LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

花へんろ

『花へんろ』とは、早坂暁の造語であり、NHKで放送された早坂暁脚本のテレビドラマである。副題が付けられて「花へんろ・風の昭和日記」とも表記される。1985年(昭和60年) - 1988年(昭和63年)に3シリーズを放映。1997年(平成9年)には、続編が「新花へんろ・風の昭和日記」として6話放送された。1986年(昭和61年)、第4回向田邦子賞、芸術選奨文部大臣賞、放送批評家懇談会優秀賞、放送文化基金賞個人賞受賞。1988年、第25回ギャラクシー賞・大賞受賞。大正末期から昭和中期までの、四国の風早町(後の愛媛県北条市、現在の松山市)を舞台とした、作者の自伝的要素を含む作品である。遍路道に面した商店「富屋勧商場」に嫁いだ静子を軸に、激動の時代に翻弄される庶民の生活を、遍路や俳句を交えながら叙情豊かに描いている。ドラマの冒頭では、「昭和とは どんな眺めぞ 花へんろ」という句(作・早坂暁)が詠まれる。1923年(大正12年)、静子は歌手になるべく東京行を夢見て家出をするが、関東大震災が起こり、愛媛県風早町の富屋勧商場(とみやかんしょうば)に嫁いだ叔母の勧めにより、富屋の次男・勝二と結婚する。富屋は多くの従業員を抱える3階建ての大商家であり、その前を毎日何人ものお遍路さんが通っていた。結婚した二人は、富屋の分家と大正座という劇場を任される。ある日、静子が助けた女遍路が、娘を富屋に残して姿を消す。静子はその子を“巡子”と名付けて育てる。富屋の長男・本家の照一は、自分の子を宿した芸者の蝶子を分家の静子の家に預ける。半年後、巡子の母が現れたが、娘に会わずに帰ろうとする。静子は巡子をわが子として育てる決心をする。その時、静子は勝二の子を妊娠していた。富屋の三男・幸三は、かつて身を売っていたおこうと駆け落ちをする。静子は蝶子の出産と幸三・おこうの駆け落ち騒ぎに巻き込まれ、自分の子を流産してしまう。1929年(昭和4年)、静子は次の子を妊娠していたが、富屋に入った説教強盗の人質となり早産してしまう。産まれた子、震一(しんいち)は産声も出さない弱い子であった。静子は子供の成長に悩み、照一の本妻・フサ子と暮らすことに苦しむ妾の蝶子とともに、赤ん坊の震一を連れて四国遍路にでかけ、その途中で人生の辛さや苦しさを抱えた人々と出会うことになる。大阪に出かけた照一は帰路の尾道で、駆け落ちした幸三・おこうと遭遇する。勝二は尾道へでかけ、二人を風早町に連れて帰ろうとするが、幸三たちは帰途の船上から来島海峡に飛び込み、心中してしまう。世界恐慌が起こり、富屋は万引きの被害が多く店を閉め、大正座も客が入らない日が続いていた。大正座の起死回生を図り、エノケン(榎本健一)を呼ぶ話が起こったが、現れたのは偽物であった。富屋に静子の昔の恋人清沢が現れる。海軍軍人だった清沢は、濱口首相暗殺に関係し警察に追われていた。1931年(昭和6年)、満州事変が起こり、日本は戦争へと突き進んだ。静子の子・震一は、のびやかに成長していた。その富屋の句会に種田山頭火がやって来る。山頭火は静子の着物を見て、若くして自殺した母の着物と同じ柄だと話し、持ち歩いている位牌を出す。大正座では、もと海軍大佐で、現在は戦争反対を唱える水野廣徳の演説会が行われる。清沢は当初水野に激しく反対していたが、その戦争反対論に敬服し、今は行動を共にしていた。演説会会場の大正座の客席には、水野の命を狙う刺客が潜んでいた。やがて山頭火は、松山の一草庵で亡くなる。日本は戦争に突入し、照一の次男照彦に召集令状が届き、急遽親戚の娘と結婚するが、照彦は数日で出征していった。富屋勧商場は広島店を出店し、照一の妾・蝶子はその経営のため、息子の昇とともに広島に移り住む。松山中学校に進学した震一は、戦艦大和に乗りたいと海軍兵学校に入る。やがて戦争が末期を迎える。照彦は南方のジャングルで亡くなり、遺品の眼鏡だけが還ってくる。蝶子と息子の昇は広島での原爆に遭い、昇は亡くなり、蝶子だけが重傷で風早町に戻ってくる。終戦を迎え、震一は海軍兵学校からの帰路、広島で見た死体から発する数限りない燐光のひとつが、昇だったのかと蝶子に話す。富屋の女たちは、亡くなった人たちを弔うため、再び遍路に出るのであった。括弧内は出演作。第一章から第三章では各話にタイトルが存在しなかったが、「新花へんろ」には各話にタイトルが付けられた。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。