渋谷 浩康(しぶや ひろやす、1969年4月13日 - )は円谷プロダクション所属のプロデューサー。神奈川県茅ヶ崎市出身。学生時代に円谷プロダクションのアクションチームの求人広告を見て、社員の募集もないものかと連絡し面接を受けて採用された。製作部に配属された理由は、当時取締役であった高野宏一によれば声が大きいから現場向きであったからだという。大学卒業後、1992年に円谷プロに入社。同年の映画『勝利者たち』の製作進行からキャリアスタート。『ウルトラマンゼアス2 超人大戦 光と影』でアシスタントプロデューサーを経た後は、専務を務めていた高野宏一から「テレビでもメイキングを回しとけ」と指示され、『ウルトラマンティガ』以降のテレビシリーズでもメイキング撮影などで横断的に現場に携わる。その後、2001年に『ウルトラマンコスモス』で初のプロデューサーを担当。2004年には『ウルトラマンネクサス』、続く『ウルトラマンメビウス』(2006年)、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(2007年)、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』(2008年)等のテレビシリーズをプロデュースする。また、2009年には『ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース』、2010年には『ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ』、2011年には『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』といった児童誌グラビア展開や劇場版ウルトラマン映画作品とも連動するオリジナルビデオシリーズをプロデュース。プロデュース業を離れた現在でも、企画協力・企画監修者として数多くのウルトラシリーズ・作品に携わっている。東映の鈴木武幸同様のスタイルで、ウルトラシリーズに様々なアニメや声優の要素を取り入れている。「ウルトラマンネクサス」のCGIモーションディレクターに板野一郎を、音楽に川井憲次を迎える等、アニメ的エッセンスをウルトラマンのTVシリーズへと導入。またバンダイナムコグループ中心の玩具の連動要素と小学館・講談社を中心とした親子で楽しめる児童誌グラビアとの連動要素も映像作品に取り入れている。『慈愛のウルトラマン』(『ウルトラマンコスモス』)。 や、『絆』をテーマにした複数の適能者による大河ドラマ(『ウルトラマンネクサス』)。といった新たなコンセプトをウルトラシリーズに導入する一方、ウルトラマンシリーズ誕生40周年記念作品『ウルトラマンメビウス』では、『友情』をテーマに掲げ、M78星雲とウルトラ兄弟たちにリスペクトを捧げた設定でルーキーウルトラマンの成長を描く物語を展開。また『未知への冒険』をテーマにした『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』や『限りなきチャレンジスピリッツ』をテーマにした『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』では、ウルトラマンを毎回の物語の中心に据えずに構築される新たなフォーマットにより、『ウルトラマン』シリーズの持つもうひとつの魅力であるウルトラ怪獣や宇宙人キャラクター達にスポットを当て、宇宙規模の作品世界観を有した新たなシリーズの可能性を切り開く等、様々なトピックを持った作品を手掛けている。 その企画プロデュース作品に関して、脚本の長谷川圭一は、「<このシリーズはこういうシリーズ>という前提の枠をまず用意して、どういう風に始まってどう着地するかに気を配って作ってゆく、たとえば『コスモス』なら<怪獣保護>、『メビウス』なら<ルーキーの成長物語>という風に、一本筋を通して<今回のウルトラマンではこういう挑戦をした>というカラーを強く出そうとしていましたね」と渋谷の作風についてコメントしている。自身の作品のキャスティングには、イケメンや人気声優、歴代オリジナルシリーズ出演者等のキャスティングに力を入れている。 アベユーイチやおかひでき等、映画AP時代に現場で苦労を共にしてきた影の功労者たちを、自身のプロデュース作品でウルトラマン作品の監督へと抜擢している 。映像製作以外では、バンダイの玩具中心の関連商品やゲームやバンダイビジュアルのDVDと音楽CDのパッケージ商品や小学館・講談社の関連書籍の商品の開発に関わる。
出典:wikipedia
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