく輝くという考えに基づく。男性性(マスキュリニティ)は男性による性的虐待の助長と、性的虐待を受けた男性の回復の障害の両面を作り出す一因とされる。男性性は性的虐待の問題に留まらず様々な問題を引き起こしていることで知られ、例えばアメリカ軍においては男性的徳目に基づき残酷な訓練が行われている。男性らしくあることは、凄まじい心理的・社会的ストレスをもたらすものであり、それ自体が外傷的であるといえる。ネガティブな側面も持ち合わせている男性性であるが、社会レベルでは男性性は多くの効用をもたらしていることで知られる。男らしさの理想に合わせる人が多い場合、さほど厳しくない環境において限られた資源を求めるには向いており、適応には優位である。これらは個人的なレベルにおいては強い責任感、忠誠心、逆境での踏ん張り、粘り強さ、決意、耐久力をもたらし、これらは全て価値のあるものである。しかし、それを考慮してもなお意見は多い。それは、これらは別にジェンダー役割と結び付けなくても達成しうるものであり、他に持ちうる人間的素質を犠牲にしなくても獲得できるものであるためである。そのため男性の社会化過程により大きな変化が必要だという提言も多く挙がっている。性的虐待を受けた人は「性的虐待を受けた人」であり、それが最も中立的な呼び方である。他にも「被害者」「サバイバー」という呼び方がある。「被害者」は被害を受けた重大さを物語るにはよい言葉であるが、永遠に被害から立ち上がれないようなニュアンスがある。また「サバイバー」という呼び方は被害を受けながらも生き残ったようなニュアンスがあるが、今度は逆に被害の重大性を矮小化してしまうようなニュアンスもある。さらに被害を乗り越えた人のことを「ウォーリアー」と呼ぶ人もいるが、そもそも何をもって「乗り越えた」というのかはっきりしない。「経験者」とか言うこともあるが、これでは単に性的行為をされただけのようなニュアンスになる。学術的にはやはり本人の独自性を損なわないためにも「性的虐待を受けた人」というのが最も適切なようである。よく、「under the age of XX」が「XX歳以下」と訳されることがある。だが、これは「XX歳未満」であり「XX歳以下」は誤訳である。わずか1歳であるためそれほど問題とはならないが、将来的には統一する必要がある。(こうした事情から多くの文献では「XX歳まで」の表現を用いている)男性については少年への性的虐待の項目を参照のこと。
出典:wikipedia
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