中国科学技術大学は中国の大学としては国際的に著名である。卒業生が海外留学する比率は中国の大学の中で長らく首位の座を保持している。また歴史的影響と資金的な制約から、大学側はアメリカのカリフォルニア工科大学をモデルに、自然科学研究を突出させた「小粒でもキラリと光る」研究型大学を目指している。中国科学技術大学は銭学森・華羅庚ら科学者の要求により、1958年に北京に開学した。直接的な目標は中国共産党の推進する原子爆弾・水素爆弾・人工衛星(「両弾一星」)の開発事業を遂行するための人材を育成することであった。創立当時のキャンパスは北京市玉泉路の中国共産党中央党校内に存在した。初代学長は当時の中国科学院院長である郭沫若が兼任した。趙忠尭・銭学森・華羅庚・郭永懐らがそれぞれ近代物理系・近代力学系・数学系・化学物理系などの主任を担当し、また自ら講義を行った。1966年に開始した文化大革命後、中国科学技術大学は相当の打撃を被り、1970年に北京を追われることとなった。河南省南陽市、安徽省安慶市を転々としたのち、最終的に安徽省の省都である合肥市に落ち着いた。この移転の過程で図書・器材・教員の大半が失われる事態となった。文化大革命終了後の1978年に厳済慈が学長に就任し、「世界の学府を創り、天下の英才を育てる(创寰宇学府,育天下英才)」という建学目標を掲げた。これにより大学は徐々に正常な運営軌道に戻ることになった。鄧小平の支持のもと、大学は1978年に「少年班」(優秀な才能を持った少年を対象とした特別クラス)を設置、また中国大陸で最初の大学院を設置した。1983年、中国大陸で初めて18人に博士の学位が授与されたとき、うち7人は中国科学技術大学出身の大学院生であった。ここにおいて、中国科学技術大学は中国大陸で最も嘱目される理系大学のひとつの座に返り咲いた。また自然科学分野のみならず、1980年代には社会科学方面における言論で中国に名を馳せた。
出典:wikipedia
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