VisiCalcは、世界初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフトである。それまでホビー用と考えられていたマイクロコンピュータをビジネスツールとして定着させるきっかけとなったソフトウェアである。6年間で70万本を売り上げた。1979年、Personal Software 社(後のビジコープ)が Apple II 向けに発売した VisiCalc は、ダン・ブリックリン考案、ボブ・フランクストン設計、彼らの Software Arts 社開発によるものであった。これにより Apple II はホビースト向けの玩具から便利なビジネスツールへと変貌した。IBM PC が登場する2年前のことである。VisiCalcの一部は、メインフレームなどによるタイムシェアリングシステムで広く使われていた表計算プログラムに着想を得ている。例えば、International Timesharing Corporation (ITS) の Business Planning Language (BPL)、Foresight Systems の Foresight などがよく使われていた。ブリックリンは「VisiCalcを作り始めたころ、我々は様々な表計算プログラムに精通していた。実際、ボブは1960年代から Interactive Data Corporation で働いており、そこで表計算ソフトを使っていたし、私もハーバード・ビジネス・スクールで触れたことがある」と記している。しかし、それら初期の表計算プログラムは完全な対話型ではなく、パーソナルコンピュータ上で動作しなかった。ブリックリンによれば、彼はハーバード・ビジネス・スクールで教授が黒板に金融モデルを書くのを見ていた。その教授が間違いに気づいてパラメータを修正しようとしたとき、表の中の大部分を消して書き直さなければならなくなった。これを見たブリックリンは、このような計算をコンピュータ上で処理する「電子式表計算」を思いついたのである。ブリックリンはそのアイデアを指導教官や友人に話したところ、大半から「それは素晴らしいアイデアだ」と賞賛されたが、コンピュータに精通しているとある教授からは「そのようなソフトは既に大型コンピュータ向けに存在するのに、わざわざマイコン向けに作る必要があるのか」と否定的な見解を示されたという。ただその教授は、「一年上の学生にマイコンに詳しい人間がいるので相談してみるといい」として一人の人物を紹介する。それがPersonal Software社を経営するダン・フィルストラであった。ブリックリンは当初、表計算専用のハードウェアを設計・製造して販売することを考えていたが、フィルストラは「わざわざハードを作らなくても、既に売れているハード向けにソフトを作って売ったほうが賢明だ」とブリックリンを説得し、当時既にベストセラーとなっていた Apple II 向けにソフトを作ることを勧めた。そこでブリックリンは友人のフランクストンと共同でSoftware Arts社を設立し開発をスタートさせた。1978年から1979年にかけての冬の2カ月間でVisiCalcを開発。当初16KBのメモリで動作することを目標としていたが、結局それは不可能であることが判明し、32KBで動作するものができた。テキストとグラフィックスの分離表示などの機能も考えていたがメモリ容量の都合で省くことになった。なお、メモリの価格が下落したためアップルは標準で48KBのメモリを搭載して出荷するようになったため、メモリ容量については問題ではなくなった。当初、カセットテープを記録用媒体としてサポートしていたが、それも間もなく省かれた。VisiCalc はビジネスツールとしてのパーソナルコンピュータの有効性を示し、Apple II の躍進に寄与した。このことは、それまでPC市場を無視していたIBMがPC市場に参入する要因にもなった。Apple II 版の後、VisiCalc はAtari 8ビット・コンピュータ、PET 2001(どちらも Apple同様 6502プロセッサ使用)、TRS-80(Z80プロセッサ)、IBM PCに移植された。電子式表計算は画期的なアイデアだったが、ブリックリンはこのアイデアでは特許を取れないだろうと助言され、この発明から得られたであろう莫大な利益を逃してしまった。当時、アメリカ合衆国ではソフトウェアの特許は認められておらず、権利は著作権でのみ守られるとされていた。著作権はアイデアそのものを守るのには適しておらず、競合他社はコンセプトを即座にコピーして表示形式を変えるだけで著作権侵害を問われずに販売することができたのである。ただしVisiCalcが開発された当時、表計算ソフト自体は大型コンピュータの世界で既に存在していたことから、仮にソフトウェア特許が認められていたとしても、どのみちブリックリンらが特許を取得することはできなかっただろうという意見も有る。InformationWeek 誌の Charles Babcock は「VisiCalcは問題が大いにあり、ユーザーが求めた多くのことを実現できなかった」としている。間もなく VisiCalc よりも強力な他社製品が登場した。SuperCalc(1980年)、マイクロソフトのMultiplan(1982年)、Lotus 1-2-3(1983年)、ClarisWorks(1984年)の表計算モジュールなどである。そして、Microsoft Excel(Mac OS版が1985年、Windows 2.0 版が 1987年)に至って表計算ソフトは新世代へ移行していった。特許が成立していなかったので、これらはビジコープ社に何も支払うことがなかった。本来であればこれら後継ソフトに対抗すべくVisiCalcもバージョンアップを重ねるべきであったが、当のブリックリンらはこの頃販売元のビジコープとの間の裁判に忙殺されており、プログラムの開発にほとんど時間を割けなかった。特にIBM PC向けの移植作業が大幅に遅れたことがVisiCalcにとって致命傷となった。このためVisiCalcの売上は急減し、Software Arts社もビジコープとの間の訴訟には勝訴したものの経営難に陥ったことから、ブリックリンらは1985年に同社をロータスに売却した。"誌のレビュアー Joseph Kattan は1984年の時点で次のように記している。
出典:wikipedia
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