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大篠津町

大篠津町(おおしのづちょう)は鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0101。本項では同地域にかつて所在した会見郡・西伯郡大篠津村についても述べる。和田村の北にあり、北は佐斐神村(現・境港市)、西は葭津村、東は美保湾に面する。石高 戸数明治4年(1871年)廃藩置県により鳥取県が誕生した。翌5年に新しい行政単位として県内に112の区を設定し、各区に戸長(大庄屋)、副戸長(中庄屋)、村長(庄屋)を置く達しが出された。この区制の開始によって弓浜部は六つの区に統合された。明治22年(1889年)10月1日、自治制からなる町村制の施行により、会見郡大篠津村として発足した。当時の資料によれば、明治22年(1889年)の連合村(和田、大篠津、富益、夜見)の戸長は安田復四郎であり、議長も兼ねていた。連合戸長並びに町村会に行政権限と議決権限が付与されていた。明治22年(1889年)10月18日連合戸長安田復四郎は村議会議員の定数を8名と定め、11月8日条例により議会構成がなされた。村議会の議員は名誉職とし、任期は6年、3年毎に半数ずつ改選であった。明治22年(1889年)11月9日、村長・助役・収入役・職員の組織と給料が定められている。村長は村議会で選ばれ、助役とともに無給で名誉職とされた。明治5年(1872年)飛脚制度廃止と同時に、米子と境に郵便取扱所が設置され、後年郵便局に改称された。大篠津において郵便取扱所が設けられたのは明治14年(1881年)であり、明治15年(1882年)郵便局になった。平成11年(1999年)米子局で集中業務を行うため、大篠津局は無集配局となった。明治37年(1904年)『伯耆国実業人名録』には代表的商人として次の五人が載せられている。大正元年(1912年)12月『山陰実業名鑑』によると、地価三百円の土地所有者数は三十一人、所得税納入者は十五人、国税営業税納入者は十五人である。次に示すのは営業税納入者と税額であるが、◎印は地価、所得税共に記載があるもの、○印は所得税、△印は地価のみの記載があるものである。大正11年(1922年)『西伯之資力』によれば地価額二百円以上の者は、三千九円余の安田義兼他53人であるが、営業税の記録はのせられていない

出典:wikipedia

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