フェロー諸島沖海戦は第二次世界大戦中の海戦の一つ。1939年11月23日に、北大西洋へ進出しようとしたドイツの巡洋戦艦2隻がイギリスの補助巡洋艦と遭遇し、それを撃沈した。この戦闘の結果、ドイツ艦は出撃を取りやめドイツへ引き返した。第二次世界大戦の開戦以降大西洋とインド洋でドイツのポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーが通商破壊戦を行っており、イギリス艦隊はこれを捕捉するため多数の部隊を展開させていた。それを妨害し、アドミラル・グラーフ・シュペーへの圧力を低減するためドイツは巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウをアイスランド南方へ出撃させることにした。11月21日、シャルンホルストとグナイゼナウはマルシャル中将の指揮の下ヴィルヘルムスハーフェンを出撃した。この出撃には軽巡洋艦ケルン、ライプツィヒ、駆逐艦ベルント・フォン・アルニム、カール・ガルスター、エーリッヒ・ギーゼも同行した。これらは22日に巡洋戦艦2隻と分かれてポケット戦艦リュッツオーなどと共にスカゲラク海峡へ通商破壊戦に向かった。巡洋戦艦2隻は荒天の中を航行した。欺瞞のためイギリスの戦闘旗を掲げるということもしていたが、イギリスに発見されることはなく、23日の午後にはフェロー諸島の北西に到達していた。イギリスはこの海域に巡洋艦や商船改造の補助巡洋艦を配置して哨戒をおこなっており、この時は軽巡洋艦ニューカッスル、デリー、カリプソ、シアリーズ、補助巡洋艦ラワルピンディがその任務に就いていた。その中の1隻補助巡洋艦ラワルピンディとシャルンホルストが遭遇した。ドイツ艦2隻は旗艦グナイゼナウが先頭でシャルンホルストとは20km距離を開けていた。16時7分(ドイツ時間、以下同じ)、ラワルピンディを発見したシャルンホルストが進路を変更し、ラワルピンディの方へ向かった。シャルンホルストは停船を命じ艦名を尋ねたが、ラワルピンディは「F=A=M」と答えるのみで停船はしなかった。17時3分、両艦は交戦を開始した。すぐにラワルピンディにシャルンホルストの砲弾が命中し、ラワルピンディは炎上した。ラワルピンディはドイッチュラントと交戦中であるとの電文を発したが、17時6分に受けた命中弾で艦長は戦死し無線室も破壊された。シャルンホルストも砲弾の破片によって被害が生じた。グナイゼナウも17時11分に戦闘に加わったが、17時16分に砲撃は中止された。シャルンホルストが生存者救助に向かい27名を救助した。だが19時15分に、ラワルピンディからの報告を受けてやってきたイギリスの軽巡洋艦ニューカッスルが発見されたため救助作業は中止された。イギリスに発見され、イギリスの本国艦隊が捜索に出撃したことから、マルシャル中将はイギリスの包囲網から逃れるため北大西洋への出撃は中止して北上した。なお、ラワルピンディの生存者はシャルンホルストの救助された27名のほか、イギリスの補助巡洋艦チトラルによって11名が救助されている。ニューカッスルは19時24分にドイツ艦を見失った。イギリス海軍はクライドから本国艦隊の戦艦ネルソン、ロドネーと重巡洋艦デヴォンシャー、駆逐艦7隻を出撃させ、そのほかにも多数の巡洋艦を捜索に当てた。さらに、船団護衛中であった戦艦ウォースパイトも捜索に加わった。加えて、ハリファックスからは巡洋戦艦レパルスと空母フューリアスが出撃した。25日にはブレストから戦艦ダンケルクなどからなるフランス艦隊も出撃し、これに巡洋戦艦フッドも加わった。だが、シャルンホルストとグナイゼナウは26日に嵐にまぎれて発見されることなくノルウェー沖を南下し、27日に無事にヴィルヘルムスハーフェンに帰還した。帰投後、マルシャルはニューカスルを攻撃しようとせず逃走したことを非難された。これに対しマルシャルは、主力艦は夜間に魚雷を持った相手に近づくべきではないとされていると反論した。
出典:wikipedia
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