飛鳥井 雅教/雅春(あすかい まさのり/まさはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公家。永正17年(1520年)、権大納言・飛鳥井雅綱の子として生まれる。父と共に駿河や越中など、戦国大名の分国に下向することも多かったと言われる。大永4年(1524年)、従五位下に叙位する。天文17年(1548年)、従三位・左兵衛督に叙位・任官する。天文18年(1549年)、参議・左衛門督・丹波守に任官する。天文21年(1552年)、正三位に叙位する。弘治3年(1557年)、従二位に叙位し、永禄2年(1559年)には権中納言に任官する。天正2年(1574年)に正二位に叙位し、天正3年(1575年)には権大納言に任官する。しかし天正6年(1578年)に子の雅敦が早世するなどの不幸もあった。天正10年(1582年)、雅春と改名する。天正12年(1584年)に全ての職を辞職した。文禄3年(1594年)に薨去。享年75。※ 日付は旧暦
出典:wikipedia
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