青森県第3区(あおもりけんだい3く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。中選挙区時代の旧1区は、現1区うちの東青地区、現2区の上北・下北地区、現3区の三八地区(八戸市・三戸郡)が選挙区域で、そこから4人が選ばれていた。東青では津島雄二、竹中修一、革新系候補、三八上北では田名部匡省と大島理森らが立候補していた。そのうち、八戸地区は、田名部と大島が、地区を二分する選挙戦を行っていた(通称・八戸戦争)。政治改革が焦点となった1993年に、田名部が自由民主党を離脱(その後新生党入党・県民協会設立)。小選挙区制の導入後も、互いに立候補者の空白地帯の2区への鞍替えをせず、一騎討ちをおこなうことになる。1996年、小選挙区制での初選挙で、大島が勝利し落選した田名部は、参議院へ鞍替えする。しかし、その後、田名部の次女匡代が、父の後継として衆議院選挙に出馬しており、八戸を二分する状況は今もなお続いている。この対立構図は、単純な政党間の構図にとどまらず、八戸市長選挙など、八戸市に関わる選挙でも、事実上市を二分する状況に持ち込まれており、いわば当選挙区候補者の代理戦争の様相を呈している。2009年の第45回衆議院議員総選挙では自民党に猛烈な逆風が吹く中、大島が367票の僅差で田名部を下し、9選(田名部も比例復活)。一部メディアが開票終了前に大島の選挙区落選を伝え、大島は支持者に向けてお詫び会見を開いたが、後にこれは誤報と判明した。2012年の第46回衆議院議員総選挙では一転して大島が2万8千票以上の大差をつけて10選、田名部は比例復活もできずに落選した。2014年の第47回衆議院議員総選挙でも大島が田名部を再び下し11選、田名部はまたしても比例復活できず落選した。
出典:wikipedia
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